今回は近所に生まれた子猫たちについての話です。
▼前回の話をお読みでない方は、こちらからお読みください▼
 「飼ってないのに、餌をあげるの?」通りすがりの人に言われた言葉

保護をしようと餌付けをしていた猫たちが姿を消してしまった。
毎日会えていた訳ではないし、会ってもご飯を食べない時もあったので、数日様子をみていたが、だがいつまでたっても現れない。保育園の送迎時、仕事の行き帰り道に探してみるもどこにもいない。会えない日が続くとそわそわとしてきてしまう。

(私が餌付け作戦などと悠長なことを言っていたから逃げだした? 寝床を移した? 誰かがけがをした? もしかして死んでしまった?)

と、激しい後悔の念に襲われた。通りがかりの人が私に文句を言っていたのはこういう可能性も示唆してのことだったのか(多分違うとは分かっている)。ゆううつな気持ちで過ごしていると、道に落ちているゴミが猫に見えてくる。駐輪場に止められた自転車に置いてあるヘルメットが猫に見えてくる。

そんな状態から三、四日経ったある日。またまた事態は動いた。
その日の夜、保育園から家まで帰る途中、遠くから子猫の鳴き声が聞こえたのだ。
だが周囲を見回すも声がするだけで姿は見えない。息子は猫を見つけると駆け寄っていくので逃げられてしまう可能性があるので探索を諦めて帰宅をした。

でもその後、やっぱり気になって外に出ると、ちょうどご近所さん(といってもふだん会話したことはない方)と見知らぬ女性が歩いてくるところだった。見知らぬ女性の肩を見てビックリ。肩に乗っているのは、餌付けをしていたあの黒猫の一匹だった。驚く私にご近所さんが「すみません、この辺りで黒い子猫みませんでしたか?」と尋ねてきたから更にビックリ。

事情を聞くと、どうやらそのご近所さんも猫たちに餌付けをしていたらしい。
「実は私も猫ちゃん達を捕まえようとしていて」と、白状して、そこからは情報共有タイムとなった。ご近所さんは子猫たちをどうにかしたいと私と同じように保護団体の方に電話をしたらしい。

私と違うのは保護団体の方が捕獲に動いてくださったことだ。肩に猫を乗せた女性の正体は保護団体の方だったのである。捕獲に動いていただいたおかげで、すぐに親猫と黒一匹サビ二匹を保護されたという。だが警戒心の強い黒子猫一匹だけが捕まえられず逃げてしまったらしい。
話を聞いて、まず猫たちが死んでいないことに一安心。次に保護団体の方に感謝をした。

そして保護団体に一軒しか電話をせず、心折れていた自分を反省した。セカンドオピニオンならぬセカンドアドバイスを求めるべきだったのだ。団体の方に話を聞くと、子猫は保護されて母猫は避妊手術を受けて地域猫として元の場所に戻されるという。母猫も本当は飼い主を見つけたいところだが、そこまでは難しいという話もされた。最後の一匹を保護して四匹の飼い主を見つけたい。その気持ちは私も同じなので、飼っても良いと言っている人がいること、子猫を見つけたら保護する旨を伝えて、彼女たちと別れた。

息子をお風呂に入れて寝かしつけをしながら、猫たちのことを思った。
心の中は、安堵九割モヤモヤ一割。子猫たちが死なずに済むこと、母猫が手術をうけられたことにほっとしている自分と、残された子猫への不安と子供と引き離された母猫に不憫さを感じている自分がいた。私はこの日まで出会ってしまった猫たちを保護することのために、できる範囲で頑張ってきた。100%すっきりする結末はないと分かっていた。考えられる結末の中では限りなくハッピーエンドだ。

でも、やっぱり何が正解だったのか、悩んでしまう。私が母猫子猫全員飼えたらハッピーエンド度数はあがったのか、でも世話が追い付かず、結果不幸になっていたかもと思う。できない「たられば」を考えるのは不毛だ。100%すっきりなんてないって分かっていたはずなのに、自分はどうしたかったのだろうか。そんなことを考えながら寝たら、子猫が雨に濡れている夢を見た。

次の日、朝起きても、気持ちが晴れなかった。昨日お話した保護団体さんにアマゾンギフトで猫の砂やご飯を贈ったが、この行動自体も独りよがりなのかしらとモヤモヤが増すばかり。
モヤモヤを抱えきれず、母親に昨夜の出来事を話すことにした。モヤモヤする答えのない話を母親は静かに聞いてくれた。そのあとで言われたのが、
今回ぐっとくる言葉にあげた【どっち転んでも人間のエゴだから】だった。

「なにをしてもしなくてもどっち転んでも人間のエゴだから。やれることをするしかないんじゃない?」

この答えが大正解とも思ってはいない。やれることだけやっていたら、いつまで経っても世界は変わらない。でも今の私が肝に命じるのは、母の言う言葉のとおりだと感じた。自分が良いことをしているなどと思わず、何をしても結局エゴであると思うこと。自分が向かうべきは、考えの違う誰かにモヤモヤすることではなく、やっぱりやれることをして、やれないと思っていることにも挑戦していくことだ。その行動がほんの少し物事を良いほうに動かすことを信じて……。

これが私の身に起きた子猫騒動の全てだ。
完全なハッピーエンドではないし、私はほとんど力を貸せなかったけれど、子猫ちゃんと親猫が幸せに生きてくれることを心から望む。

ちなみにこれを書いている今日。
保育園に息子を送った帰り道。リリースされた母猫と共にいる黒子猫を目撃した。私と目が合うと二匹は大慌てで姿を消していった。完全に警戒しているようで、ご飯を持って行ったけれど、戻ってはこなかった。
子猫と親猫を見て『良かった、母猫と再会できたのか……』と、思ってしまったけれど、これも全部人間の都合で振り回しているエゴだよなぁと、また反省した。自分のエゴや身勝手を自覚しつつ、自分の信じる行動をとるしかない。

1987年生まれ、神奈川県出身。脚本家・小説家として活躍。主な執筆作品は、「DASADA」「声春っ!」(日本テレビ系)、「花のち晴れ~花男 Next Season」「Heaven?~ご苦楽レストラン」「君の花になる」(TBS系)、映画『ヒロイン失格』、『センセイ君主』など。NHK「恋せぬふたり」で第40回向田邦子賞を受賞。

過去の記事>>
第1回:最近、私がグッときたのは、この言葉!
第2回:鉄道は飽きないよ。全然飽きない。もう 100%楽しい。ぶっちゃけ言っちゃえば、もう100%楽しい!
第3回:「気をつけて、だけど恐れずに」クローズアップ現代・沢木耕太郎氏の言葉より。
第4回:「恵里香ちゃん、仕事どう?楽しい?」愛する姪っ子の言葉。
第5回:「つまんない爪と耳になったな」ある人の言葉
第6回:原田泰造さん「このドラマを見て、これはちょっとでも分かってもらえた方がいいのかなって思ってもらえるとうれしい部分もいっぱいあります」
第7回:『別に色恋だけが人生じゃねぇし』「TIGER & BUNNY2」第15話 ライアン・ゴールドスミスの台詞より 
第8回: 「飼ってないのに、餌をあげるの?」通りすがりの人に言われた言葉