気が付くと5月も残り僅か……今年も折り返しが近づいてきましたが、みなさまお元気でしょうか?
激流のようなスピードで時が過ぎていきます。年を重ねるごとに時の流れは速くなるといいますが、今の段階で激流ならばこの先はどうなるんだろうと考えてしまいます。
私が仕事が好きなので自らそう仕向しむけているのですが、様々さまざまなものに日々追われるような生活なので「寝ないでも元気でいれる体が欲しい。でも寝るの好きなんだよなぁ」と、そんな不毛なことばかり考えて時間を無駄にしています。

さて先日、橋田賞の授賞式があり、制作統括の尾崎裕和さん、演出の梛川善郎さんと参加してまいりました。「虎に翼」という作品で受賞できたこと、そのうえで主演の伊藤沙莉さんも個人で受賞されたことが非常にうれしかったです。

作品……とりわけエンタメ作品は、その作品から放たれる空気のようなものが大切で、それが人の記憶に残るものになっていると思っています。それは映像作品だけでは醸し出すことはできません。ご覧いただく視聴者のみなさん、そしてみなさんの感想や熱量が合わさって生み出されるものだと思っています。ですので「虎に翼」が橋田賞を受賞できたのは、全キャストスタッフ・そして応援してくれた視聴者の皆さんのお陰なのです。そのうえで主演が評価されるのは、そりゃもう当然嬉しいわけです。

授賞式には、プロデューサーの石澤かおるさん、演出の橋本万葉さんや安藤大佑さんもいらしてくださり、純粋に受賞を喜び合える面々と出会えたことが私の財産だな、なんてホッコリジーンとしました。

「おしん」や「渡る世間は鬼ばかり」で知られる脚本家の故・橋田壽賀子が理事を務めた橋田文化財団によって創設された賞。日本の放送文化に大きく貢献した番組や人物に贈られる。
第33回となる令和6年度は連続テレビ小説「虎に翼」や伊藤沙莉など、2番組4人が受賞した。

受賞をきっかけに橋田先生の人生に触れて、改めてエンターテイメントが担う責任について考えさせられました。
私の橋田先生の第一印象はバラエティー番組にご出演されている姿です。今考えれば、私が生まれて初めて脚本家という職業を知ったのは橋田先生がきっかけかもしれません。素晴すばらしい作品の数々を残しながら、ご自身のこと、脚本家という仕事のことを世に浸透させるという役目を担われていたのだと思います。
授賞式の際に橋田壽賀子先生の携わったお仕事の年表をいただいたのですが、昭和56年に大河ドラマ「おんな太閤記」が放送となり、その二年後には連続テレビ小説「おしん」が放送されています(しかもその間の年も連ドラを書いている)。その他にも「春日局」の翌年から「渡る世間は鬼ばかり」を書いていたり……しかも、どれも50代~60代のお仕事です。
私自身、並行して色々とお仕事をするタイプなのですが圧巻というか圧倒されてしまいました。このハイペースで名作を生み続けるなんてすごすぎです。まだまだ私なんてアマちゃんだわと思わずにはいられませんでした。


そんな私がぐっときたのは、橋田先生が「おしん」を書かれた際のエピソードとしてつづられていたこちらです。

日本の歴史を支えた名もない人達の生き様を残そう

おしんを書かれる前に、当時の橋田さんは人生の体験談を募集されて100通以上寄せられた手記を読み、実際にその方とお会いになられて、それを書籍化もされたそうです。それをベースに「おしん」を書かれたそうで、今もなお多くの方々の心に残り続ける名作である理由(のひとつ)が分かったような気がしました。

橋田賞で留守番をしていた息子が、祖母と兄家族といっしょに手巻き寿司づくり。

私自身「今やるべきテーマや役目と向き合いつつ、一過性のものではなく何度も繰り返し観てもらい記憶に残る作品を作りたい」と思い、それを実践すべく、もがき続けているのです。もしかしたら橋田先生も、そうやってもがきながら作品を作られていたのだなと勝手にシンパシーを感じたりもしました。若輩者の私がそんなことをいうことがおこがましくも感じるのですが、橋田先生の背中を追って執筆活動にまい進していきたいです。
そして先生が健康に大変気を遣っていたと聞き、四か月以上サボっていた筋トレを再開しました。三日坊主にならぬように頑張ります。

1987年生まれ、神奈川県出身。脚本家・小説家として活躍。主な執筆作品は、「DASADA」「声春っ!」(日本テレビ系)、「花のち晴れ~花男 Next Season」「Heaven?~ご苦楽レストラン」「君の花になる」(TBS系)、映画『ヒロイン失格』、『センセイ君主』など。NHK「恋せぬふたり」で第40回向田邦子賞を受賞。