万寿4年(1027)、藤原道長は亡くなりました。一方、紫式部の最晩年については諸説あり、没年も分かっていません。ただ、紫式部が死を覚悟しながら最後の作品である和歌集『紫式部集』を書き上げたことは、和歌の内容から確かです。ドラマ最終回のラスト近くで、旅立つまひろが娘の賢子に託した、あのささやかな冊子です。
この和歌集は、紫式部が生涯に詠んだ膨大な数の和歌からほんの120首ばかりを選び、詠歌のいきさつとともに並べたもので、本人しか知り得ないことが多いため“和歌による自伝”とされています。
その巻頭に置かれているのが、小倉百人一首に採られたおなじみの一首(コラム番外編①参照)。紫式部が幼馴染の女性に詠みかけた和歌です。
はやうよりわらは友達なりし人に、年頃経て行き会ひたるが、ほのかにて、十月十日の程に月に競ひて帰りにければ
めぐりあひて 見しやそれとも 分かぬ間に 雲隠れにし 夜半の月かな
ずっと前から幼馴染だった人と何年も経ってから出会ったのだけれど、わずかな時間で、10月10日頃、彼女は月と競って帰ってしまった。
思いがけない巡り会い。「あなたね?」そう見分けるだけの暇もなく、あなたは消えてしまったね。それはまるで、雲に隠れる月のように
(『紫式部集』冒頭歌 陽明文庫古写本による)
幼馴染の女性も紫式部も、何年かの空白を経て成長し、顔立ちが変わっていたのでしょう。その人と確かめる暇もなく、相手は帰宅してしまいました。残念、また会いましょう――これはそうした日常の挨拶歌だったのです。
再び交流するようになった二人は、友情を深めていきます。そして、この友達は妹を、紫式部は姉を亡くしていたため、これからも亡き姉妹の代わりに思い合おうと約束しました。
やがて友達は九州へ、紫式部は越前へと下ることに。離れ離れになっても手紙を交わしていましたが、いつしか途絶え数年後、都に帰った紫式部は悲しい知らせを聞きます。友達の家族が帰京し、彼女は九州で亡くなったと知らせたのです。
このことを踏まえて、先の和歌をもう一度読んでみましょう。思いがけなく巡り合い、でも心を交わし合った時間はわずかで、あなたは本当に消えてしまった――これは二人の再会から死別までの一部始終にほかなりません。
最初にこの和歌を読んだときと、すべてを知ってから振り返ったときでは意味が変わるという、多面的に読むことができる不思議な一首なのです。
この和歌だけではありません。紫式部は、『紫式部集』の中にいろいろな人との出会いと別れを記しています。
たとえば夫婦として連れ添った藤原宣孝。彼が遠い越前まで楽しい恋文を贈ってくれたことも(コラム#23参照)、大喧嘩をして紫式部が勝ったことも(コラム#26参照)『紫式部集』に記されています。彼は新婚わずか3年で世を去りました(コラム#29参照)。この出会いと別れも、振り返ればあっけないものです。
さらに、紫式部は彰子のもとに仕えて、同僚女房たちと出会いました(コラム#33参照)。最初は行き違いもありましたが、折り合いをつけるうちに互いに分かり合えて、何人か親友もできたのです。
が、親友の一人だった小少将の君は、若くして亡くなります。彼女の死後、生前に交わした手紙をふと見つけ、哀しみを新たにしたことも『紫式部集』には記されています。これもまた紫式部の心に刻まれた出会いと別れです。
紫式部が、この〈和歌による自伝〉の巻頭に「めぐりあひて」の和歌を掲げたのは、これが彼女の人生を象徴する一首だったからでしょう。そこにあるのは、仏教用語でいえば、出会えば必ず別れが来る「会者定離」、愛し合いながら別れて苦しむ「愛別離苦」、そして、常に変化し休まることのない「無常」でした。
これは、いつどこの世でも同じ、人のさだめです。
ここで、ドラマ全体を振り返ってみましょう。ドラマの初回でまひろと三郎は出会い、幼馴染になりました。そして数年後に再会し、互いに思いを交わします。しかし二人は結ばれず、別れと再会を繰り返した末、最終回で永遠に別れることとなりました。
めぐりあひて 見しやそれとも 分かぬ間に 雲隠れにし 夜半の月かな
巡り会ったのは運命の人だった、でもそれとも分からぬ間に、彼は逝ってしまった。輝く月が隠れるように――大河ドラマ「光る君へ」では、まひろから“光る君”道長への、二人の生涯を総括する和歌のように思えてならないのです。
もちろん、『紫式部集』が伝えるのは人生の哀しみだけではありません。歌集の巻末歌にはこうあります。
いづくとも 身をやる方の 知られねば 憂しと見つつも 永らふるかな
どこへこの身を落ち着ければいいのか。この世のほかに知りません。だから、つらいと分かりつつも私は長く生きてきましたし、これからも生きていくのです。
(『紫式部集』巻末歌)
この世界で生きていく……。それが、紫式部が最後に伝えたメッセージでした。
ドラマは、武者の世の兆しをほのめかして終わりました。人の命は短く、時代も政治も移り変わります。しかし『源氏物語』は1000年後の今も愛されています。『枕草子』も同じです。古典文学は、時代を超えて人々をつなぎます。
大河ドラマ「光る君へ」は、その一つの「かたち」でした。
1年間、このコラムを通じて、古典文学を生み出した平安の世と人々をきめ細かく描くドラマに寄り添うことができて、とても幸せでした。お読み下さった皆様に心から感謝いたします。
作品本文:陽明文庫蔵『紫式部集』
京都先端科学大学人文学部歴史文化学科教授。平安文学研究者。紫式部とその作品、また時代背景を研究している。1960年、石川県金沢市生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科修了。博士(人間・環境学)。2007年、『源氏物語の時代 一条天皇と后たちのものがたり』でサントリー学芸賞受賞。2015年、『平安人(へいあんびと)の心で「源氏物語」を読む』で古代歴史文化賞受賞。著書は受賞作のほか、『紫式部ひとり語り』(2020年)など多数。近著に『道長ものがたり』(2023年)。