(ちょう)(ほう)3年(1001)4月25日、紫式部の夫・(ふじ)(わらの)宣孝(のぶたか)は亡くなりました。(しょう)(側室)だった紫式部は宣孝と別居していたので、夫の看病や看取(みと)りはできなかったでしょう。おそらくドラマのとおり、正妻などから事後報告を受けただけの、あまりにもあっけない夫の死だったと思われます。

のちに紫式部は回顧録『紫式部日記』の中で当時を振り返り、心にぽっかりと穴の空いた精神状態を告白しています。

1年以上は何も手につかず泣いていたこと。季節が変わっても何の実感もなかったこと。「いったい私と娘はどうなってしまうのだろう」と、ただその心細さでどうしようもなかったこと……。

当時の習わしで、妻は亡夫のために1年間、喪服を着て過ごします。ちょうどその年末、いちじょう天皇の母・東三条院詮子が崩御したため、追悼のため天皇をはじめ貴族社会全体が喪に服することになりました。

年明け、知人が「どこもかしこも喪服色の新春ですね」という和歌を送ってくると、紫式部は返歌を詠みました。

何かこの ほどなき袖を 濡らすらむ (かすみ)の衣 なべて着る世に

どうして私ときたら、この薄っぺらい衣の袖を涙で濡らしているのでしょうね。皆が女院様のために喪服を着ている世で。私一人が違う喪服を着て、私一人が違う涙を流しているのですわ。

(『紫式部集』41番)

喪中は、死者が亡くなった季節の喪服を着続けるのが決まりでした。宣孝の死は4月で旧暦では夏なので、紫式部の喪服は夏用の(ひと)()(裏地なし)です。一方、詮子は冬に亡くなったので、喪服は冬用の(あわせ)(裏地付)です。

紫式部は世間の喪服と比較して、自分の喪服が薄手であることを「ほどなき袖」と詠んだのです。それは、宣孝が女院と比べて何ほどのこともない、取るに足らない身分であったことへの謙遜でもありました。世間はちゃんと女院様を哀悼していらっしゃるのに、私は夫などのために、と。

しかし、それが紫式部の本心だったのでしょうか。言葉では世をはばかり、違う喪服を着ていることを弁解しながらも、紫式部はむしろ、世がどうあれ自分は夫を悼み続けているのだと言いたかったように思います。まるで自虐のように。

そう思うのは、『紫式部集』の和歌や(ことば)(がき)(和歌を詠んだ経緯などの注意書き)の中に、宣孝の死後、以前はほとんど見られなかった言葉が見受けられるようになるからです。例えば、「()」という言葉です。

「世」という言葉は、「小倉百人一首」でも10首に1首は読み込まれていて、和歌の世界ではおなじみの言葉ですが、不思議なことに、『紫式部集』のそれまでに詠まれた和歌にはほとんど使われていませんでした。が、宣孝の死を境にしきりに使われるようになるのです。

「世」とは世界、世間など、人を取り囲んでいる空間や人間関係のことです。「令和の世」など“時代”の意味でも使いますね。どれも、人がそこから逃れることができない“現実”です。

もう一つ、紫式部がしきりに詠むようになった言葉が「()」です。「身」は身体、身分、身の上など、“現実”に縛られている人そのものを指す言葉です。例えば、紫式部は朝顔の花に付けてこう詠みました。

消えぬ間の 身をも知る知る 朝顔の 露と争ふ 世を嘆くかな

私自身も消えぬ間の露ほどはかない身だということは、よく分かっています。でも今は、はかない朝顔の上のはかない露と争うように、あっけなく消えた夫の人生を思って、泣けてならないのです。

(『紫式部集』53番)

人は「世」に(しば)られ、抵抗もできずに死ぬ「身」でしかない。それが現実なのだから諦めよという仏の教えは分かっているけれど、受け入れられず悲しい――。紫式部はどうしようもない気持ちを歌で明かしたのです。

紫式部は、おそらく幼いころに母を亡くし、娘時代に姉を亡くし、姉の代わりに慕った親友も亡くしました。それでも悲しみから目を背けるように、前向きに生きてきたのでしょう。が、夫の死に遭ってとうとう心が折れました。現実と向き合い、それにとらわれる日々が続いたのです。

ただ、人には「身」以外にも大切なものがあります。「心」です。紫式部は、娘の賢子を育てながらそれに気が付きました。

若竹の ()ひ行く末を 祈るかな この世を憂しと (いと)ふものから

若竹のような娘。この子の行く末を私は祈らずにいられない。私自身は人生がつらくて嫌でしかたがないけれど。 

 (『紫式部集』54番)

「心」は、祈ることができます。時間を飛び超えて娘の将来を夢みることもできます。過去を思い出して宣孝を懐かしむこともできます。心は自由なのです。

それだけではありません。心は現実とは違う世界を空想することができます。この世がつらければ、心に新しい世界を作って逃げ込むことも、そこで深く考えることもできます。心には無限の力があるのです。

こうして、紫式部は自分を癒やすために物語の習作を始めます。それはやがて『源氏物語』へと結実してゆくのです。

 

作品本文:『紫式部集』 新潮日本古典集成

 

 

京都先端科学大学人文学部歴史文化学科教授。平安文学研究者。紫式部とその作品、また時代背景を研究している。1960年、石川県金沢市生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科修了。博士(人間・環境学)。2007年、『源氏物語の時代 一条天皇と后たちのものがたり』でサントリー学芸賞受賞。2015年、『平安人(へいあんびと)の心で「源氏物語」を読む』で古代歴史文化賞受賞。著書は受賞作のほか、『紫式部ひとり語り』(2020年)など多数。近著に『道長ものがたり』(2023年)。