越前でまひろ(吉高由里子)と出会い、親密になり、そして裏切った周明ヂョウミン。好意を寄せながら、宋のために裏腹の行動に出た周明が、20余年の時を経て、大宰府だざいふでまひろと再会する。その心境に変化はあるのか、演じる松下洸平に聞いた。


中国語を覚える能力は前回で使い切り、今回は1行のセリフもなかなか身体に入らなかった 

——市場でまひろと再会したとき、逃げようとしましたね。

越前で左大臣(道長みちなが/柄本佑)にふみを書くよう、まひろを脅した過去があるので、「自分のことを恨んでいるだろう」という思いがあって、再会した瞬間に当時の記憶がバッとよみがえり、とっさに逃げてしまったんだと思います。

20数年間、まひろのことをずっと思い続けていたわけではないと思いますが、申し訳ないという懺悔ざんげの思いを抱えながら生きていたのではないでしょうか。

——当時抱いていた恋心のようなものは、今はありませんか?

きっとある、と思います。一緒にお茶を飲むシーンで、飲んだことのない宋のお茶にすごく興味津々なまひろを見て、変わらない姿に「この顔、懐かしいな」と、改めてすてきな人だと感じたのではないかと思います。聞けば、独り身だというし、恋心というか、いろんな思いが芽ばえたのではないでしょうか。

——まひろと再会するまでの20数年間、どんな人生を歩んだのでしょう。

「何が起きて、今どういう思いなのか」については、いろいろ想像しました。

あの後、周明は宋に戻らず、自分が生まれた対馬つしまに行ったんです。周明は幼いころに親に捨てられ、信じられるものを失いました。でも対馬には、親どころか、自分のことを知る人すら残っていなかった。つまり、欠落感を埋めるすべを永遠に失ったんです。

そこから大宰府に渡ってフゥェイチンという医師くすしに出会い、そこで改めて自分の居場所を見つけて……。周明にとって第何章目かの人生の新しい章に入って、欠落感を抱えつつも穏やかに暮らせるようになったんだろう、などとドラマでは描かれていない時間を、自分の中で埋めていく作業をしました。

——久しぶりの「光る君へ」の撮影現場は、いかがでしたか?

前回の撮影のときと変わらず、やっぱり吉高さんが明るかったです。現場の雰囲気も、ある一定の緊張感を持ちながらも楽しく撮影することができて……。でも、中国語の稽古をつけていただいたときに、「うわぁ、この感じ、久しぶりだ」と、忘れかけていた当時の大変さを思い出しました(笑)。

——前回ほど中国語のセリフが多くなかったので、気持ち的には楽だったのでは?

それが、前回で持てる力をすべて発揮しきってしまったみたいで……(笑)。今回は1行の短い言葉もなかなか身体からだに入らなくて、かなり苦労しました。中国語指導の先生につきっきりで見ていただいて、何とかやれた感じです。


周明を救ったのは、まひろの「死という言葉をみだりに使わないで」という言葉

——周明の現在の心境をどう感じていますか。

演出の中島(由貴)監督から、「以前の周明とは違って、き物がとれたような、少し優しいおじさんでいてほしい」と言われました。

越前にいたころは、生きる意味や生きる場所がないことへの葛藤が心のなかで渦巻いていて、周明にはどこか人を寄せつけないところがありました。まひろに対しては笑顔で優しく接していたけれど、それは宋と朝廷の交易を進める使命のための、偽りの姿でしたし……。

でも、大宰府に来てからは、宋とのしがらみもなくなり、20数年という時間のなかで、周明にとって心安らぐ場所になっていたのでは、と思います。

——その間、まひろを大事な存在として思い続けていることを、どのように感じていますか?

周明が自分の命さえ軽視して、いつ死んでも構わないと思って生きていたときに、まひろから「死という言葉をみだりに使わないで」と強く言われたことが、ずっと印象に残っていたんだと思います。

越前での一件の後、周明は死を選ぶことだってできたはずですが、まひろの言葉がそれを思いとどまらせた。まひろの強さは、20数年間、周明の心の中で消えずにいたのではないでしょうか。

——前回とお芝居で変えた部分はありますか?

メークで顔にシミをつけたかったのですが、中島監督から「そこまでやらなくていい」と言われたので、大きく芝居を変えることはありませんでした。

ただ、本当に微妙な差だと思いますが、話すスピードをゆっくりにしたり、しゃべり方や表情を柔らかくしたりするのは意識しました。周明がいろいろな経験を経て、丸くなった感じをイメージしながら……。

——再登場にあたって、脚本の大石静さんや演出から何か要望はありましたか?

大石さんには再登場の前に一度お会いして、「また、いっぱい書くからね」と言われました。「松下洸平と吉高由里子のシーンを書かないと、私が怒られるから」って(笑)。もちろん僕はそんなふうに思ってないですけれど、第46回を目いっぱい使って書いてくださって、本当に感謝しています。

中島監督とは、連続テレビ小説「スカーレット」でずっとご一緒していたんですけど、「光る君へ」の越前編は中島監督の担当ではなかったんです。今回、約5年ぶりに現場で中島監督と台本を見ながらああだこうだ言い合って、すごく懐かしい気持ちになりました。

中島監督が指摘することは的確で、僕が台本を読んで感じた先を考えていらっしゃるので、毎回ハッとさせられます。細かいところまで見てくださる中島監督が、「もっと笑顔でいいよ」「もっと優しい表情で」とおっしゃったので、今回はそこを特に意識しました。


まひろに「違う生き方だってできる」と言い返したのは、周明にとって大事な瞬間

——『源氏物語』が、ふじわらのたかいえ(竜星涼)の一族を追いやったと聞かされ、どう思いましたか?

もはや「違う国の話をしている」ぐらいの感じでした。もちろん『源氏物語』のことは知らないし、まひろが書き手として名をせたことも知りませんから。でも、知らないからこそ、話を聞いてあげられることもあったのではないかと思います。

「じゃあ、こんなの書いてみれば?」とか、「友達のことを書けば?」とか、適当なことを言い出して……。失礼ですよね(笑)。でも、そういう存在が、その時のまひろには必要だったのではないかと思います。蚊帳かやの外にいる人が話すからこそ、響く言葉もあるんじゃないかな、と思って演じました。

——現在の太閤たいこうが、かつての左大臣と聞かされて、どう感じましたか?

当時から道長がまひろの思い人だということは察していましたし、そこに関しては複雑な思いもあります。ただ、いわゆるジェラシー的な感情ではなく、セリフにもあったように、「もてあそばれただけか」とサラリと流せるところが、20数年の歳月を経たおじさんの余裕、なんだと思います(笑)。

——大宰府での周明が素顔なんでしょうか?

「優しいおじさん」としては、あまり難しく考えないのが大切かな、と思って演じました。笑顔も見せるし、冗談も言ったりもする。まひろに対して「じゃあ、俺のことでも書け」なんて言ったりする、ゆったりした性格になっていました(笑)。

ただ、まひろが「書く気力も湧かない。書くことが全てだった」と言ったときに、周明が「違う生き方だってできる」と言い返したシーンは、周明にとって大事な瞬間だったと思います。昔は自分の命をすごく軽く見ていた周明が、まひろの「私には何もない」という言葉に対して、「まだ命はある」と励まし返すのは、今度は自分がまひろを救う番だと示す、とてもすてきな場面でした。

——周明がまひろに果たす役割について、どう考えていますか?

僕はいただいた台本を演じるだけで精一杯せいいっぱいで、その場その場でまひろに接していくしかありませんが、窮地に立たされたまひろを最終的には救うような存在になっていたらいいなぁ、とは思います。

まひろと周明は、会った回数で言えば数えられる程度しかないのに、大事なタイミングで会って、救ったり救われたりするような、不思議な関係だと思います。

「光る君へ」における周明って、異質な存在だと思うんです。隆家や「刀伊といにゅうこう」など、実在の人物、実際に起きた事件が反映された台本なのに、周明は実在しないから、どこかファンタジックに見えます。

史実に基づいて話が進むなか、そこにフッと現れる“幻”のような周明の存在が、作品全体に新しい色を感じさせられれば良いな、と思っています。