兄・伊周(三浦翔平)の死後、亡き姉・定子(高畑充希)の子である敦康親王(片岡千之助)の後見となった隆家。だが、東宮には彰子(見上愛)の子・敦成親王(濱田碧生)が指名され、敦康は帝への道を絶たれてしまう……。一筋縄ではいかない隆家の人生の歩みを、演じる竜星涼に聞いた。
隆家の視野が広がった今、ききょうの真っすぐさはちょっとウザいです(笑)
――隆家が中関白家の家長的なポジションになりましたが、変化はありますか?
隆家が、残された敦康親王や、脩子内親王(海津雪乃)たち一族を守るポジションになったことは確かなんですけど、特に何かが変わることはありません。中関白家の次世代の子どもたちは、道長(柄本佑)のことを受け入れているんですよ、恨みなど感じずに。いまも恨み言を言い続けているのは、ききょう(ファーストサマーウイカ)だけで……(笑)。
でも、ずっと演じてきたからこそ気づくこともあります。きょう撮影した敦康親王とのシーンで、親王が話す姿を見て、「そうか。敦康親王は一条天皇(塩野瑛久)と姉上(定子)の子なんだよな」と思う瞬間があったんです。
隆家が「気晴らしに、狩りにでも行かれませぬか?」と誘って、敦康親王から「殺生はせぬ」と断られるシーンだったのですが、その佇まいと発言が、両親が持っていた雰囲気にすごく似ていて……。「あのふたりの子なら、狩りなんてしないよな」と腑に落ちて、思わず笑みが浮かびました。そういう気づきは、長く演じてきたからこそ感じられるものだと思います。
――ききょうが今も中関白家に仕えていることに対してはいかがですか?
実は、ききょうに対しては、ちょっぴり「うるさいな」とも思っています(笑)。「もう恨み言はいい。気持ちを切り替えろ」と。それでも、彼女は「それじゃ、収まりがつきません!」みたいな感じで……。
とはいえ、あそこまで強い信念で、中関白家側についていてくれるのは、とてもありがたいことです。第16回の「香炉峰の雪」のときにみんなが雪遊びをしていた場面でも、隆家とききょうは、そこには入らない、入れない、似たもの同士の部分がありました。自分の信念を曲げない、真っすぐなところは似ているんでしょうね。
でも、隆家の視野が広がって、物事を動かすためには仲間や段取りが必要だとわかるようになった今、ききょうの真っすぐさはちょっとウザいです(笑)。
隆家は、ものごとを壊すだけでは、政治の世界では生きていけないことに気づけた
——伊周は亡くなるまで道長を恨んでいましたが、隆家の気持ちの切り替えは早かったですね。
隆家には、自分たちの家の没落を阻止しようとか、復讐しようとかの考えはなかったと思います。史実では、道長と対立するところもあったようですが、大石静さんが描く「光る君へ」の中では、隆家は兄貴の伊周と対照的な部分を担わされているんですよね。失敗したときに、そこで悔い改めて自分のせいと考えるタイプなのか、人のせいにするタイプなのか。
隆家は「起きたことは自分のせい」と過去の過ちを素直に認められるタイプ。一方、兄貴はそれを人のせいにしてしまう子どもっぽい性格で、過去の栄光にしがみついて、そこからなかなか離れられない人なんです。「人生、山あり谷あり」と思えなかったというか……。
でも、隆家には「それも人生だよね」と前を向いて進んでいける強さがあって、流された先の出雲で、現地の人たちと交わって経験を積むうちに、「政にかかわる」という強い信念を持つようになったんだと思います。猪突猛進、ものごとを壊すだけでは、政治の世界では生きていけないことに気づけたんですね。
そして、将来を見据えたとき、自分の信念を貫くためには、どこかで兄貴を切らなければいけない、と見極めたのかもしれません。それでも兄弟なので、なんだかんだ言いながらも、兄貴のことは気にはかけていました。でも、プライドが邪魔をして変われない伊周は、呪詛にとりつかれてしまって……。
——なぜ隆家は変われたんでしょう?
「光る君へ」で描かれる隆家は、末っ子という立ち位置なのが大きかったと思います。兄貴や姉上の失敗を見ては、「こうすると、うまくいかないんだな」と学べ、早いうちから対処法を身につけられたんです。
父上(道隆/井浦新)は姉上に対して、母上(貴子/板谷由夏)は兄貴に対して、「こうなってほしい」という気持ちを強く出して接していましたが、隆家には変なプレッシャーをかけることもなく、やりたいようにやらせてくれた。だから、隆家は“家”とか“家族”に縛られることなく、“自分”はどう生きるのかを見つけられたように思います。
政治的センスのある道長についていくことが、自分のやりたいことへの近道だと確信した
——中関白家にとっては政敵にあたる道長に対して、隆家が自分を売り込んだ行動原理は何ですか?
それは、道長の政治的なセンスを認めていたからでしょう。隆家は最初、兄貴のことを人の上に立つ人間と思っていたんですけど、その兄貴の上を行く素質を目の当たりにしたので……。たとえば、仲よし同士で一緒に仕事をする楽しさもあるけれど、センスの良い人と仕事をした時の興奮や高揚は、それを上回るじゃないですか。その感覚と似てるのかな。
道長のセンスは伊周にはないもので、おそらく兄貴が政のトップに立っても、世の中うまくいかないだろうと、隆家は嗅ぎとったんでしょうね。実際、道長は政権のトップに立ったわけで、彼についていくことが、自分のやりたいことを成し遂げられる近道と、隆家は確信したんだと思います。
——感情的なわだかまりはないのでしょうか?
もっと先の未来を見据えているので、悔しいとか、妬みとか、もう隆家にはないです。「光る君へ」で道長が隆家を側に置いているのは、隆家の持つ“生き抜く力”を見抜いていたからだと思います。わざわざ自分を恨んでいる家の人間を、自分の懐に入れておく必要はないですから。視点を変えれば、道長のそういう器の大きさを、初めから隆家は気づいていたんです。
これまで柄本さんと一緒に演じてきて、多少の探り合いはあっても、道長と隆家はお互い真っすぐ向き合って、根底の部分で気持ちが通じ合っていたように感じます。
——柄本佑さんのお芝居で、印象に残っているものはありますか?
特にここが、ということではないのですが、間近でお芝居を見せていただいて本当に勉強になります。演者として「こう表現したい」という思いが強すぎるとやりすぎてしまうし、だからと言って「やりすぎないように」とばかり考えていると、どういう意味の芝居なのか伝わらなくなるんですよね。
その中間、本当に微妙なところで表現される方だな、と常々感じています。だから、すてきな俳優さんなんだ、と。表現のさじ加減、塩梅が、すごく勉強になります。
平安の雅さとはかけ離れた“武”の性質を担っているのが、隆家のおもしろさ
——今後の隆家に期待することは?
隆家は、平安の雅さ、キラキラした部分とはかけ離れた、異質なものを担っている気がして、そこにおもしろさを感じています。あえていうなら“武”の性質でしょうか。年齢とともに、環境とともに大人になってきた隆家ですが、ことあるごとに武力の必要性を説く荒くれな部分は消えていません。
隆家が外国の海賊と戦ったと史実に残る『刀伊の入寇』が描かれるのか描かれないのか。これから隆家がどうなるかわかりませんが、もしかしたら最後には道長と対決したり、戦ったりするかもしれない。どういう展開が待っているのか、楽しみに台本を待っています。