ドラマは最終盤。まひろ(紫式部)は藤原道長への思いに終止符を打ち、第2の人生を模索し始めています。
紫式部が道長の娘・彰子のもとに仕えていたことは事実ですが、ドラマのように幼馴染で恋仲だったことを記す史料はなく、これは創作です。ただ、14世紀の系図集『尊卑分脈』は、紫式部に対し「御堂関白道長の妾と云々」と注記していて、紫式部が道長の側室だったという噂の存在を示しています。
中世に広まったこの噂は、紫式部自身が『紫式部日記』に記したある出来事(ドラマでは描かれていません)が火種と思われます。
あるとき、彰子の御前でいつものとおり雑談していた道長は、ふとその場に置かれていた『源氏物語』に目を留めると、梅の実の下に敷いてあった紙を手に取り、一首の和歌をしたためました。
すきものと 名にし立てれば 見る人の 折らで過ぐるは あらじとぞ思ふ
梅はすっぱくておいしいものと評判だから、見た人が枝を折らずに通り過ぎることはない。さて、『源氏物語』の作者のお前は“好き者”と評判だ。お前を見て声をかけずに通り過ぎる男はおるまいと思うが、どうかな?
(『紫式部日記』年次不明記事)
一見、梅の実を詠んだ何気ない和歌のようでありながら、真の意味は紫式部への問いかけです。『源氏物語』という恋愛満載の物語を書いたからには、作者の紫式部も“好き者”だと断定し、恋の百戦錬磨なのだろうとからかう内容なのです。
彼がこの歌を紫式部に渡したので、紫式部は言い返しました。
「人にまだ 折られぬものを 誰かこの すきものぞとは 口ならしけむ
めざましう」
「まだ折り採られていない梅に『酸っぱいぞ』と舌を鳴らす人はおりません。私だって、まだ殿方の経験がございませんの。なのに誰が『好き者だ』などと噂しているのでしょうか?
心外ですわ」
(同上)
道長の和歌と同じく梅の実に掛ける趣向で、「自分はまだ殿方を知らない乙女だ」と言ってかわしたのです。紫式部に娘がいることは誰もが知っていますから、その場は笑いに包まれたことでしょう。
これに続けて『紫式部日記』は、紫式部が渡殿(渡り廊下)の局で寝ていた夜に、誰かが戸を叩いたが応じなかったこと、そして翌朝、彼女の冷たさを詰るような和歌が届いたというエピソードを記しています。その和歌は次のようなものです。
夜もすがら 水鶏よりけに なくなくぞ 真木の戸口に 叩きわびつる
一晩中、私は泣きながらあなたの部屋の戸を叩きあぐねていました。あの、戸を叩くような声で鳴く水鶏より、もっと激しく泣いていたのですよ。
(同上)
この夜這い未遂めいた出来事と、その前の道長とのやりとりに関連があるかどうかは不明です。が、読者が二つを結び付け、紫式部と和歌を詠み合った道長が彼女に興味を抱き、夜に紫式部の局を訪れたものと考えても不思議ではありません。
このときは拒んだけれど、のちには彼を局に入れたのではないか――そんな憶測が生まれて、やがて「御堂関白道長妾」の噂が囁かれるようになったのでしょう。
このエピソードは、紫式部の局があった場所から推測すると、彰子がお産のため実家である土御門殿に滞在していたときのものと考えられます。しかしドラマでは、彰子のお産前後の場面でこのエピソードが描かれることはありませんでした。それはなぜでしょう。
もういちど、二人のやりとりの現代語訳から真意だけを取り出してみてみましょう。
(紫式部)私、まだ殿方の経験がございませんの。なのに誰が「好き者だ」などと噂しているのでしょうか? 心外ですわ。
道長は、『源氏物語』を面白おかしい恋のエンターテインメント小説と見ています。また作者の紫式部を“好き者”と決めつけています。作品に対する彼の理解は浅く、紫式部への態度はセクハラ&パワハラと言わざるを得ません。
令和の世では許されないことですが、平安時代の紫式部にとっても〈ムカツク〉ものだったのではないでしょうか。ドラマでは、そんな道長を描きたくなかったのかもしれません。
一方、紫式部の対応は、怒りをぐっとこらえたものでした。彼女の真意は、和歌のあとに添えた「心外ですわ」の一言に現れています。が、その前に「私、乙女ですのに~」という冗談の返歌で場を和ませたので、本音の「心外ですわ」も冗談に聞こえ、ガツンと言い返したことになっていません。
女性が自分を抑えて笑いに紛らわす方法は、いかにも〈昭和〉っぽいやりかたです。やはりドラマは、こうした紫式部の姿も描きたくなかったのかもしれません。
実際の紫式部は、処世のためには自分の思いを飲み込み、周囲に合わせることもしばしばでした。しかしドラマは、まひろにできるだけ本音で生きてほしかったのではないでしょうか。
つらい境遇に耐え、かなわぬ思いを心に抱きつつ、正直に生きるまひろ。ドラマのポスター(月夜バージョン)に付けられたキャッチコピーは、「わたしを生きてみせる」……。これは、ドラマから私たちに送られたメッセージ――ともにそうありたいという、励ましの言葉だったように思えるのです。
作品本文:『紫式部日記』(角川ソフィア文庫『紫式部日記 現代語訳付き』)
京都先端科学大学人文学部歴史文化学科教授。平安文学研究者。紫式部とその作品、また時代背景を研究している。1960年、石川県金沢市生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科修了。博士(人間・環境学)。2007年、『源氏物語の時代 一条天皇と后たちのものがたり』でサントリー学芸賞受賞。2015年、『平安人(へいあんびと)の心で「源氏物語」を読む』で古代歴史文化賞受賞。著書は受賞作のほか、『紫式部ひとり語り』(2020年)など多数。近著に『道長ものがたり』(2023年)。