強大な権力を手中に収めながらも出家し、まつりごとから退いたふじわらの道長みちなが。まひろ(吉高由里子)との長年にわたる宿縁、周囲の人物との関係性、そして道長の人生をどのように捉えたのか。柄本佑の、道長役にかけた思いを紹介する。


公任から怒られるシーンは、“元カノ”との関係がこじれたみたいだった(笑)

——第45回の出家するシーンでは、ご自身の髪をり落とされましたが、いかがでしたか?

まげを結うのも剃髪ていはつも自分の髪でやりたいと相談して、髪を伸ばしてきました。撮影中、剃っているときは別にどうということはなかったんです。頭の上なので目に入ってこないし、ショリショリという音がして「あ、剃れているんだな」くらいの感じで……。

それが、突然不思議な感覚になったんです。正座して剃っていたんですけれど、髪の毛が手の甲に降り落ちてきたんですね。そうしたら、触覚で「無くなっているんだ!」と実感して、それで一気にグッときたんです。

おそらく“時間”を感じたんでしょう。この作品に向けて一昨年の6月ぐらいからずっと髪を伸ばしてきて、それがゼロになったので、時の流れを感じずにはいられなかった……。そういうことだと思うんですけど、なんだか、とても不思議な体験でした。

——実際に剃髪された感想は?

4日目ぐらいに風邪気味になりました(笑)。ちょうど剃った日に気温がグッと下がって、その日から寒くなり始めて、いつもと同じ感じで過ごしていたら風邪気味になって、そこから温め直して生活していました。今はもう快適で、できたらずっとこのままでいたいくらいです。

——出家してからも、ぎょうたちがいろいろと道長に相談を持ちかけてきますね。

第47回では、道長が裏で実資さねすけ(秋山竜次)とつながっていたことで、公任きんとう(町田啓太)から怒られました(笑)。まるで“元カノ”との関係がこじれたみたいでしたよね。公任がプンプン怒っていて……。あのシーン、僕も町田くんも演じながら謎だったんですよ。「なんでこんなに急に怒ったの?」「つきあっていた?」みたいな感じになっていたから(笑)。

——公卿たちが道長を頼る理由はなんだと思いますか。

それは、頼通よりみち(渡邊圭祐)が頼りないからでしょう。「光る君へ」では出家した後に道長がだいに上がるシーンはありませんが、日記(『御堂関白記』)によると、道長は出家した後も内裏に上がっていたらしいです。影のフィクサーとして裏で政治をぎゅうって、頼通も操ろうと、どこか息子を軽く見ていたところがあるのかもしれませんね。

演出の田中(陽児)監督と、道長が犯した最後で最大の間違いは、頼通に権力を委ねたことなのかな、と話し合いながら演じました。


道長にとっては、自然と「対まひろ」か「その他大勢」かになっていた 

——道長とまひろとの関係性で心がけていたことはありますか?

意識していたわけではないですけど、改めて考えてみると、道長は「対まひろ」か「その他大勢」か、になっていましたね。台本のト書きにも「道長はまひろのことになると、周りのことが見えなくなる」と書かれてあることがあって、それが大石(静)先生のもくでもあるんでしょうが……。

——台本には、どんなふうに書かれていましたか?

例えば、第36回の敦成あつひら親王の「五十日いかの儀」のうたげのシーン。道長がまひろと歌を交わす場面がありましたが、台本には、「酔った公任から話しかけられているまひろに、嫉妬しっとしつつも助け舟を出す」と書いてあって、それで「藤式部、なんぞ歌を詠め」と声をかけているんです。

そして、まひろが即興で詠んだ歌に返歌を詠んだ後、「(俺もやるだろ、の目)でまひろを見る」と書かれていたんです。このト書きは、僕が演じるときに迷わないよう書かれているので、何かを心がけたというよりは、自然にそういう形になりました。

道長が歌を詠んだ後、とも(黒木華)がその場から立ち去って、道長が追いかけるじゃないですか。あそこも「道長は倫子の気持ちに気がついていない」んですよ。「え、なんで?」と、慌てて追いかけていて……。要するに「やらかした」とは思ってないんです。そんなふうに、自然と「対まひろ」か「その他大勢」かになっていましたね。

ちなみに、そのシーンの撮影中は、カットがかかるたびに吉高さんが「いや、『俺もやるだろ、ニヤリ』じゃないわよ」と言っていました(笑)。「あんなに大々的に、人前で……」って。

——まひろのつぼねに、よく愚痴をこぼしに来ていましたね。

あの場所だと生き生きできるというか……(笑)。まひろの顔を見るとホッとするんですよね。一応、用事がある体裁で訪ねていますが、実はまひろの顔を見たいのが第一だったりして……。

第44回では、まひろに「ご用ですか?」と聞かれて、「お前に会いに来ただけだ」とはっきり口にしています(笑)。本当は「まひろの側にずっといたいな」という気持ちだったんじゃないでしょうか。まひろが側にいるだけで、心強かったですし、だいぶ支えられました。

——行成ゆきなり(渡辺大知)や妻の倫子も道長に対する熱い気持ちを持っていますが、道長は微妙にそれをかわしているように見えます。ふたりに対しては、どんな思いで演じていましたか?

僕も「気の毒だなぁ」と思いながら、演じていました(笑)。

行成に関しては演出からのオーダーで、「行成の思いには気がつかない」方向で演じていたので、彼の言葉をシンプルに受け止め、受け答えをしました。

倫子とあき(瀧内公美)に関しては、倫子は仕事仲間で、明子は仕事に疲れた後のオアシス的な存在と僕は解釈しました。だから、倫子といざこざがあって、明子を訪ねたけれど、明子のところでもいざこざがあって、内裏で寝泊まりするようになるという……。結局、どちらとも向き合っていないんですよね、道長は(苦笑)。

普通に考えると「これ、まずいよなぁ」と思うんですけど、演出の方々から言われていたのは「その辺のことに、道長は気がつきません」ということで……。道長には少年のような天然っぽさ、まっすぐさがあって、それがおおらかさに繫がればいいのかな、と思っています。

——道長とごんとのチームワークの良さも感じられます。

僕が真ん中で、後ろに斉信ただのぶ(金田哲)、公任、俊賢としかた(本田大輔)、行成がいると、衣装がカラフルで、なんだか戦隊ものみたいなんですよね(笑)。1年半近く一緒にやっていると、絆みたいなものが自然に出来あがってきて、一緒の撮影シーンはとても楽しいです。

それは出演者に限らず、現場のスタッフすべてに繋がるものがあります。準備期間を入れたら2年以上も一緒に戦ってきたので、次の仕事の現場に行ったとき、「あれ、誰もいない?」みたいにならないか、今から不安です(笑)。


左大臣を辞め、せっしょうも譲り、隅に追いやられていく心境で「望月の歌」を詠んだ

——今回、「望月の歌」について新たな解釈が提示されました。

「望月の歌」を、「最高権力を手にした道長がおごって詠んだ歌」という従来通りの描き方をしない構想は、大石さんのなかにかなり前からあったようですね。第45回の劇中で、公任も語っていました。「今夜は良い夜だな、くらいの意味だろう」と……。

「望月の歌」は実資の日記『しょうゆう』に書き記されているんですが、実資の聞き書きなんです。それで書くときに、「このよをば……」を、「この夜」ではなく「この世」と違う漢字を書いたという説もあるそうで……。

「望月の歌」が登場した第44回は、道長が公任から左大臣を辞めるよう忠告されるなど、どんどん追い詰められていく回なんです。左大臣を辞め、摂政も頼通に譲って、最後に詠むのが「望月の歌」で……。だから、隅に追いやられていく心境、苦虫をみ潰したような、半泣きのような気持だったんじゃないかな、と思いながら演じました。

——「望月の歌」を詠むときに気をつけたことはありますか?

難しいのは、「歌をうまく詠みたい」という雑念がわくところです。本当は歌の意味だけをポンと置きたいんですけれど、雑念がその意味合いを飛ばしていくんです。変にフラットに詠むと、むしろ何か意図を感じさせてしまうのではと気になって……。

芸能指導の友吉鶴心先生に相談したら、先生も「歌の意味だけを置くのが、一番難しい」とおっしゃって、どこで言葉を区切るかなど、具体的なところを教えていただきました。

——歌を詠んだ後に、まひろと視線を交わすカットがありましたが、どんな心境でしたか?

あの日の撮影は登場人物が多いこともあって、(スケジュールが)めちゃくちゃ押していて……。心境については、よく覚えていません(笑)。ただ、この作品で道長がまひろを見るときは「ここから救い出してくれ」みたいな意味合いがあるんじゃないかなと思っています。

第6回の漢詩の会でまひろと再会するシーンでも、道長が公任たちを見送りに出る場面で、台本には「まひろを振り返り、今まで見せなかった万感の思いを、表情に表す」と書かれていました。その場面を思い出すと、自信にあふれた表情ではなく、「救ってくれ」との思いでまひろを見ていたんです。

そんなふうに、まひろに対しては強がりもせず、素のままの三郎であることが、たぶん今作にとってはすごく大事だろうなと思って演じています。それは僕なりの発見で、大石先生が書かれている意図とはズレているかもしれませんが……。

——この作品は美術も見どころですが、柄本さんの印象に残ったセットはありますか?

曲水ごくすいえん」のセットは、すごかったですね。あれは、かなり印象深いなぁ……。だって、スタジオの中に川が流れていたんですよ。そして“濃い”思い出があるのが、道長とまひろがおうを重ねる廃邸。あの廃邸にも馬が入れるような大きな池があったんです。あと、最終回に出てくるほうじょうのセットも素晴すばらしいので、お楽しみに。

美術スタッフの技術力をすごく感じます。セットに世界観が作り込まれていて、衣装とメークの力も相まって、時代劇ということを意識せずに演じられ、非常に助けられました。


「光る君へ」で感じたものづくりの楽しさを、これからの仕事にもかしていきたい

——クランプアップを迎えて、道長として1年半近く駆け抜けた感想は?

撮影が終わった実感が、まだないんですよ。まだ放送も残っていますし……。心のどこかで「終わりたくない」と思っているところもあります。最終回の放送が終わる瞬間まで、その感覚が続く気がするので、「まだ終わってない」というのが正直な感想です。もちろん現場としては終わっていて、その寂しさは多少あるんですけど、この作品自体は続いている気がしています。

——「光る君へ」への参加は、ご自身にとってどんなご経験になりましたか?

この経験が結局どういうことだったのかは、正直言ってまだわかりません。それは10年後ぐらいに感じることなのかなという気がしています。

2年近く現場をやって培われたスタッフや監督との関係値の厚みが、今後、例えば1日だけ参加するような作品に対しても、凝縮して出せないかなと考えています。大石先生が書かれた複雑な台本を、みんなで助け合いながら向き合ったことを含めて、ものづくりの楽しさに繫がっていたので……。そんな意識でこれからの仕事にも取り組んでいきたいと思うようになりました。