かんの変――寛和2年(986)、右大臣・ふじわらのかねいえ一家によるざん天皇を退位させんとする陰謀劇が起きたとき、藤原みちながは数え年21歳でした。

ドラマでは、オリジナルストーリーとして道長とまひろ(紫式部)との恋が進行していますが、寛和の変の直前、権力欲にまみれた父たちに嫌悪感を抱いた青年道長は、まひろに駆け落ちを持ちかけます。二人が交わし合った和歌と漢詩が彼の心を駆り立てたのですが、そこにはどのような意味があったのでしょうか。

道長が和歌を贈るとまひろが漢詩の句を返す形で、二人は3度のぞうとうを交わしました。通常は男女ともに自作の和歌を詠み交わすもので、これはドラマ上の演出です。

道長の贈った和歌は、皆『きん和歌集』のものです。

思ふには しのぶることぞ 負けにける 
色にはでじと 思ひしものを


密かに思いつつ耐え忍ぼうとしたが、恋心が抑えられない。
表には出すまいと思っていたのに
(『古今和歌集』恋一・503番・よみびと知らず)
死ぬる命 生きもやすると こころみに 
玉の緒ばかり はむと言はなむ


あなたに会えず死にそうなこの命が、もしかしたら息を吹き返すかもしれない。
だから試しに「少しだけなら逢っていい」と言ってほしい。
(『古今和歌集』恋二・568番・藤原興風おきかぜ
命やは 何ぞは露の あだものを 逢ふにしへば 惜しからなくに

命が何なのか。しょせんは露のようなはかないもの。
引き換えにあなたに逢えるなら、死んでもちっとも惜しくない。   
(『古今和歌集』恋二巻末歌・615番・紀友則きのとものり

『古今和歌集』は、全20巻1100首の和歌のうち、「恋一」から「恋五」の5巻360首を恋歌が占め、巻を追って恋が進行するように配列に工夫がされています。道長は「恋一」と「恋二」の巻から選びましたが、この2巻のテーマは「逢わずしてしたう恋」。歌番号がしだいに大きくなっていることは、恋心がどんどん募っていることを示しています。

1首目では隠しても隠しきれないと告白し、2首目ではせめて一目でもとおうを求め、3首目では命に換えてもいいと、恋心は燃え上がるばかりです。

また、3首目は「恋二」の巻の巻末歌。次の「恋三」の巻は、テーマが「ちぎりを結んだあとの思い」になります。プラトニックな恋が極まり、次の逢瀬で二人が初めて結ばれることは、和歌によってドラマの視聴者にほのめかされていたのです。

一方、まひろの返した漢詩句は、中国の六朝時代を代表する詩人・とうえんめい(365?~427)の代表作「きょらい」から選ばれていました。陶淵明は若い頃から、貧しい暮らしのかたわら儒学の勉強に励み、大きな志を抱いていました。

しかし30歳前後で官界に勤めると戦争や政争に巻き込まれ、俗世間に嫌悪感を抱くようになります。そして41歳の時、役人の地位を捨てて故郷に戻ると「帰去来の辞」を書き、二度と出仕しませんでした。冒頭は「帰りなんいざ(さあ帰ろう)」。俗世間を捨てる決意の言葉です。

まひろが道長に贈ったのは、「帰去来の辞」の第3句~第8句でした。

既にみずから心をもって形のえき
なんぞちゅうちょうとしてひとり悲しまん


今まで自分で心を身の奴隷にしてきた。もうくよくよと一人で悩むものか。
おういさめられざるをさと
らいしゃの追ふべきを知る


過去は訂正できないと悟り、未来を追い求めるべきと知った。
実にみちに迷ふこといまだ遠からず
今のにしてさくなるをさと


道を誤ったが、まだ引き返せる。今が正しく昨日までが間違いだったと気が付いたのだ。
(陶淵明「帰去来の辞」)

役人の世界に身を置き、生計のために心を犠牲にしてきたことを、詩人はいています。でもまだ遅くはないと自分を励まし、権力や富と関わりのない場所で生きる志を述べるのです。まひろが道長に伝えた「志」とは、これでした。

ところが、逢瀬で道長が駆け落ちを口にしたとき、まひろは彼を止め、「まつりごとによってこの世を変えてほしい」と言います。漢詩を送ったときは、陶淵明のような生き方を望んでいたはずのまひろの思いは、なぜひるがえったのでしょう。

陶淵明の400年後、中国唐代の詩人・はくらくてんはくきょ/772~846)に「けんさい」と「どくぜん」という言葉があります。「兼済」とは政治によって広く民を救済すること、「独善」は自分自身が心地よく生きることです。

白楽天は陶淵明から影響を受けましたが、一方で役人として「兼済」の使命を果たすことにも心を砕きました。民を救うための詩も創作しています。

じつは紫式部は後年、宮廷に出仕すると、白楽天の政治詩の代表作「しん」50首を、道長の娘・中宮彰子への漢文しんこうのテキストに選びました。人の上に立つ人に「兼済」の志を持ってほしいという思いは事実、紫式部の願いだったのです。

『源氏物語』には何度も「新楽府」が引用されています。ちなみに『源氏物語』には、陶淵明の「帰去来の辞」を白楽天がリスペクトして創った詩の言葉も取り入れられています。陶淵明と白楽天と紫式部は一つの線でつながっているのです。

ドラマのまひろは、寛和の変の年、数え年17歳ですが、過酷な人生を歩んできました。だから、二人きりで幸福になろうと道長に言われてどんなに嬉しかったか。でもその心を抑えて、まひろは道長に「独善」の個人ではなく「兼済」の政治家になってほしいと言ったのです。

道長こそ、自分たちの幸せのためだけでなく、多くの人の上に立ち、よりよき政をなすべき人であると――。和歌と漢詩のやりとりは、まひろの切ない心の揺れを表すために脚本家の大石静さんが凝らした工夫だったのですね。

寛和の変は、兼家一家に栄華をもたらしました。兄弟の中でも陰謀に直接関わらなかった道長は、兄たちよりクリーンなイメージで、貴族社会での好感度を上げました。政変から1か月を経て一条天皇の位蔵人いのくろうど(天皇の秘書)となり、翌年(987)にはじゅさんの位を得てぎょうへと昇進します。盟友の藤原きんとうの位を初めて超え、いよいよ政治家道長のばくしんが始まります。


〈作品出典・参考文献〉 
『古今和歌集』…新編日本古典文学全集
釜谷武志『陶淵明』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラッシクス中国の古典、2014年)
下定雅弘『白楽天』(角川ソフィア文庫、ビギナーズ・クラッシクス中国の古典、2010年)
蔵中しのぶ「三径における『荒』と『貧』――蔣詡・陶淵明・白居易」(『源氏物語の鑑賞と基礎知識36 蓬生・関屋』至文堂、2004年)

京都先端科学大学人文学部歴史文化学科教授。平安文学研究者。紫式部とその作品、また時代背景を研究している。1960年、石川県金沢市生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科修了。博士(人間・環境学)。2007年、『源氏物語の時代 一条天皇と后たちのものがたり』でサントリー学芸賞受賞。2015年、『平安人(へいあんびと)の心で「源氏物語」を読む』で古代歴史文化賞受賞。著書は受賞作のほか、『紫式部ひとり語り』(2020年)など多数。近著に『道長ものがたり』(2023年)。