紫式部はちゅうぐう彰子の女房(皇族・貴族に仕える侍女)として出仕しましたが、わずか数日で自宅に逃げ帰りました。そこには、社会経験が乏しかった紫式部自身の不器用さと、彰子女房集団独特の文化がありました。

当時の貴族は、たとえ貧しい家でも奥方や姫君が他人に顔をさらすことはありませんでした。が、女房は人前に出て、男たちをはじめ不特定多数の者の視線にさらされながら働かなくてはなりません。紫式部は働きに出た経験がなかったようで、これに強い抵抗感を覚えました。

また、夫を亡くしたかなしみをまだ引きずっていたのでしょう、宮中に上がっても自宅と変わらず憂鬱ゆううつだったと和歌にんでいます。

彰子の女房たちはそうした紫式部をのけものにし、話もしてくれませんでした。初出勤は寛弘かんこう2年(1005)の12月29日でしたが、紫式部は強烈な疎外感から正月10日ごろには実家へ戻り、その後は長く引きこもりました。

同僚たちは「偉そう」と批判します。勝手に欠勤していることが、いわゆる“重役待遇”だと解されたのです。紫式部は心が折れかけ、一人で和歌を詠みました。

わりなしや 人こそ人と 言はざらめ 自ら身をや 思ひつべき

ひどい。あの人たちは私を人扱いしてくれない。だからといって、自分で自分を見棄ててよいだろうか、いや、それはいけない。

(『紫式部集』58番)

自分を守る最後のとりでは自分。紫式部は自身で励ましたのです。やがて気にかけてくれる同僚も現れ、やっとの思いで復職したのは夏以降のことでした。

紫式部の出仕はふじわらの道長みちながや妻の倫子に抜擢ばってきされたためと思われますが、この引きこもり期間中に彼らから声掛けがあった形跡はありません。やはり紫式部の主な仕事は執筆とされていたからでしょう。宮中から逃げ出そうが傷つこうが、物語さえ書いてくれればいい――おそらくそう考えられていたのでしょう。

かつて、定子に仕えた清少納言は幸せでした。清少納言が初出仕の際、緊張している様子を見て取ると、定子自らがそばに呼んで声を掛け、本来の実力が発揮できるように導きました。彰子も観察力には優れていたようですが、見守るだけで声掛けはしませんでした。

紫式部は仕事場でのありかたを自分で模索することになりました。復帰した紫式部は、悪目立ちしないように極力“無能”を装います。すると皆が告白し始めたのです。

「紫式部さんがこんな人だなんて、思ってもいませんでしたわ。私たちあなたが来ると聞いて、『気取っていて相手を威圧し、近づきにくくてよそよそしげで、物語好きで思わせぶりで、何かというと歌を詠み、人を人とも思わず憎らしげに見下す人に違いない』と言い合って、あなたを毛嫌いしていたの。それが会ってみたら不思議なほどおっとりしているのですもの、別人じゃないかと思ったわよ」

紫式部は女性作家として鳴り物入りで出仕したため、“高慢な人物”という先入観と偏見を持たれていたのです。紫式部は驚きながら納得しました。そしてこの集団の文化と、ここでの処世術を知りました。

同僚たちの心に波風をたてないように、とにかくおっとりしていればいいのです。おっとりは無能とは違います。「能ある鷹は爪隠す」と言われるように、能力をひけらかさなければよいのです。

紫式部は“おっとり”を自分の本性とするよう努めます。こうして挫折と模索と努力により、彰子女房集団の中で居場所を獲得していきました。

やがて紫式部は、彰子自身から「あなたと心を割っておつきあいできるとは思っていませんでしたけれど、不思議なことにほかの方々よりずっと仲よくなってしまいましたこと」と声をかけられるようになります。

この言葉で明らかなように、彰子は女房たちに対して心を開いていませんでした。彼女たちは上品な姫君集団で、彰子のために働くという気構えを欠いていたのです。

ドラマの中で、中宮だい(中宮しきの長官)の藤原斉信ただのぶが「頼りにならぬ……中宮様にお伝え申せと言うても伝わらぬし。言ったことはやらぬ」とぼやいていましたが、同じような実態が『紫式部日記』にも記されています。

この現状を反映して男性貴族たちからは、華やかだった定子後宮をかいきゅうする声さえ上がっていました。紫式部は『紫式部日記』にこう記しています。「女房はお飾りじゃない。中宮様のために、もっと仕事を。もっと風流を」――。

女房仕事に不慣れだった紫式部は成長していきます。彰子は12歳で親元を離れて入内じゅだいしますが、夫の一条天皇は振り向いてくれず、周囲によき理解者もなく、重圧と孤独に耐えてきました。紫式部はそのつらい人生を思いやり、“プロの女房”として彰子を支えたいと考えるようになっていくのです。

作品本文:『紫式部集』(新潮社 新潮日本古典集成)

京都先端科学大学人文学部歴史文化学科教授。平安文学研究者。紫式部とその作品、また時代背景を研究している。1960年、石川県金沢市生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科修了。博士(人間・環境学)。2007年、『源氏物語の時代 一条天皇と后たちのものがたり』でサントリー学芸賞受賞。2015年、『平安人(へいあんびと)の心で「源氏物語」を読む』で古代歴史文化賞受賞。著書は受賞作のほか、『紫式部ひとり語り』(2020年)など多数。近著に『道長ものがたり』(2023年)。