亡き定子(高畑充希)を忘れられない一条天皇(塩野瑛久)の気持ちを彰子(見上愛)に向けさせるため、藤原道長(柄本佑)はまひろ(吉高由里子)に、物語の執筆を依頼する。演じる柄本佑に、道長の変化について聞いた。
『源氏物語』を最初に読んだときは、「汗タラ~」みたいな感じでした(笑)
——第31回で、道長がまひろに頭を下げました。どのように感じていますか。
まひろに一条天皇へ献上する新たな物語の執筆を頼んだのは、政治的な思惑というより、一条天皇が彰子の元に通ってくれるよう、娘の幸せを第一に考えての行動です。道長は、まひろの前ではほかの人に見せられないような顔や、情けなさを出せるんですよね。
——結果的に、道長が『源氏物語』の最初の読者となりましたが、ご感想は?
美しい展開だとは思いますが、最初、道長は冷静に読めていません。天皇家がモデルになっていて、「これ、一条天皇に読ませられるの?」と、“作品”としては捉えられなかったんですね。「汗タラ~」みたいな感じでした(笑)。
——一条天皇に対して直言をいとわない道長が、彰子の元に通ってもらうために物語を書かせる、という回りくどい方法をとったのはなぜでしょうか。
最初に監督やプロデューサーと打ち合わせしたとき、道長は人によって表情が変わる、声すらも変わる、そういう人物でいきたいよね、と話しました。つまり、道長は相手を見て、相手の状態を見て、態度を変えているところがあるんです。
直言するのも、回りくどくいくのも、それは一条天皇に合わせているからなんです。民や国の存亡に関わることならば、強い態度にも出られますが、それで天皇の心を彰子に振り向かせることはできません。和歌や音楽を愛する一条天皇に何が届くか……。それを“物語”だと道長は考えたのではないでしょうか。
これって、策謀というよりも人としてのつきあい方ですよね。いろいろなせめぎ合いはあるけれど、道長は最終的には一条天皇を信頼しているし、根っこの部分ではお互い強い信頼関係があるように感じます。
——信頼関係、ですか?
第25回(6月23日放送)で、道長が一条天皇に左大臣を辞めさせてほしいと言いに行くところも、「絶対に悪いようにはなさらない」という一条天皇への信頼感があってのことです。道長としては誘導したつもりはなく、純粋な気持ちで対応したのだろうと考えています。
それが周りの目からは計算高く見え、一般的な「ヒール」のイメージに繋がるのかもしれません。でも、道長自身はきれいなハートで、常にまっすぐな人間なんじゃないかな、と思います。
まだまだ道長の旅路は途上、バタバタしています(笑)
——ここまで演じてきて、道長像に変化はありますか?
当初僕が描いていた道長像は、三男坊で、のんびり屋の「三郎くん」のイメージでした。政治に積極的な兄ふたり(道隆/井浦新、道兼/玉置玲央)と比べて、道長は政治に関わらないわけにはいかないことは承知していても、前のめりではない感じで……。
かなり人間味あふれる人物像として道長を演じようと考えていたのに、なんの因果か兄ふたりが亡くなって、道長は権力のトップに立ってしまう。そして、頼れる姉(詮子/吉田羊)まで亡くなると、当初描いていた「三郎くん」像とズレはじめたんですね。
政治のトップとして一条天皇に対して意見したり、娘の彰子のために謀をしたりと、だんだん今まで演じてきた道長とは乖離した部分があらわれてきて……。そうしたときに、今は左大臣だけど、元々はまひろとの約束を果たそうとする「三郎くん」だったんだ、という変わらない人間性の部分がより大切に思えてきて、そこを意識しながら演じています。
——まひろとの約束というのは?
「民のための善き政を為す」ことです。これには、直秀(毎熊克哉)の死が大きく影響していて、自分の愚かしい行動のせいで直秀を亡くしてしまった、その後悔が「善き政」の必要性を実感させたのではないかと思っています。
——政権のトップに立ったと意識するようになったのは、いつごろですか?
第29回(7月28日放送)で、女院様(吉田羊)の「四十の賀」のときに、倫子(黒木華)との息子・田鶴(三浦綺羅)と、明子(瀧内公美)との息子・巌(渡邉斗翔)が舞い踊るシーンで、道長は田鶴に「泣くのはやめよ」と厳しい言葉をかけるのですが、そのころから道長の視野がさらに広がって、政権のトップにいる自覚がはっきりしてきた感覚がありました。
——兼家(段田安則)と重なる部分が出てきたように思いますが、演技をするうえで意識されている部分はありますか?
難しい質問ですね……。何度も「父と同じことはしたくない」と言っていたのに、結果として、同じようなことをしてしまっている道長がいて……。父上は「家のための政」で、道長は「民のための政」と、同じことをしていても、出発点が違うんだ、気持ちの部分が違うんだ、と整合性を保っていますけど……。
正直なところ最終回まで台本をいただいて、読み切ってみないとわかりません。まだまだ道長の旅路は途上なんで、問題山積み、バタバタしています(笑)。
今、僕の最大の観客は大石静さん。中途半端なものを見せるわけにはいかない
——まひろの子どもの父親が道長という展開は、予想していましたか?
いや、してなかったです、全く。台本を読んで「大石さ~んっ!」と思いました(笑)。いいんじゃないですかね。やっぱり“ドラマ”をやってるわけですから。
——台本を読むまで知らなかったんですか?
いえ、現場で、脚本の大石静さんか制作統括の内田ゆきさんから、そういう展開が案として出ていることは聞いていたんですけど、「まさか」と思っていました。いざ台本に書かれてきたときは、「このチームは、そういう決断をするチームなんだ」と覚悟を感じましたね。このチームがより好きになったし、勇気をもらいました。
——今週の放送で、道長が賢子(福元愛悠)を膝に抱いたとき、どんな気持ちでしたか?
ご想像にお任せします。ハハハ……。
大石さんの台本は、演じる側にいろいろ託されているんですよね。「……(万感の思いを込めて)」というト書きが書かれていたりすると、ものすごいハードルを感じます(笑)。でも、きっと大石さんが楽しみにしているであろうシーンなので、「収まっちゃう」のも申し訳ない気がするし、中途半端なものを見せるわけにはいかないなぁって思っています。
そういう意味では、今、僕の最大の観客は大石さんですね。個人的な思いだけど、判断する基準が「大石さんが見たらどう思うかな?」みたいな。でも、それはそれでいい気がしています。むしろ、そのほうが僕としてはやることが明確で、そこから広がって、見ている方たちに届くようになっていたらいいなと思いますね。
——「今、俺が見ている月を、誰かが一緒に見ていると願いながら」とまひろに語りましたが、“誰か”とは誰のことだと解釈していますか?
道長は非常にストレートな人なので、まひろのことだと思って演じました。離れている時間のほうが長かったまひろに対して、自分の思いを素直に伝えたのだと思います。
このシーンは、これまでのふたりの関係を清算して、そこからまた先に進む意味を持っています。行きつ戻りつしながらも推進力が必要で、非常にエネルギーを使いました。長時間だったせいもありますが、吉高さんと協力し合いながら、切磋琢磨しながら撮影した、とても印象深いシーンです。
——まひろと道長の関係は“ソウルメイト”とされていますが、柄本さんはどんな関係だと思いますか?
うーん、本気を出せる人というか、愛し合うにしても憎み合うにしても、弱みを見せられる相手でしょうか。中途半端がない関係で、とことんいがみ合ったり、怒り合ったりできる……。極端な話、本気で決別できる存在だと思って演じています。
まひろが内裏に上がって『源氏物語』を書く姿は、「めっちゃ、紫式部!!!」で、感動しました
——SNSなどには「道長が実態よりいい人に描かれすぎだ」という意見もあるようですが、柄本さんはどう思われますか?
いろんな意見があるというのは、僕はいいことだと思います。でも、僕ら役者は台本に書かれたものを100パーセント信じて演じるだけです。
最初の打ち合わせのときに、大石さんが「いわゆる悪者としての道長像ではない道長を描きたい、新たな道長像を描きたい」と言われていて、そういう意味では、「光る君へ」の台本の強度は実際高いですし、「光る君へ」の道長はこうなんだという説得力があると思います。
たとえば彰子が入内するときに道長が持たせた屏風ですが、花山院や公卿たちの歌を署名付きで屏風に貼るというのは、かなり掟破りで“えげつない”ことらしいんです。一条天皇も、ひと目見て「うわっ」というリアクションになっていましたし、実資(秋山竜次)も日記に「公私混同だ!」って書いているらしいし……(笑)。
でも、道長自身は必死に娘の幸せを願っているだけなんですよね。「この屏風があれば、一条天皇が彰子に目を向けてくれる」との一心で。それが、別の人から見ると非常にエグいことになる。そんなことの連続が、現在の一般的な道長像を作っていったような気がします。本当の道長は非常にまっすぐな人なのかもしれません。
——最後に、今後の見どころをお願いします。
いまスタジオでは、まひろが内裏に上がって『源氏物語』を書くシーンを撮影しているところなんですけど、その姿は「めっちゃ、紫式部!!!」です。“超”紫式部(笑)。
最初に見たとき、僕がスタジオに入っていくと、吉高さんが女房の扮装で書の練習をしていたんですね。そのシルエットが石山寺の紫式部の石像そのままで……。「すげぇ……!」と感動しました。
まひろが物語に取りかかるときの表情と芝居は、ちょっと気を抜いたら道長がタジタジになるぐらいの強さがあります。ぜひ楽しみにしてください。