いちじょう天皇(塩野瑛久)に向けて書いた『源氏の物語』が認められたまひろは、ふじわらの道長みちなが(柄本佑)の手配によって、ちゅうぐうあき(見上愛)に仕える女房としてだいに上がることになった……!

新たな展開を迎えたまひろの胸のうちについて、演じる吉高由里子に話を聞いた。


「お前がおなであってよかった」という言葉に、今までの苦しかった歩みがすべて報われた

――第32回「誰がために書く」で、まひろにとっての物語の位置づけが変わったように感じますが、吉高さんはどのように思いますか?

最初は「帝にお読みいただくため」に書いていた物語が、途中で偽物にせものっぽく感じたのではないでしょうか。もちろん、「頼まれたことに応えたい」という気持ちで書き始めて、「結果を残してやろう」なんて考えてもいなかったでしょうけど、次第に物語の書き方や向き合い方が変化していったと思いますね。帝に献上するための物語ではなく、自分が面白いと思う物語を書きたい、と。

その「書きたい」気持ちにたどり着くのが、作家さんはすごく大変だと思うんです。そして、書きたい気持ちがあっても、書きたいものが明確にならないと書けないし、そういう意味では、まひろはバチッと書きたいものと出会ったんじゃないでしょうか。

そうなると夢中になってしまう猪突猛進型の人間です。物語が頭の中でどんどん走っていったんじゃないかと感じました。書き始めるにあたって、道長から帝の幼いころの話を聞いて、自分の子ども時代のことも思い出して、それもあって物語に没頭していったんじゃないでしょうか。

――父のためとき(岸谷五朗)から「お前がおなであってよかった」と言われましたね。

そこはすごく大事な場面で、これまで「おまえが男だったら」としか言われていなかったまひろが、「やっと認められた、生まれてきてよかった!」と思えた瞬間でした。

まひろにとって、いちばん認めてもらいたいのが、為時だったと思うんです。父親が学者肌じゃなかったら、自分もこうなっていなかったはずだし、その遺伝子があったからこそ作家として注目されるまでになったのでしょう。だから、まひろにとっては、すごく大きな、大きなひと言だったと思いますね。

自分の居場所をやっと見つけた、今までの苦しかった歩みがすべて報われた、と感じながら、為時の「女子であってよかった」というセリフを聞いていました。


今では変体仮名も読めるようになっていて、身についているのが怖いくらいです(笑)

――柄本佑さんが吉高さんについて「めっちゃ、紫式部!!!」と話していましたが、ご自身としての実感は?

えっ、佑くんが? ハードルを上げるようなことを言わないでほしいんですけど(笑)。

だって、紫式部に会ったことがないもの。いつも思うんですよ。これほど有名な女性なのに、「なぜ、こんなに情報がないの?」と。もし彼女が生きていたら、「女性の視点で物事を見ていたから『源氏物語』が書けたの?」など、いろいろ聞きたいです。

まつりごとをしていた人からは見えない状況や関係性が、紫式部には見えたんでしょうね。もし男性の式部が書いたら全然違う話になったかもしれない。やはり女性ならではの作品という気がします。

自分のSNSで紫式部のことを「パープルちゃん」と表現したりして、皆さんに愛されるキャラクターになればいいなと思いながらやっています。

——吉高さんご自身で成長を感じる部分はありますか?

自分でわかる成長は、“書”ですね。撮影が始まる半年以上前からコツコツ練習してきましたが、第2回で書いた字は目も当てられないようなものでした。でも、当時のまひろは10代の設定だったし、今は40代のシーンも撮影していて、「役と一緒に、吉高さんの字も成長したね」と書道指導の根本(さとし)先生から言われます。向き合った時間の分だけ、ちゃんと応えてくれるものなんですね。

新しいことを覚えるのはプレッシャーもありますが、できなかったことができるようになっていく楽しさを10代のころのように感じていて、30代半ばになっても自分が成長していく感覚を経験できていることに、すごくワクワクしています。

ただ、それを本番でやらなきゃいけないのが……。撮影現場で監督さんから「ここは硬いから、もう少し柔らかく」とか、「楽しそうに」とか言われるんですよ。全員に見られながら試験を受けているような感覚があって、もうおびえながらやっています(笑)。

——これまでと比べて、“書”のシーンに変化はありますか?

まひろとしては仮名文字を中心に、でも道長との文通には漢字を使って、仮名と漢字の両方をやってきたので、『源氏物語』は集大成という感覚があります。『源氏物語』には漢字も仮名も出てきますし、現代ではあまり使われていない変体仮名も出てきます。今ではその変体仮名も読めるようになっていて、身についているのが怖いくらいです(笑)。

根本先生は、私が書いてきた字の癖も理解してくださっていて、「こういう字のほうが相性良かったね」とか、「ここは、あえてこうやってみよう」とか、配慮したうえで字を考えてくださるので、なんだかゴルフのキャディーさんみたいです。「次、こう打って、このクラブでいきましょう」という感じで(笑)。

書の練習は、すごく孤独なんです。膨大な練習時間を費やしているのに、書いている文字を撮る時間は短くて、30秒もしないうちに終わってしまったりして。だから家で練習している時間の孤独さを、いちばんわかってくれているのは根本先生だなと、すごく相棒感が強く、一緒に挑戦している感じがあります。


一緒に同じ方向に進むまひろにとって、道長は「生きがい」なのでは

――まひろと道長は“ソウルメイト”と言われますが、吉高さんは、道長はどんな存在だと思いますか?

道長とまひろは、もう恋愛という次元を超えていて、「戦友」とかでもないですし……。もしかしたら「りどころ」なんですかね。なんだか、お互いに「光と影」のような存在で。まひろが影の部分にいるときは、道長が光っていて、まひろが光るときには道長が影で支えてくれたりする、そんな関係じゃないでしょうか。

それでも、やっぱりかれ合っているのは、ずっと変わらないと思うんですよね、道長のことをずっと想っているし、その気持ちが爆発しないように、一生懸命自分でふたをして、その蓋をしている箱から距離を取って、という気持ちだと思います。

だけど、一緒に闘う、同じ方向に向かって進んでいるふたりとしてはすごく心強くて、道長の存在はまひろにとって「生きがい」なんじゃないかな、と思います。道長とどうこうなりたい、ではなくて、彼が生きていることが自分の生きがい、この世にいる理由という感じがしています。 


賢子との親子関係は、一緒にいるのに「……」という無言のセリフが続いて、リアルな感じがします

――ドラマ後半でのまひろの見どころは?

ひとつは、自分の娘であるかた(福元愛悠)との関係性、向き合い方ですね。まひろが子どものころ、母親(ちやは/国仲涼子)の死をめぐって、為時とうまくいってなかったのに、自分の子どもとも同じような状態になってしまっていて……。

まひろにとって子どもを育てるのは初めての経験ですし、“負の連鎖”の面もあるんでしょう。自分のことなら「できる、できない」を理解できても、子どもに対しては「なぜできないのか」となってしまって、どう向き合ったらいいのか、相当頭を悩ませたんだろうな、と思います。

私自身、まだ「娘」という立ち位置しか人生の中では経験したことがないので、母親として子どもとぶつかり合ったりとか、思春期を迎える娘と急に仲よくなったりとか、そういう家族の距離感というのがつかめなくて「母親役って難しいな」と思います。

賢子との親子関係は、リアルな感じがします。ぶつかり合ったり、一緒にいるのに「……」という無言のセリフが続いたり。そういう台本を見たことがなかったので、おもしろいです。もう想像するしかないので、自分の周囲にいる親子を見たり、これまで見てきたもの、感じてきたことを思い出したりしながら、探り探り演じています。

——親子関係以外の見どころは何でしょうか?

もうひとつは、「産みの苦しみ」を味わう作家としての悩みですかね。よく大石静さんが、「産みの苦しみを頑張って乗り越えて書いています」とおっしゃるんですが(笑)、まひろも同じような苦しみを味わっています。

物語が頭の中に思い浮かんだときの、気持ちが乗る、筆が踊るように書けるみたいなスピード感を持てているまひろもいれば、まったく進まない、書けない、思い浮かばないと苦しむまひろもいます。そんな作家としての苦悩も描かれるので、注目してください。