4歳年下の一条天皇(塩野瑛久)の東宮として25年を過ごし、36歳で即位した三条天皇。藤原道長(柄本佑)の圧力に屈し、在位5年で幼い後一条天皇(橋本偉成)に譲位することになったが、その心中はどんなものだったのか。演じる木村達成に聞いた。
娍子と敦明に何も残してあげられなかったのが、三条天皇のもっとも悲しいところ
——三条天皇を演じて、どんな人物像を思い描きましたか?
悲しい天皇だったな、と思います。道長とは仲よく切磋琢磨していける余地はあったと思うんです。実際、最初のころのふたりの関係は悪くなかったんですから。それなのに、道長は道長の正義を、三条天皇は三条天皇の正義を追い求めて、ふたりの進むべき方向が変わってしまって……。
——道長の正義は「民のための政」ですが、三条天皇の正義とは何でしょう。
生まれてこのかた「天皇になる順番を待つ」道しかなかったので、「どんな政をしたいか」についてはどこまで考えていたのでしょう……。
でも、自分がそのポジションを降りたら、妻の娍子(朝倉あき)や息子の敦明(阿佐辰美)が路頭に迷ってしまう。だから、民に対してどうこうより、娍子や敦明など自分の周囲の人を幸せにするにはどうすればよいか、それが第一だったと思います。
東宮だった居貞親王時代、一条天皇は道長たち公卿の策略によって動かされることが多いと感じていたのではないかと思います。だから、帝みずからが政治を動かす必要性を強く意識したのではないでしょうか。政治で一番大切なのは人事ですから、後ろ盾のない娍子や敦明を支える布陣を組むことを急ぎました。
敦明の結婚相手に顕光(宮川一朗太)の娘・延子(山田愛奈)を選んだり、娍子の弟の通任(古舘佑太郎)を参議に取り立てたりしたのは、すべては娍子や敦明の安定のため。ふたりのためには道長と戦うことも厭わなかった点が、三条天皇ならではの特徴だと思います。いい意味で、前例を壊すことを恐れなかったのでしょう。
それなのに、自分がいちばん大切に思っていた娍子と敦明に、結果的に何も残してあげられなかったのが、三条天皇のもっとも悲しいところですね。
笑顔って時おり不気味に見える瞬間があるじゃないですか。それを計算しながら演じました
——「光る君へ」に出演オファーされたときの感想をお聞かせください。
前回出演させていただいた「青天を衝け」(2021年)では、幕末の志士役だったんですけど、今回は平安時代の天皇役ということで、うれしいと同時に、大変な役回りだなと身の引き締まる思いがしました。期待を裏切らないよう、そしてある意味裏切るような、そういった天皇を演じられるように頑張りたい、と強く思いました。
——役作りで気をつけたところはありましたか?
監督たちから「明るいキャラクターであってほしい」と言われていたので、常に笑顔を振りまくよう意識しました。笑顔って時おり不気味に見える瞬間があるじゃないですか。それを計算しながら演じました。
あとは、「前例に縛られない」というのが居貞親王のキャラクター付けだったので、どこまで自然体でいられるかを意識しました。
——木村さんは舞台の出演が多いですが、映像作品との違いを感じることはありましたか?
そんなに違いはないですが、意識的に変えたのは、人との距離感ですね。舞台だと一番後ろのお客さまにも届くよう、自分と話す相手と客席の三角形をイメージしながら演じます。でも、映像の場合はカメラで抜いてくれるので、自分と話す相手との線だけを意識しました。
——衣装はいかがでしたか?
衣装の力を感じることが多かったですね。一条天皇から譲位されるシーンでは、オレンジ色の衣装を着ていたんですけど、「やっときた」という居貞親王の気持ちを表すように、パッと明るい色で、気分が盛り上がりました。
一条天皇に会いにいくとき、「ここが間もなく自分の場所になるんだな」という気持ちを噛みしめ、周りの風景や空気感を味わいながら廊下を歩きました。
天皇になったからには自分が思うようにやりたいと、仮に破滅への道だとしても突き進むしかなかった
——年下の天皇がいる東宮の立場が25年間も続きました。
プライドがズタズタになる長さですよね。冷泉天皇の皇子として、そして摂政・兼家(段田安則)の孫として生まれたがゆえに、年下の天皇を持つ東宮になった。もし一条天皇が長生きしたら、自分が天皇になることはないんですから。
それが、降ってわいたように一条天皇から譲位された。天皇になったからには自分が思うようにやりたいと考えるのは当然でしょう。それが仮に破滅への道だとしても、突き進むしかなかった……。そう考えると、本当に悲しい25年間だったんだなと思います。
——道長との関係は、天皇に即位するまでそんなに悪くなかったように思うのですが……。
東宮時代は道長のことを「叔父上」と呼んでいたんです。それが、第40回で一条天皇の体調が悪くなって、道長から「帝が東宮に会いたいと言っている」と伝えられるシーンで急に道長のことを「左大臣」と呼ぶようになりました。
呼び方が変わるって、とても大きな変化じゃないですか。きっと天皇になる期待がグッと高まり、これまでとは自分の立場が変わることを、居貞自身が意識した瞬間でもあったと思うんです。「左大臣」と呼ぶことで、モードが切り替わった感じがしました。
——兼家から連なる藤原家に対して、どんな感情をお持ちでしたか?
自分が兼家の孫だということを理解したうえでですが、あまり良くは思っていません。兼家は花山天皇(本郷奏多)をだまして退位させるという行為をしていますし、それを道長たち兄弟が手伝っていますから。
第40回の準備稿に、居貞親王のセリフで「道長の父はまだ19歳の帝を陰謀によって引きずり下ろした。あいつも何をしてくるかわからんが、私は負けぬ」という言葉があったんです。完成台本でなくなりましたが、そのセリフが自分の中にすごく残っていて、道長に対して「負けない」という気持ちを刷り込まれた部分があります。
——同じ一族に道綱(上地雄輔)がいて春宮大夫を務めていましたが、どう見ていましたか?
バランスって大切で、道綱みたいな人間がいないと、堅苦しすぎるんですよね。ああいう頼りないタイプが1人いるだけで、お茶の間も賑わうし(笑)。あれだけ「頼りにしておるぞ」と伝えていたので、いつかは何かをやってくれる男だと信じていましたが、最後まで何もなかったのは残念です(笑)。
娍子はいつも親身に寄り添ってくれる大切な人。娍子がいないシーンを撮影するときは本当に心細かった
——娍子を妃としているところに、道長の娘・妍子(倉沢杏菜)が入内してきました。
妍子の入内は道長の策略です。でも、妍子を蔑ろにして自分や娍子が“悪者”として捉えられるのは困る。だから、かなり神経を使いました。三条ひとりが頑張っても、帝として走り抜けられるわけでないことは理解していたので。
——妍子に対して、三条天皇は興味を持っていたように見えましたが……。
妍子との関係は、「東宮の妃となった」とナレーションで説明されるだけで、あまり描かれないので難しかったです。でも、道長が先手を打ってきたと感じました。だから、妍子にどう対処するか見極めようとしていたところがあります。娍子や敦明を守るためには、妍子は切り札に使えるという計算もあったので。
もちろん、三条天皇は悪事を企むような人間ではないので、妍子に対して情が湧いてきている部分もありました。でも、一番は娍子ですね。娍子も妍子の入内によって自分の立場に不安を感じたでしょうし、息子の敦明の将来のことも考えながら、打てる布石は打っておきたいと、娍子を皇后にしたのだと思います。
——三条天皇にとって、娍子はどんな存在でしたか?
どんな時も自分を支えてくれる大切な人ですね。娍子の身分は低いけど、三条天皇が皇后にしたいと思うわけですから、本当に好きなんでしょう。いつも親身に寄り添ってくれるので、娍子がいないシーンを撮影するときは本当に心細かったです。それは娍子というより、朝倉あきさんの温かさ、パーソナリティーのおかげでもあるんですが……(笑)。
三条天皇が“陽”を演じれば演じるほど、道長の“陰”の部分が際立つと、とことん明るく気丈に演じた
——三条天皇を演じる上で気をつけたことはありますか。
僕は、三条天皇を“悲しい人”とは思いましたが、だからと言って“かわいそう”に見せたいわけではありません。妍子を中宮にしたあと、娍子を皇后にするよう道長に仕掛けるシーンでは、三条の頭の切れの良さだけでなく、駆け引きを楽しむ様が見えるよう演じました。結果的に、立后の儀に誰も来ないとか、かえって娍子につらい思いをさせてしまいましたが……。
“陽”を描けば、その分“陰”も濃くなると考えて三条天皇のキャラクターを作りました。どんなに追い込まれても、とことん明るく気丈に振る舞う。家族を大切にする気持ちを前面に出す。そうやって三条が“陽”を演じれば演じるほど、道長の“陰”の部分が際立つと思ったんです。
三条天皇の悲しみは、自分のまわりからどんどん人が離れていく孤独感からくるものでした。一方で、三条天皇は人の本音に気づかない鈍感力のある人物でもありました。だから、どんな時でも明るく気丈に振る舞うことで、相対的に切なさが増すのではと考えました。
もし視聴者のみなさんに「道長が悪い」「道長は嫌なやつだ」と少しでも思っていただけたなら、三条天皇としての役目は果たせたのではないかな、と思っています。