まひろ(吉高由里子)に「『源氏の物語』を恨んでいる」と言っていたききょうだが、第43回では、大宰府に出立する藤原隆家(竜星涼)に「恨むことはやめた」と告げた。ききょうに何が起きたのか。演じるファーストサマーウイカに、彼女の解釈を語ってもらった。
藤壺を訪れる場面では、いつも通りのききょうだったら、楽しい女子会ができただろうに、と思った(笑)
——以前のインタビューで、ウイカさんは「ききょうのことは自分としか思えない」とおっしゃっていましたが、歳月を経た彼女をどのように感じていますか?
ききょうにとっての「光る君」だった定子様(高畑充希)が崩御された後は、ずっと闇に包まれているような余生を過ごしていたと思います。
定子様を失ったききょうにとって、最後に残った“光”が「書くこと」であり、自分という車を走らせるガソリン。書くことによって自分を奮い立たせていたんでしょう。その『枕草子』が一条天皇(塩野瑛久)の心から離れてしまった。ききょうにとって、どれだけの絶望だっただろうかと思います。
それでも光を探そうと、定子様の遺児・脩子内親王(海津雪乃)や敦康親王(片岡千之助)のお世話をしているのかな、と感じました。
ききょうを演じてきて、「もし大切な人や目標など、自分にとっての光のような存在が失われたとき、私ならどう生きるんだろう?」と、より一層深く考えるようになりました。
——ききょうの考え方に変化はありますか?
ききょうというキャラクターに対しては、他人とは思えないほどの親近感を抱いていましたが、ドラマの後半では「私なら言わないな」という場面もありました。
でも、人生ってグラデーションのあるものだし、私がききょうにとっての定子様のような存在を失ったり、闇の中で必死にもがかなければ自分を保てないような状況になったりすれば、また感じ方は変わるかなとも思います。
——それは、具体的にはどんなところですか?
第41回で、ききょうが藤壺を訪れ、中宮様(彰子/見上愛)へ敵意を露わにする場面がありました。嫌な感じで、視聴者のみなさんからは「痛々しい」とか、「昔のききょうはすてきだったのに」という感想もいただきました。私自身、このシーンが一番苦しかったし、撮影日が来るのが嫌でした(笑)。演じる側としてもしんどいシーンでした。
あの場面って、実は清少納言(ききょう)と紫式部(まひろ)、和泉式部(あかね/泉里香)、赤染衛門(凰稀かなめ)が初めて顔を合わせているんですよね。いつも通りのききょうだったら、和泉式部とかに「ウェーイ!」って感じで、楽しい女子会ができただろうに(笑)。
終始自分の世界だけで、言いたいことを一方的に言って帰って行くという……。そりゃ、まひろも直後の日記にききょうの悪口を書きますよね。「ひどい方になってしまった」と。
この展開が決まっている以上、このシーンは今まで以上に印象的でなければと思っていました。虚勢を張り、皆が凍りつくようなことを言い放っていましたが、心は張り裂けんばかりの悲しみと悔しさが充満していたので、やっぱり演じていてつらかったです。
権勢をふるう道長(柄本佑)に対する恨みが深くなりすぎて、理性を失っていましたね。
ききょうが恨みを捨てるきっかけは、敦康親王が東宮になれなかったこと
——そんなききょうが、第43回では、隆家に「恨みを持つことで、己の命を支えて参りましたが、もうそれはやめようと思います」と語りました。
突然でしたよね。憑き物が落ちたようで。台本を読んだとき、「えっ? 牙が抜けたー!」と驚きました。ネットで表現されていた「ききょうの闇落ち」的な意味で言うと、「闇が晴れた」なのか、「闇から這い上がった、抜け出した」なのか……。
ちなみに私は「闇に落ちた」とは思っていません。光を失えば闇に包まれるのはしかたのないことで、ききょうは闇の中で必死にもがき苦しんでいました。光を探し続けていたんです。
恨みを捨てたきっかけが何なのか、台本には描かれていませんが、やはり大好きな定子様の息子である敦康親王が、結局は東宮になれなかったことが大きかったと思います。
定子様が亡くなってからは、双六に例えるなら出る目出る目で全部マイナスのマスに止まってしまうようでした。「どうにか次こそ!」と思っていても、次々と身内に不幸が降りかかってきて……。媄子様が亡くなったり、敦康様が東宮になれなかったり、悪いことが続いて万事休したんでしょう。
その刹那、「恨んでも、意味がなかった」と、ききょうの恨みがフッと消え去ったのかもしれません。急に糸が切れる瞬間って、ありますよね。限界まで頑張って物事に取り組んでいるときに、プツンと「もう無理だ。疲れた」と思ってしまう感覚。あるいは引退を決心したときのような、「やれることはやった」という感覚。
すごく悲しいけど、自分にはどうしようもできない、天が与えた「宿命」のように感じました。ただ、恨みはなくなったけれど、元々の一筋縄ではいかない性格は、経年変化で、ちょっとねじれた感じで残っているとも思っています。
——脩子内親王と敦康親王に対しては、どんな感情を抱いているのでしょう?
悲劇的な人生でありながら、ふたりは達観してるんですよね。
横スクロールのゲームで表現するなら、2本ある道の、ボーナスコインが全然取れないほう、「別の分岐点を選んでたら、コインがいっぱいもらえたのに」みたいな、そういう人生を歩いているのに、ふたりは「天命だよね。私たちはこういう星の下に生まれたんだよね」という感じで……。
だから、より悲しいんです。もっと置かれた状況に抗って「こんな人生、やだ!」と言ってくれたら、こっちも「よーし、ほな、おばちゃんも頑張るよ!」となれるのに、子どもたちは諦観でもなく達観しているからこそ、過去に囚われているききょうには切なくて、やるせなくて。
私にはまだ子がないから想像でしかないのですが、自分の子に「うちは貧乏だから夢なんか見れない。本当は宇宙飛行士になりたいけど、学校にも行けないから諦める」と言われたような申し訳なさ、悔しさというか。やり場のない思いを抱えつつ、ききょうは「脩子様と敦康様が健やかに育つことをお手伝いするしか、私にできることはない」と思ったのではないでしょうか。
かつて定子様がお召しになった黄色の着物を、ききょうが着ていることにお気付きの方がいて、うれしかった
——劇中の時間経過とともに、ききょうの衣装も少し変わりましたね。
第37回で、媄子内親王の喪が明けてから、ききょうはかつて定子様がお召しになった黄色の着物を着ているんです。金色の地にカラフルな刺しゅうが入った着物で。第38回で、『源氏の物語』を読んだと、まひろに会いに行った際にも着ていました。
衣装さんから「これ、定子のですよ」と言われた瞬間、「わぁ!」と涙が出そうになりました。キャラクターの背景を裏付けるアイテムを用意してくださって、本当に感謝です。撮影に向かう気持ちが、グッと昂りましたので。定子様の形見の品だから軽々しく扱えないし、より丁寧に着ようという思いもありました。
この着物のことはドラマの中で説明されませんでしたが、細かく見てくださっている視聴者の方には、お気付きの方もいらっしゃって、こちらの想いが伝わっているのがうれしかったです。
——風俗考証の佐多芳彦先生に話を聞いたとき、ききょうの裳のさばき方が、とても上手だとおっしゃっていました。
うれしい! やった! もっと言ってください!(笑)練習しました。特に若いころはキビキビした感じを出したいと思って。所作の1、2秒が、キャラクターを印象づけるんですよね。
ききょうが出るシーンは1話ごとでは数分なので、その瞬間瞬間、定子様がいなくなってからの歳月を表現することが私の任務。それを視聴者の方たちに届けるため、どれだけ濃度を高めて表現できるか、常に意識していました。細かなところを見ていただいて、本当にうれしいです!
ききょうとまひろの、年を重ねてからの関係は、「因縁」かもしれないし、「腐れ縁」かもしれない、不思議な縁
——時を重ねて、ききょうにとってまひろはどういう存在になっているのでしょう?
かつては「私の友です」と紹介できたし、自分に起きた出来事を逐一報告して「あなたはどう思う?」と意見を求めたりするような間柄でした。「圧が強めな先輩と、苦笑いしながら話を聞いてくれる後輩」みたいな関係とでも言いましょうか。
でも、いろいろなすれ違いから亀裂が入って、ひと言で「友だちです」と言える仲ではなくなってしまいましたね。ただ、「じゃあ、ライバルですか?」と言われると、「対等じゃないんですけど」と、ちょっとイラッとしてしまいます。そこにプライドが滲み出て、友だちでありライバルではあるけれど、お互いに真正面からは認めたくない感じ、複雑な感情を抱えているんですね。
でも「好き」だけど、大手を広げて「一生友だち!」とは言い切れない存在って、いますよね。そんな関係は意図的には作れないから、特別な存在ではあったのは間違いないです。一緒に働いたこともなく、寝食をともにしたわけでもないのに、そういう感情が芽生えるというのは、同じ「作家」だからなのか……。
年を重ねてからのふたりの関係を表現するベストな言葉が、今も見つからないんです。「因縁」かもしれないし、「腐れ縁」かもしれない。まあ、まひろにとっては、道長も因縁、腐れ縁の関係ですよね。でも、そういう縁ってお金では買えないもの。きっとこの物語では、まひろとききょうは不思議な縁でつながっていたんだろうな、と思いました。
——ふたりの関係が今後どうなるのか、とても興味深いです。
またどこかで突然、ききょうが藤壺にカチコミをかけたときのように強烈な「挨拶をかましに行く」のか(笑)、楽しみにしていただければと思います。
どこかに「ききょう」というタトゥーが入ったんじゃないかと思うぐらい、自分の中に刻み込まれた1年だった
——改めて、「光る君へ」への出演はどんな経験になりましたか?
民放ドラマの場合は長くても3か月、映画の撮影も濃密ではあるけれども、撮影時間はキュッと短くなっていて、役や作品にかける時間は短期集中型のものが多いんですよね。でも、大河ドラマの撮影は1年半も続きますし、私は第6回からほぼフルに出演させていただいたので、1年以上も役を背負い続けて……。
その間、頭の端にききょうのことがよぎらない瞬間のないよう、自分の髪を姫カットにしたりもしました。どこへ行っても「『和』の雰囲気だね。大河をやってるから?」と聞かれて、みんなに「そうなんです。平安時代の大河で」と説明をして、常に自分に「ききょうであること」を課した1年でした。それが心地よい瞬間もあれば、やはりプレッシャーを感じることもありました。
大河から得たものが、体に刻まれている感じがしますね。どこかに「ききょう」というタトゥーが入ったんじゃないか、と思うぐらい。それぐらい自分の中に刻み込まれた1年でした。いつかエッセーを書くことがあれば、「光る君へ」のこと、ききょうのことをたくさん書きたいです。
今も放送を見ながら「うわっ」とこみ上げてくる瞬間があって、しばらくはロスが続くだろうと思います。この作品に参加したことで、役との向き合い方など俳優としての学びがあって、本当に特別なボーナス・ステージみたいに感じています。もう「光る君へ」に出演しなかった俳優人生は考えられないし、もし、ききょうという役に出会ってなかったらと思うと、怖いくらいです。