パリ五輪の期間、ききょう(清少納言)を演じるファーストサマーウイカさんが作品への思いを語りつくすコラムを、全3回の連載記事としてお届けします!
第2回は、『枕草子』に織り込んでいた「使命」について語ります。
※この記事は、ファーストサマーウイカさんへのインタビュー取材をベースに、ご本人監修のもと、コラムとしてまとめたものです。
『枕草子』には、定子様の悲しい人生を楽しい思い出で上書きしたいという思いがある
秋は夕暮れ、夏はサマー! 第21回(5月26日放送)の放送後、「#光る君へ」とともに「#枕草子爆誕」がトレンド入りしていて、思わず拳を握りしめたファーストサマーウイカです。
「光る君へ」の中では、ききょうが『枕草子』を書いたきっかけは、まひろ(吉高由里子)に「『史記』ではなく、“四季”のことを書いてみたら?」というヒントをもらった設定になっています。
その前提として、ききょうには「定子様(高畑充希)の心の支えになりたい」という強い思いがありました。自分が書いたもので定子様の沈んだ気持ちを紛らわせたい。楽しかったころの記憶を思い出して、笑顔を取り戻してほしい。彼女の悲しい人生を、美しい思い出で上書きしたい……。『枕草子』を書き始めた裏には、そんな思いが隠されていたのでしょう。
だから、実際の『枕草子』でも悲しい出来事はほとんど描写されてなくて、定子様が亡くなられたときのことはもちろん、父親の道隆(井浦新)が世を去ったことも、具体的な描写がされてないんですね。衣服の説明から、お葬式らしき雰囲気だけは伝わってくるけれど……。
定子様のサロンの華やかさを象徴する「香炉峰の雪」のシーンで、一条天皇(塩野瑛久)も加わって、みんながはしゃいで一緒に雪遊びをしたことや、伊周(三浦翔平)と隆家(竜星涼)が一緒に舞ったり、みんなで歌を詠んだりしたときの、ポジティブな気持ちを定子様に補給したかったのだと感じています。
書き綴った「春はあけぼの」を定子様が読んでくださるのを見て、ききょうが背中で涙しているシーンがありましたが、引きこもり状態の定子様が能動的になってくれた姿に胸を打たれ、「読みたいと思ってくれるなら、明日も書こう!」と、心に誓ったのだと思います。
監督からもらった電話に、シーンの情景が浮かんで震えた
「春はあけぼの」の朗読シーンは紆余曲折がありまして、実は私も『枕草子』の「春」から「冬」まで朗読したものを録音していたんですよ。原文と現代語訳の両方のパターンで。
すると編集が終わろうかという時期に、この回を担当する原英輔監督から電話があったんです。「すみません。あのシーンは高畑さんの声でいきます。快活なききょうが黙々と書いたときの心情は、それを読んでいる定子の心の声で再生した方が、より伝わるんじゃないかと思いました」と。
「こういう編集になりました」とわざわざ役者に報告してくださるのって、あまりないことなのですが、私はそれを聞いた瞬間、シーンの情景がブワッと脳内に広がって鳥肌が立ちました。「それがいいと思います! というか、それしかないですね!」と気持ちが高ぶって……。
どのシーンも毎回全スタッフがアイデアを練ってベストを尽くしてくれていると、わかってはいたけれど、その作業に立ち会えて、辿り着いた答えが本当に素晴らしくって、震えました。
そのときから「早くそのシーンを見たい!」って期待に胸を膨らませていたところ、第20回の最後、次回予告を見たときに、ききょうと定子様が背中合わせになって「春はあけぼの」というセリフが流れる、その「春は」が充希さんで「あけぼの」が私の声だったんですよ!!!
私の声はそこしか使われてないのですが、そんなことはどうでもよくて、これが初のコラボレーションなんです。定子様とききょうの。なんて、かっこいい……! このコラボに何人の方がお気づきになったかはわからないのですが、本当に「ちょっとこれだけでスピンオフ作品を作ってほしいな」と思ったくらいです。
ききょうの字は、グイグイ肩を前に出しているような右上がりの字体
書の練習にはかなりの時間を割きました。家でも練習したし、NHKに来ても練習したし、書道指導の根本知先生からもその練習量を褒めていただいたんですよ!
「春はあけぼの」って、清少納言を知らない人でも知っているぐらい有名な一節だし、そんなに漢字も難しくないから、なかなかにハードルが高いじゃないですか。でも、せっかくだから視聴者の皆様の期待に応えたいと思って。
その練習量が作品に生きていたかどうかは、ご覧いただいた皆様にご判断いただければと思いますが、練習した紙は全部写真に撮って、証拠に残しておきました。「どうせ先生が書いてるんでしょ?」と言われたら、悔しいですから(笑)。
清少納言本人が書いた字は現代に残されていないので、「清少納言の性格が出ているような字体」を根本先生が作ってくださいました。「光る君へ」では、まひろにはまひろの字の癖があって、道長(柄本佑)の字は「佑フォント」として話題になってもいますけど、それぞれ特徴があるんですよ。
ききょうの場合は、グイグイ肩を前に出してくる本人の性格が染み込んでいそうな、右上がりの字体を提案してくださって。その書き癖を身につけるイメージで練習をしました。私自身も書道を10年ほどやっていましたが、やはり自分の字の癖があって、なかなかに主張の激しい字を書きますので、そこがいい感じにマリアージュしていたらいいなと思っています。
『枕草子』が定子様と一条天皇をつなぐ鎖になればと、書く意味が変わった
ところで第25回(6月23日放送)では、ききょうが書いた『枕草子』を、伊周が宮中に広めようとしていましたよね。その際のききょうの心境について「大手出版社に『これ、大々的に売りましょう』と言われて、『うーん、そういう感じで書いたんじゃないのに』と思っている同人誌作家の気持ち」とSNSに書かれている方がいて、まさにそうだなと私も思いました。
ききょうの心の叫びで言うならば「伊周様って、マジ毎回余計なことをするんだよなぁ。ほら、定子様も嫌そうな顔をしていらっしゃるじゃないですか。せっかく2人だけの宝物にしようと思ったのに」という感じですね。
それでも、没落する中関白家とともに定子様という存在が消えて、彼女が耐えていた人生が何の意味も持たないことにされてしまうのは、ききょうにとっては許しがたいことだと思うんです。あれだけ「皇子を産め」と言われ続けて、文字通り命をかけて家を守ろうとしたのに、残された子どもたちが力を持てなくなるなんて絶対に納得できない。
伊周・隆家兄弟には任せていられないし、頼みの綱は一条天皇の心をずっと定子様に引き止めておくことで、『枕草子』が定子様と一条天皇をつなぐ鎖になればいいと思ったのでしょう。そこから書く意味が変質していったと思います。
定子様がいかに素晴らしい人間だったか書き続けることが、ききょうの人生のいちばんの使命になった。文字通り「命を使って」果たすことだと思ったのでしょう。そんな『枕草子』が千年残ることになるんですよ。「すごいな!」としか言いようがないじゃないですか。かっけー!!!
定子様の“影”をめぐって、まひろと初めて意見の違いが……
でも、まひろからは「皇后様の影の部分も知りたい」と言われるんです。作品の中にドキュメンタリー性を持たせたほうがおもしろいという主張は、わかりますけれど、そもそも『枕草子』は定子様を元気づけるために書き始めているので、悲しい出来事を書くというのは、最初のテーマから逸れているんですよね。
自分の「推し」を表現するのに、影の部分はいらないんです。第一、定子様がどんなに悲しい思いをしても、一条天皇や兄弟の前ではグッと歯を食いしばって表に出さなかった部分を、どうして私が書き残すんだ? そんなことするわけないじゃないですか!
今まで仲を深めてきたまひろと初めて違う、ずっと交わり続けてきた道が二手に分かれていくような意見の違い、作家性・作品性の違いが生まれた瞬間だったような気がしました。
さて次回は、コラム最終回。まひろとの関係は今後どうなっていくのか、そしてききょう役への私自身の思いをお伝えしたいと思っています。お楽しみに。ではっ!
(つづく)