ききょう(清少納言)を演じるファーストサマーウイカさんが、3回にわたって作品への思いを語ったコラムも、パリ五輪の終幕とともに最終回!
今回は、まひろ(吉高由里子)とききょうの関係について率直な思いを語ります。
※この記事は、ファーストサマーウイカさんへのインタビュー取材をベースに、ご本人監修のもと、コラムとしてまとめたものです。
ききょうとまひろは対極的な存在。だからこそ磁石のように引き合ったのでは
冬はつとめて、夏はサマー! もしも千年前にタイムスリップできるなら、清少納言とお酒を酌み交わしたいファーストサマーウイカです。でも、あまりにも物事に対する考え方が似過ぎていて、一緒にいたら「こいつ!」と衝突するかもしれませんね(笑)。
さて、「光る君へ」でまひろとききょうが会話するシーンは、紫式部と清少納言という平安時代を代表するスーパースターの共演なわけですが、ガールズトーク的な雰囲気もあって、見ていて楽しいという反響が私の耳にも届いています。今のところは友達というか、ちょっと圧が強めの先輩と苦笑いしながらもしっかり話を聞いてくれる後輩、みたいな関係性ですね。
ふたりは対極的な存在だと思っています。まひろは常に一歩か二歩ぐらい引いて周りを観察して、言葉を飲み込んだりすることもあるし、ちゃんと空気を読む人ですよね。決して控えめではなく、言いたいことははっきり言って家族に対しても道長(柄本佑)に対しても感情を表現しているけれど、一回止まって考えられる冷静さがあるというか。
一方、ききょうは自尊心がありつつ、自分の実力、得手不得手を把握していて、ちゃんと空気も読めるけれども、それをあえてぶち壊す選択ができる人間。対極にあるからこそ、お互いにないものを感じておもしろがれた、磁石のS極とN極のように引き合ったんじゃないかな、と思います。2人の物事に対する考え方を、私は「柔と剛」と解釈するようになりました。
相反する2人ですけど、共通点もあります。それは“志”。この時代の女性には少なかったであろう、己の知識を生かして、広い世界で自分を試したいという野心を秘めていて、行動力もある。そのシンパシーをお互い感じたから、より惹かれ合ったのではと考えました。
そもそも悪いのは道長。道長のせいで中関白家も清少納言も大変な目に!
そんな2人の物語としてのゴール地点は、ほぼネタバレされていますよね。史実としてどうだったのかは置いておいて、実際に『紫式部日記』の中に清少納言の悪口が残されているわけですから。
友達、先輩後輩みたいな関係性が、今後どう変化していくのか……。「『親友』からの軋轢」みたいになるのかな? まひろが一方的に強くなって2人の力関係が崩れるのか、私もまだ教えてもらっていないんですよ。
そもそも、悪いのは道長ですよね。道長のせいで、中関白家も清少納言も大変な目に合っていますから。その道長の存在がまひろとききょうの関係にも影響して、常にハラハラさせるのが、大石静さんの脚本の素晴らしさだと思います。
話が少し逸れますが、「光る君へ」ではききょうの女性らしいところは斉信(金田哲)とのシーンしかなくて、「おっ?」と思わせる紅葉のシーンが一か所あるだけなんですよ。
史実では、清少納言は元夫とも深い交流があったようですし、2人目の夫もいて、さらに行成(渡辺大知)ともいろいろあった説があるなど、意外と恋にも奔放だったようなんです。けれど、劇中ではききょうの浮ついている感じは定子様(高畑充希)とのシーン以外にあまり見えません。
斉信のことは軽くあしらう感じですし、女房の立場でも弱さを絶対に見せなかった。彼女の気質的にも弱みは握られたくない、見せてたまるかというところがあったと思うんです。
それに対して、まひろはもう隙だらけ、弱みだらけで、その無邪気さ、無垢さ、守ってあげたくなる感じに、圧倒的な「主人公感」がありますね。
そう思うと、やっぱり永遠のライバルだな、と。作家としてのライバルと言われていますが、キャラクターとしても、ききょうは「ヒール」側にいる気がします。むちゃくちゃ強いけど、最後は仲間になる的な「ヒール」。まあ今回は逆で、最初は仲間だったのが、最強の敵になっちゃうパターンかもしれないですけどね。
まひろの魅力は吉高由里子さんの魅力。ありがたい経験をさせていただいている
まひろの魅力については、やっぱり吉高由里子さんという天才の力が大きいと思います。これはもう、圧倒的なんですよ! 高畑充希さんと同じく、同世代の輝ける星で。私は二大天才とサシでお芝居をさせていただく幸運に恵まれて、贅沢この上ない。本当にありがたい経験をさせていただいていると感じています。
こちらに圧を感じさせず、私のお芝居を全て受け止め、そのうえで予測できない返しをされるので、毎回度肝を抜かれます。「まひろ様って、すごいことをお考えなのね」と驚くききょうのセリフが、「由里子さんって、すごいですね!」という、嘘なく同じ気持ちが乗って、何度対峙しても目が覚めるようなお芝居になるんですよ。
でも、由里子さんは謙遜して言うんです。「私、何も考えてないから」(←ここ、由里子さんの声で脳内再生してくださいね!)って。そこが天才の天才たる所以ですね。もう、最高です。いつも「ファッサマ、飲みに行こうよ!」って声をかけてくれるし、分け隔てなくみんなに接してくれるので、本当に素晴らしい座長だなと感じています。
SNSの様々な知見や深い解釈を役作りに生かしています
最後に「光る君へ」のききょう役に対する、私個人の思いを少し語らせてください。
私がお芝居の世界に足を踏み入れてから十数年たちますが、今回いただいた“ききょう”という役は、今まででいちばん自分に近いというか、もう他人とは思えない状態になっています。誰かに仕えたこともなければ、作家でもない、第一、千年前という時点でバックボーンが似ていることもないわけで、それでもこんなに気持ちが自分と重なるなんて……。
全てが自分ごとのように感じられて、お仕えする相手と接して気持ちが高揚したり、感情があふれ出てボロボロ泣いてしまったりするのは、役者として本当に大きな財産になりました。
まるで自分の物語のように、ききょうになれた……、いや逆ですね、ききょうがファーストサマーウイカにすごく介入してくれて、ちゃんと同居できたような感じです。それが視聴者の皆様にも伝わっているとうれしいですね。
知識については今も勉強中です。SNSでも平安時代の知識や歴史的背景を紹介してくださる方の投稿を読んだり、さまざまな知見や奥の深い解釈に接したりして、「なるほど、そういう背景があったんだ」と学びながら、それをまたお芝居に落とし込む、SNS時代だからこそ出来る役作りを経験しています。
行成役の渡辺大知さんとお話ししたときに、道長と行成が同じ日に亡くなっているという史実をお聞きしたんです。私は半分ダジャレ混じりですが、名前の通り「一緒に逝くなり」だったのかな、という話をしたんです。
それを聞いた渡辺さんは「道長を支えるという任務を全うして、自分も人生を終えようと死を選んだのかもしれない、と自分は解釈している」とおっしゃっていて、そんなフィードバックも役作りのひとつだなぁ、と。
時代背景を知ると、たった一言のセリフとか、見つめ合うだけのシーンとかの深みが全く変わってきますよね。その感覚は台本に書いてある文字だけでは沸いてこないもので、史実を知り、エッセンスとしてもらってくる大事さは、ほかのドラマではなかなか得られない、こういう歴史もの、大河ドラマならではの役作りじゃないかなと感じています。
「光る君へ」の放送も半分を過ぎました。ききょうにとっては、定子様がいなくなってからの人生も長いんですよね。できれば、まひろとは最後まで友達でいて、最終回まで生き残れたらいいな、なんて思います(笑)。これから、ききょうがどんなシーンで登場するのか、ぜひ楽しみにしてください。
以上、ファーストサマーウイカでした。それではっ!
(終)