まひろの書いた『源氏物語』は書き写され、だいに広められました。ふじわらの道長みちながちゅうぐうみかどだけではなく、ぎょうたち男性貴族やその家族の目に触れることになったのです。ドラマでは、藤原公任きんとうと妻の敏子、藤原行成ゆきなり、藤原斉信ただのぶとその恋人、そして女房たちが『源氏物語』を読んでいました。

彼らが読んでいたのは、現在の『源氏物語』では第3じょうの「空蝉うつせみ」です。第1帖「桐壺きりつぼ」で両親(桐壺帝きりつぼていきりつぼのこう)の純愛から生まれた皇子みこひかるげんは、第2帖「ははき」では17歳の若者へと成長し、恋の冒険を始めます。

桐壺更衣は、光源氏3歳の年に死去。悲しみに暮れた桐壺帝は、彼女にそっくりな女性・藤壺をにょうとしていました。光源氏は元服後、左大臣の娘・あおいうえちゃくさいとしますが、じつは5歳年上の義母・藤壺を密かにしたいつつ、表向きは女性に無関心を装っていました。

そんな彼を悪友たちがきつけます。「帚木」の冒頭、雨の夜のつれづれに恋愛体験を語り、女性を論じ合う「雨夜の品定め」です。

恋に興味を抱き始めた光源氏は、りょう階級の人妻・空蝉と出会います。彼は外泊先でたまたま隣室に泊まっていた彼女と無理やり一夜の契りを結び、その後、恋にのめり込んでストーカー化しました。しかし空蝉は彼を拒み、逃げ回ります。

続く「空蝉」巻で、光源氏は三たび忍んできますが、空蝉はその気配を察し、薄衣を蝉の殻のように寝所に残して抜け出しました。“空蝉(蝉の抜け殻)”という彼女の呼び名はこれに由来しています。

その夜、寝所には空蝉のほか、夫の前妻の娘がいました。光源氏は暗闇の中で見つけた女を空蝉だと思い喜びますが、それは人違いだったのです。

衣を押しやりて寄りたまへるに、ありしけはひよりはものものしくおぼゆれど、思ほしも寄らずかし。

光る君が夜具を押しのけて寄り添うと、思いなしか女はおうの時より大柄な感じです。が、まさか別人とは、光る君は思いもしません。

(『源氏物語』「空蝉」)

ドラマで公任らが読んでいたのは、これに続く場面です。眠りこけていた空蝉のままむすめは目を覚まし、光源氏が自分に夜這よばいをしてきたと勘違いして、舞い上がります。光源氏は人違いに気付きますが、事実を言えば空蝉とのことが発覚し、彼女を窮地に陥れるでしょう。彼は諦め、行きがかり上継娘と契りを結びます……。

『源氏物語』に数多あまたある恋の中でも、これはもっともきわどいエピソードと言えます。輝く貴公子・光源氏が、考えもなく恋におぼれて大失敗する――平安貴族たちが、ドラマのとおりドキドキしたり苦笑いしたりしながら読んだに違いない滑稽譚こっけいたんなのです。

ただ、このエピソードには空蝉という女性の人生の苦悩も描かれています。彼女は高貴な地位にあった父が死んでしまったため、弟を抱えて、年老いたりょうの後妻になった身の上です。そこに起こった光源氏との関係は、合意の上のものではなく“事件”でした。

彼女は光源氏に対し、毅然とした態度で「身分の低い者と見下してのご無体でしょう」と抵抗します。一方で、彼女は彼にかれもします。が、「ぎょうの娘だったころならまだしも、今は……」と、その後の逢瀬を断ります。光源氏の身分や美しさに到底似合わない自分をよく知っていて、懸命に恋心を抑え、夫との人生を改めて選び、受け入れるのです。

『源氏物語』の主人公は光源氏ですが、一方で彼に関わる女性たちについても、紫式部はその人生や心情を細やかに描いています。

光源氏の母の桐壺更衣も、初恋の相手の義母・藤壺も、またこの空蝉も、父を亡くしています。物語の女主人公と言える紫の上(第5帖「わかむらさき」から登場)は、父は生きているものの、ほとんど育児放棄。しょうだった母は早くに亡くなっています。紫の上には、光源氏にすがって生きるほか選択肢はありませんでした。

後ろ盾のない女性は、運命に流されて受動的に生きるしかないのか。それとも、強い意志をもって主体的に生きることができるのか――。これは『源氏物語』全体を貫く大きなテーマとされています。

ところで、空蝉が老受領の妻であることには、親子ほどの年の差がある受領・藤原宣孝のぶたかと結婚した紫式部自身の身の上が重ねられていると言われています。また、光源氏と空蝉の出会いの場は平安京のひがし京極きょうごくおお辺りの邸宅街ですが、ここは紫式部の曽祖父(藤原兼輔かねすけ)が営んだつつみちゅうごん邸の近所にあたります。

一方、ドラマでは第7回、きゅうに興じたのち、若き斉信と公任が雨宿りをしながら好き勝手に女性の品定めをするシーンがありました。これは「帚木」の「雨夜の品定め」を思わせます。さらに第15回の、石山寺でまひろたちの寝所に忍んできた藤原道綱みちつなが、間違ってさわに抱きつくシーン。これは「空蝉」の人違いエピソードそのものでしょう。

紫式部は『源氏物語』を書くにあたり、自分の経験を盛り込み、身近な場所を舞台にして物語世界を創ったと思われます。同様にドラマのまひろも、人生のさまざまな記憶を注ぎ込んで物語をつむいでいるように描かれています。その意味で創作とは、人生を別の世界で生き直すことなのかもしれません。

 

作品本文:『源氏物語』(岩波書店 新日本古典文学大系)

京都先端科学大学人文学部歴史文化学科教授。平安文学研究者。紫式部とその作品、また時代背景を研究している。1960年、石川県金沢市生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科修了。博士(人間・環境学)。2007年、『源氏物語の時代 一条天皇と后たちのものがたり』でサントリー学芸賞受賞。2015年、『平安人(へいあんびと)の心で「源氏物語」を読む』で古代歴史文化賞受賞。著書は受賞作のほか、『紫式部ひとり語り』(2020年)など多数。近著に『道長ものがたり』(2023年)。