テレビを愛してやまない、吉田潮さんの不定期コラム「吉田潮の偏愛テレビ評」の中で、月に1~2回程度、大河ドラマ「光る君へ」について熱く語っていただきます。その最終回。

忠誠心を誓うも老いの気配が漂う従者が、必死で駄々だだをこねて主人に訴える。尽くしたい気持ちはある、でも故郷から遠く離れた地で危険な目に遭い、いつ死ぬかもわからない。自分ももう若くない。京に置いてきた妻がいとしくて愛しくて……さて、もうおわかりですね。

筆を置いて旅に出たまひろ(吉高由里子)にお供していた乙丸おとまる(矢部太郎)が、最初で最後の反抗を見せたシーン(第47回)。

ちなみに「会いたい」4回、「帰りたい」12回、「きぬに会いたい(会いとうございます)」3回、「帰りましょう」4回、「お方様と帰りたい」1回。激しい連呼の訴えは、矢部太郎最大の見せ場だったとも言える。そんな脇役キャラも愛おしかった「光る君へ」が大団円を迎えた。最終回は「残された者たちの日常」。


最大の懸念「修羅場」と「末期の水」をたっぷりと

「私が気付いていないとでも思っていた?」。まひろとふじわらの道長みちなが(柄本佑)の関係を穏やかなほほみをたたえながら問い詰めるみなもとのとも(黒木華)。ぐうの音も出ない、とはこのことよ。

まひろは道長とのなれそめを正直に吐露。夫だけでなく、娘・あき(見上愛)も奪われた、と静かな怒りをぶつける倫子。「それで全て? 隠し事はもうないかしら?」。かたを飲んで見守っていたが、視聴者の頭の中では「あの子のことは言わんでええよ、まひろ……」と唱えていたはず。かた(南沙良)が道長の娘だということは「墓場まで持ってけ泥棒」だからね。

修羅場と書いたが、心の修羅を抑えに抑えた倫子は、まひろに「しょうになる」ことを勧めただけでなく、道長の末期の水をまひろにとらせる。夫に尽くした寛大な妻の粋なはからいととらえるか、最初で最後のふくしゅう(危篤寸前の夫に「私はすべてお見通しよ」とわからせる)ととらえるか。長年の恩情&積年のえんを複雑に織り込んだ正妻のプライド、しかと見届けたわ。

魂が抜け始めている道長に、新たな物語を作って聞かせるまひろ。「続きはまた明日」と話を止めて、道長の生きる気力を引き出そうとするも、「生きることはもうよい」と諦めてしまう道長。最期は倫子やまひろに見守られるでなく、静かにひとりで息を引き取る。道長の死を、まひろは自宅で悟る。道長が「まひろ」と呼ぶ声が聞こえることで表現。道長にふさわしい静謐せいひつな死だった。


老いる者、受け継ぐ者、我が道を行く者

修羅場や厳かな死も描く一方で、まつといってはなんだが、登場人物たちが老いていく日常も入れ込む。時の流れを改めて痛感させる演出でもあり。

藤原公任きんとう(町田啓太)、藤原斉信ただのぶ(金田哲)、源俊賢としかた(本田大輔)、藤原行成ゆきなり(渡辺大知)の四納しなごんもすっかりおじさん化、「酒に弱くなった」「かわやが近い」「俺はまったく平気」などとろうな話をだべらせた。上から目線であしざまにオナゴの品定めをしていた男子トークが懐かしいよね。

ぼけちらかした左大臣・藤原顕光あきみつ(宮川一朗太)はようやっと引導を渡されたし、しっかり者のいと(信川清順)の老いも描かれた。

亡くなった惟規のぶのり(高杉真宙)を探し、為時ためとき(岸谷五朗)を見て落ち着くという認知症のような症状の場面は、二重の意味で切なかった。

乙丸は老いてはいるものの、まひろへの忠誠心を貫いている。あれ? そういえば、いとしくて会いたくて震えるほどの妻・きぬ(蔵下穂波)はどうした? 乙丸が背中を丸めて小さな仏像を彫っている姿から想像するに、きぬはすでに旅立ったのだろうか……。

逆に、次世代を受け継ぐ者たちの頼もしい成長ぶりも描かれた。道長と倫子の長男・藤原頼通よりみち(渡邊圭佑)はまつりごとの中心を担い、異母兄弟たちとともに権力を盤石にしていく。

女院にょいんとなった彰子はすっかり貫禄をつけ、後一条天皇(高野陽向)は他家を外戚とせず、血筋は藤原一族で固めるよう、弟(頼通)に言い渡す。藤原さんちの栄華を誇り、血筋の継承に固執する方向へ。歴史は繰り返すというわけね。

我が道を行くのは賢子だ。「光る女君」を自称し、粉かけまくり・浮名を流しまくりというのが何とも頼もしい限りだ。道長と明子の長男・藤原頼宗よりむね(上村海成)を御簾みすの内側に誘い込むあたり、手練てだれだ。そのうえ、藤原定頼さだより(公任の息子)とも源朝任あさとうとも歌を交わしているという。親仁ちかひと親王の乳母に昇格もしたし、後宮暮らしをすっかりおうしとるやないかーい!

「上流だって優れた殿とのはめったにおられませんわよ」なんつってね、上流貴族の男子たちを食べちらかす賢子にちょっと胸がすく。


歴史を独自の視点で見つめてきた「書く女」

個人的に好きだったのは、作品全体に通底する「書く女」。異なる視点の歴史を描いたところだ。

平安の大ベストセラー『源氏物語』でやんごとなき人々のむなしさと人間の業を描いた紫式部のほか、『蜻蛉かげろう日記』で妾の視点を紡いだ藤原みちつなのはは(財前直見)、『枕草子』で華やかなさだ(高畑充希)サロンの栄華を描いたせいしょうごん(ファーストサマーウイカ)、劇中では歌人として名をせた赤染あかぞめもん(凰稀かなめ)が道長の栄華を記録するために執筆を請け負ったが、真面目に歴史を遡りすぎて超大作になったとされる『えい物語』。

権力をもつ男たちが中心となって紡がれる歴史も、実は女の視点で描くと彩り豊かになるのだ、という示唆でもある。

この系譜をつないだのが、最終回だけ突如登場した新キャラ・ちぐさ(吉柳咲良)だった。まひろとたまたま町中で出逢ったという設定で、『更級さらしな日記』の著者・すがわらのたかすえのむすめであることがわかる。まひろが紫式部であると知らずに、源氏物語の感想を嬉々ききとして語るちぐさ。「光る君とは女を照らし出す光だったのです!」と。ドラマならではの設定だが、なるほど~とうなりましたわ。

書くことで、己の心を浄化し、愛する人を支え、見ず知らずの誰かに勇気を与える。女たちの視点が存分にかされた大河、1年間楽しませてもらいました。

ライター・コラムニスト・イラストレーター
1972年生まれ。千葉県船橋市出身。法政大学法学部政治学科卒業。健康誌や女性誌の編集を経て、2001年よりフリーランスライターに。週刊新潮、東京新聞、プレジデントオンライン、kufuraなどで主にテレビコラムを連載・寄稿。NHKの「ドキュメント72時間」の番組紹介イラストコラム「読む72時間」(旧TwitterのX)や、「聴く72時間」(Spotify)を担当。著書に『くさらないイケメン図鑑』、『産まないことは「逃げ」ですか?』『親の介護をしないとダメですか?』、『ふがいないきょうだいに困ってる』など。テレビは1台、ハードディスク2台(全録)、BSも含めて毎クールのドラマを偏執的に視聴している。