宮沢賢治が生まれたまち、岩手県花巻市の取り組みのひとつとして、人生の中でも最も多感で豊かな創造力をもつ高校生を対象に、“童話”という自由な表現の場を提供することを目的に実施。
「全国高校生童話大賞」実行委員会:富士大学、花巻市、花巻市教育委員会
表彰式の様子はこちらから→https://steranet.jp/articles/-/1283
秋ももう終わりが近く、吹く風にはなんだか雪の匂いがする、ある晴れた日のことでした。
「おはなしや」のねずみのおじさんは、お気に入りの椅子に腰掛け、ペンを片手にうーん、うーんとうなっていました。
「おはなしや」というのは、皆さんが知っている通り、どんぐり一つと交換に、いつでも、どこでも、誰にでも、胸がわくわく、ドキドキと高鳴るようなお話を一つしてくれる、何ともすてきなお仕事の名前です。
ねずみのおじさんは、この「おはなしや」をもうずっと長いことやってきましたので、とっても素敵なお話で、森のみんなをうっとりさせるのはお手のもの。広い広い森の中を、奥の方までずっと探してみても、ねずみのおじさんよりも上手にお話を作れるおはなしやさんは、いないと言われていました。
でも、このところ、おじさんはちっともお話をしていませんでした。「おはなしや」のお店のドアの看板も、ずっと、「ただいまへいてんちゅう」のままです。
それどころか、めったに家から出てこず、たまにちらりと森の広場で見かけても、おでこにぎゅっとしわをよせ、うんうんとうなっているばかりでした。
森のみんなは、おじさんが病気にでもなってしまったのではと心配して、なんべんもおじさんの家を訪ねましたが、おじさんはうんうん言うばかりでちっとも答えません。
しまいには、森のみんなはあきれて、ねずみのおじさんのことを、「おはなしやのおじさん」ではなく、「うんうんおじさん」と呼ぶようになってしまっているのでした。
さて、ところでおじさんはと言うと、今日もやっぱり、腕組みをして、目をぎゅっと閉じてうなっています。
お部屋の奥のお勝手で、火にかけっぱなしのヤカンが、しゅんしゅんと湯気をあげているのにも、さっぱり気がつかない様子でした。
おじさんの「うーん、うん」という声が次第にどんどん大きくなっていき、いよいよヤカンの音よりも大きくなるぞ、という、まさにその時のことでした。
ドンドンドン
おじさんのお店のドアに、とても大きな何かが、勢い良くぶつかる音がしたのです。
これには、思わずおじさんも、うなるのをやめてドアまですっ飛んで行きました。
「なんだ、なんだ。一体全体何事だ。」
ドアを開けるとそこには、何やらとてもとても大きくて、もじゃもじゃとした茶色のものがありました。
ちらりと、いったいこれは何かしら、と思ったおじさんでしたが、おじさんがあれこれと考える前に、そのもじゃもじゃが動きはじめましたので、それが何かはすぐにわかりました。
「やあ、クマのぼうやじゃないか。」
もじゃもじゃは、おじさんの声を聞くと、嬉しそうに身をよじって、ぐっと下まで頭を下げ、かわいらしいお顔を見せました。
「こんにちは、おじさん。」
「こんにちは。ぼうや。」
クマの坊やは、おはなしやさんのお得意さんです。おじさんが、広い森のどこでお話を始めても、このクマの坊やだけはいつも駆けつけて、大きな体をお行儀よくちぢこめてお話を聞くのでした。
「おはなしやさんは、今日もお休み?」
「そうだよ。やあ、せっかく来てもらったのにすまないね。悪いけど今は、どんぐりと交換できるお話が無いんだ。」
おじさんが、すまなそうに言うと、クマの坊やは首を振りました。
「ちがうよ。ぼくはね、おじさんが、あんまりにもずっとお休みするものだから、おじさんが心配になっておみまいにきたのさ。」
クマの坊やの、やさしい心配にちょっとうれしくなったおじさんは、ひげをひくひくさせながら答えました。
「そりゃあ、心配させて悪かったね。でもね、この通り、おじさんはとても元気ですよ。お見舞い、どうもありがとう。」
「それは良かった。」
クマの坊やは、心底嬉しそうでした。
「それならおじさん、ちょっと気が早いんだけれどね、次のお話は、いつごろ聞けそうかしら。」
さて、にこにことしているクマの坊やにつられて、これまたにこにこしていたおじさんですが、この質問には困りました。
「それはちょっと、分からないいなあ。」
「どうして、分からないの?」
クマの坊やは不思議そうです。
「お話を、忘れちゃったの?」
「いいや、ちがうんだ。」
「それじゃあ、どうして?」
ねずみのおじさんは、はたして、正直に話したものかどうかと、悩みました。というのも、おじさんにだって、自分が森で一番のお話名人だということを、誇らしく思う気持ちはあったからです。でも、坊やはせっかくお店まで来てくれたのです。うーん、うーんと二回言ってから、おじさんは、坊やには特別に教えることにしました。
「実はね、おじさんは、急にお話が作れなくなってしまったんだよ。」
「ええっ!」
クマの坊やは、真ん丸な目をくりくりと動かして、心底びっくりした様子でした。
「そんなあ。本当に?」
「本当さ。」
「だって、おじさんは、森一番のおはなしやさんじゃない。」
「一番でも、二番でも、とにかく今は、作れないんだ。」
「それじゃあやっぱり、どこか病気なのかしら?」
「いやいや、まさか!」
びっくりしたおじさんのメガネが、かちゃんと音を立てました。
「僕はすこぶる元気さ。」
すると、クマの坊やは、さっきとはまた反対側に首を傾げて、それじゃあ、と言いました。
「おじさんは、どうしてお話がかけないんだろう。」
どうして、どうして、というクマの坊やの言葉に、ねずみのおじさんは、ちょっと困った顔をしました。
「それが、僕にもわからないのさ。」
そう、何でお話が作れなくなってしまったのかは、実のところ、おじさんにもわからないのです。
なんべんも、なんべんも、立ったり座ったり、時には逆立ちまでして考えたりしてみましたが、考えれば考えるほど、おじさんの頭の中は、もやもやと、ミルク色の霧に包まれて行ってしまうのでした。
そうして、霧が出てくればくるほど、どんどん、お話も作れなくなってしまうのです。
「おじさんのお話を聞けないんじゃあ、ぼく悲しいなあ。」
クマの坊やは、とてもしょんぼりとした様子で、おじさんまでも、何だか悲しくなってしまいました。おじさんのお仕事は、お話をして、森のみんな元気にすることです。何とか、ぼうやの悲しい気分を吹き飛ばせないかしらと、一生懸命考えました、
「そうだ、くまのぼうや、どうか、ここはひとつ、おじさんにぼうやの力を貸してくれないかい?」
おじさんのお願いに、クマの坊やはすぐに頷きました。
「もちろん、いいよ。」
それから、坊やはちょっと考えて、一言つけ足しました。
「その代わりにね、新しくできたお話を、一番最初にぼくに聞かせてもらえないかしら?」
おじさんは、にっこりして頷きました。
「もちろん、いいとも!」
それから、おじさんは、ぴいぴいなっているヤカンの火を消し、お店にある中で、一番大きなひざかけを出してきて、クマの坊やと一緒に、落ち葉の上に腰かけました。
「じゃあぼうや、今、考えている途中のお話を、試しに聞いてみてくれるかい?」
おじさんがそう言って、クマの坊やに話して聞かせたのは、赤の妖精の国に暮らす、ひとりぼっちの青の妖精さんが、仲間を求めて、野原を超え谷を越え、旅をするお話でした。
クマの坊やは、最初は、目をキラキラとさせながら聞いていましたが、おじさんがお話をやめるころには、なんだかすこし、元気がなくなってしまっていました。
「まだまだ途中なんだけどね、どうだい?」
すると、ううん、と、坊やは首を横にふりました。
「これじゃあ、だめみたい。」
おじさんは、ちょっと困って言いました。
「どんなところが、だめだったんだい?」
「うーん。」
腕組みをして、二回、首をひねってから、坊やは言いました。
「なんだかね、ちょっとしかワクワクしないんだ。」
「ほう。」
「つまんないんじゃあ、ないけれど。でもね、ぼくが思うに、お話ってのは、もっとぞくぞくしちゃうようなものでなくちゃいけないんだ。」
うーん、と、おじさんはうなりました。
「ぞくぞくかあ…」
赤とんぼが、すいすいと冷たい空気をきってゆきます。
「ええっと、それは、例えば冒険したりとか、お空を飛んだりとか、そういうことじゃあ、ないのかい?」
すると、クマの坊やは、もう一回、首をひねりました。
「そうだけど、ちょっと、違うなあ。」
「じゃあ、どんなことなんだい?」
今度は、おじさんが首をひねる番でした。
「そうだなあ、あのね、ぞくぞくするっていうのはね…」
クマの坊やが、落ち葉を一枚、拾いながら言いました。
「とびきり特別じゃなくてもいいんだ。なにかちょびっとでも、素敵なことがあったり、楽しいことがあったりするときに、何だかおもわず、にっこりしちゃうようなことだよ。」
クマの坊やの手の先で、真っ赤な葉っぱはお日さまの光を受け、さらさらとひかりました。
おじさんは、何か、最近、ちょびっとでも素敵なことはあったかしらと考えてみました。
ここでもやっぱり、うーん、うーんと言ってみましたが、昨日もおとといも、思い出せるのは、お店の中で一人、ずっとお話のことを考えていた、ということだけでした。
「おじさんも、きっと、こんな気分を知っているんじゃないかしら。」
「うーん、思い出せないなあ。」
「うーん、そうかあ。」
今度は、クマの坊やまでうーん、うーんと言い出しました。
「どうしたら、おじさんも、ぞくぞくするっていうのがどんな気分か、分かるかなあ。」
このまんまでは、クマの坊やまで、森のみんなに「うんうんぼうや」と呼ばれてしまうかもしれません。
すーい、すいと、トンボが二匹、おじさんと坊やの前を通り過ぎた所で、おじさんはやっとこさ言いました。
「そうだなあ、じゃあぼうや。ぼうやがぞくぞくするのは一体どういう時なのか、試しに、もっと詳しくおじさんに教えてみておくれ。」
「もちろん、いいよ。」
うーん、うんとうなるのをやめたクマの坊やは、腕組みをぱっとほどいて、真ん丸な目をうっとりと閉じました。
「ぼくがぞくぞくしちゃうのはね、例えば、赤とんぼを追いかけてるとき。どこまで行くのかわかんなくていいんだ。後ね、お使いの帰り道で、母さんに内緒で遠回りをする時。後はね…」
おじさんも、そっと目を閉じて坊やの話を聞いていました。それは、何だか新鮮で、でもちょっぴり懐かしいような感じがする話でした。
「どう?おじさん。ぞくぞくするっていうのがどんなことか、分かった?」
「そうだねえ。」
おじさんは、目を開けてすいとお空を見上げてみました。ぼうやも、おじさんのまねをして、上を見てみました。何もかも、すっと溶けてしまいそうな、気持ちの良い青空でした。
そういえば、最後にお空を見上げたのはいつだったかしらと、おじさんはぼんやり考えました。それから、お空は、こんなに綺麗なものだったかしら、とも考えました。そうして、久しぶりに見た今日のお空が、こんなにも透明なことが、少しうれしくなりました。
おじさんは、なるほど、とつぶやきました。
「うん。何だかちょっと、分かった気がするよ。」
「本当に?」
クマの坊やは、嬉しそうに、身を乗り出して聞きました。
「そうだねえ、ひょっとしたら僕も、昔、ぞくぞくしたことが、あったのかもれない。」
すると、クマの坊やはにこりとして立ち上がりました。
「良かった!でもね、おじさん、ぼく、もっと良いこと思いついたんだ。」
そして、そっとおじさんを持ち上げると、あっという間に大きなてのひらにのせて、ずんずんと歩き始めたのです。
おじさんは、ちょっと慌てて言いました。
「おやおや、一体全体、どこへ行くんだい?」
「どんぐり広場だよ!」
「でも、今、ちょうどお話の続きが書けそうになってきたばかりなんだ。」
すると、クマの坊やはくすくすと笑いました。
「うんとぞくぞくするお話を作りたいなら、おじさんがうんとぞくぞくしてみなくちゃ。」
そして、ぐんぐんと、風のように走り始めたのです。
「知らないものは、いくらお話し上手だって、きっと上手にお話しできないよ!ちょっと分かっただけじゃだめだ!ほらおじさん、目を開けてみてよ!」
最初は思わず、坊やの手にしがみついていたおじさんでしたが、坊やの言葉にそっと目を開けてみて、思わずにっこりしてしまいました。
「こりゃあまいった、こりゃあすごい!」
おじさんは、ひげをひくひくと動かし、大きな声をあげました。まるで自分がトンボになったみたいです。落ち葉の匂い、どんぐりの匂い、それからちょっと、雪の匂い。色々なにおいが、おじさんと坊やをごしごしと洗っては去っていくようでした。いつも見ている森は、びゅんびゅんと後ろに溶けてゆき、耳元ではぼおぼおと、風がうなっています。
心臓が、あふれんばかりに踊っているのが分かりました。
もちろん、あまりの高さと速さに、めまいがしなかったわけでもありませんが、そのふわふわとした感じが、かえって心地よく、おじさんは、前を向いたままほうとため息をつきました。
やがて、どんぐり広場につくと、クマの坊やは、広場の真ん中に、勢い良くごろんと横になりました。おじさんも、クマの坊やからぴょんと飛び降りると、近くの切り株の上によじ登って、横になりました。
「ああ、疲れた!」
大の字になっているおじさんと坊やに、かさかさと、赤、黄、橙、様々な葉っぱが降ってきます。
おじさんと坊やは、どちらからともなく、ふふふ、と笑い始めました。降ってくる葉っぱも、かさかさとしてなんだかくすぐったいですし、それに何だか、胸のあたりが、ふわふわ、くらくらとして、これまたくすぐったいのです。
やがて、その葉っぱがお布団ぐらいに降り積もったころに、おじさんが、むくりと起き上がりました。
「さてさて。ぼうや、そろそろ起き上れるかい。」
ぼうやは、まだ少し、ふふふ、と笑いながらおじさんを見ました。
「ああ、楽しかった!また、おじさんのお店まで、走って帰ろうよ。」
おじさんも、楽しそうな坊やを見て、思わずふふふ、と笑いながら、首を振りました。
「その前に、ぞくぞくするっていうのが、一体どんなことなのか、教えてくれたお礼をしなくちゃ。」
「お礼?」
坊やは、むくりと起き上がって言いました。
「そうさ。あいにく、あげられるような物は、何にも持ってこなかったんだけどね、でも、僕には、お話がある。良かったら、聞いていかないかい?」
おじさんがにっこりと笑ってそういうと、坊やは、わあい、と両手をあげて、それからその手を口まで持ってきて、小さな声でおじさんに聞きました。
「ぼく、とっても嬉しいんだけどね、どうせならね、森のみんなにも、おじさんの新しいお話を、聞いてもらいたいんだ。でも、どうかしら。久しぶりにみんなの前で話したら、おじさんは、緊張しちゃう?」
「いやいや!」
おじさんは、大きな声でそう言うと、自分の胸を、とんとたたいて見せました。
「大丈夫ですとも。何と言っても、おじさんは、森一番のおはなしやさんだからね。」
クマの坊やは、それを聞いて嬉しそうにっこり笑うと、くるりと広場を見渡しました。
「さあさあみんな、おはなしやのおじさんの、楽しいお話が始まるよ!」
するとどうでしょう、木と木の隙間、葉っぱの影、切り株の後ろから、森のみんながぴょんぴょんと、飛び出てきました。
「くまくんったら、おじさんとお話ししてたと思ったら、急に走り出しちゃうんだもの。」
「おじさん、早く早く、新しいお話を聞かせてよ。」
「うんうんおじさんが、おはなしやのおじさんにもどった!」
森のみんなは、口々のそんなことを言いながら、おじさんを囲んで、何だか嬉しそうです。
おじさんは、みんなの顔を見ながらもう一度、ふふふ、と笑って、大きな声を出しました。
「さあさあ、皆さん、おはなしやさんが来ましたよ。思わずぞくぞくするような、素敵なお話ありますよ。今日なら特別、どんぐりなしで、お話しましょう。さあさあ、さあさあ、早くおいで。どんぐり広場に、さあさあ、集まれ。」
さあ、皆さんも、森に向かってそっと耳をすませてみてください。ネズミのおじさんの声が、聞こえてくるかもしれませんよ。
作・樋田優(長野県 佐久長聖高校2年)
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