「全国高校生童話大賞」
宮沢賢治が生まれたまち、岩手県花巻市の取り組みのひとつとして、人生の中でも最も多感で豊かな創造力をもつ高校生を対象に、“童話”という自由な表現の場を提供することを目的に実施。
「全国高校生童話大賞」実行委員会:富士大学、花巻市、花巻市教育委員会
表彰式の様子はこちらから→https://steranet.jp/articles/-/2626

ルチアから見える世界は、青で真っ二つに割れていました。上を見れば、澄みきった青空がさんさんときらめいています。下では、吞まれそうなほど深い海の青が、静かにたたずんでいます。

こうして海の上を飛んできて、もうどれくらいになるでしょう。
ルチアは渡り鳥でした。季節によって住む場所を変え、こうして海を渡るのです。

仲間たちは、自分が渡り鳥であることをみな誇っていました。どれだけ長くだって飛んでいられる翼の力強さもそうですし、いろんな場所を訪れる自由さも自慢だったのです。

けれどルチアは。
(……わたしは、そうは思えないな)
仲間にも言ったことがないけれど、ルチアは渡り鳥に生まれたことを、少しさびしく感じていました。


ルチアたちは、新しい街にたどりつきました。しばらくはここを根城とします。
仲間と別れ、ルチアは街を見て回ることにしました。なかなか素敵な街でした。
大通りには石畳がしきつめられ、かかとの高い靴をはいたお嬢さんが通るたび、カコっと小気味いい音が響きます。

もう少し奥には、巨大な木がそびえたっていました。濃く、深い緑が、陽の光に照り映えています。木はあまりに高く、てっぺんまで飛んでいくのにルチアでも苦労しました。

この木では、他の鳥たちも羽を休めているようでした。ルチアを知らない、この街にずっと住んでいる鳥たちです。
ふと耳をすませば、彼らの話が聞こえてきました。

「いや、いや。もう夏ですか。いつものことですが、時間がすぎるのは早いですね。気づけばもう冬になっていそうだ」
「あら、あたしは早く冬になってほしいわ。ほら、冬はいつも、人間たちがお祭りをしているじゃない?そのときに屋台でつまみ食いしたキイチゴのタルトのおいしいこと!あの味が忘れられないの」

そこまで聞いたルチアは、表情に影を落とすと、そっと木を飛び去りました。
冬のお祭り……ルチアは冬、この街にはいません。もっと暖かい南に行くのですから。

じつは、これこそがまさに、ルチアがさびしさを感じる原因でした。
ルチアたち渡り鳥は季節によって住む場所を変えます。その土地の限られた側面しか知ることができないのです。

お祭りってどんなのでしょう。冬、この木はどんな風になるんでしょう。あの噴水の水も、凍ってしまうのでしょうか。
(……冬の景色って、どんななんだろう)

ルチアには知るすべもありません。街の、ほんのちょっとの姿しか知り得ない自分はよそものだと、ルチアはひっそり嘆きました。


街の片隅には、小さな広場がありました。緑におおわれていて心地よく、ルチアはそこで羽を休めていくことにしました。
……木陰にたたずむうちに、ルチアは居眠りしてしまったようです。ふと気づけば、太陽の位置が変わっていました。

帰りが遅くなって、仲間にお小言を言われるのはごめんです。そろそろここを飛び去ろうと身をよじって。
「ああ、待って待って。待ってくれないか?」

どこからか、そんな声が飛んできました。ルチアが声の主を探ってみると、少し離れたベンチに座る人間の青年に気づきました。彼は筆を握り、何やら紙に走らせています。

「今、あなたがわたしに話しかけたの?」
ルチアが尋ねると、彼は大仰に頷いて、紙を見せてくれました。
「そうだよ。ほら、見てくれ。今、きみをモチーフに絵を描いているんだ。もしきみが嫌じゃなければ、もう少し、そこにいて付き合ってくれないかい?」

青年が差し出した描きかけの絵を、ルチアはじっと眺めます。風景をそのまま切り取ったような緻密さで、けれど現実よりも鮮やかに、劇的に、広場の様子が描かれています。

なかなかに素晴らしい、とルチアは思いました。自分もここに描かれるのか、なるほどきっと、悪くない。
「……いいよ。あなたのモデルになってあげる。そのかわり、しばらくおしゃべりに付き合ってよ」

本当にただの気まぐれでした。けれど画家の絵に惹かれ、ルチアは初めて、人間との時間を過ごし始めます。


黙って座っているのも退屈ですし、ルチアはあれこれ青年に話しかけてみました。彼は休みなく手を動かしながらも、気さくにルチアに答えてくれます。
青年は画家だと名乗りました。こうして絵を描いては売っているというのですが、あまり売れ行きはよくないそうです。まだまだ絵だけでは食べていけそうもない、と気恥ずかしそうに言いました。

「ほら、ぼくなんかの話はこれくらいでいいじゃないか……それより、きみの話を聞かせておくれよ!」
画家はふと、目をきらきらと輝かせてそう言いました。ルチアの羽やくちばしを、興味深そうにじっと眺めます。

「きみは、渡り鳥なんだろ?ぼくよりもずっと、広くて色とりどりの世界を知ってるんじゃないのかい?」
画家は筆を置いて、ルチアにずいっと詰め寄ります。その眼差しがあまりに期待に満ちているものですから、ルチアの方がたじろいでしまいました。

「海を渡るだけだよ……知っていることなんて、あなたと大差ないと思うけれど」
「そんなことないよ!海の向こうには、こことはまるでちがう文化があるって、本で読んだんだ」

画家は憧れを語ります。
「北の半島の街には、豪華絢爛な大聖堂があるんだって。ぼくの尊敬する画家の壁画がそこにあってね、一度でいいから見てみたいなあ。南の方は、めずらしい花や食べ物がわんさかあって、海はエメラルドに輝くそうなんだ。とってもすてきだと思わないかい?」

そんなふうに、画家はいろんな土地のいろんな特徴を挙げていきました。翼のない人間なのに、よく知っているなとルチアは感心しました。画家の表情は生き生きとしていて、ルチアもなんだか楽しくなります。

「わたしは南からきたけれどね。うん、南の海はたしかに緑色をしているよ。あまり気に留めなかったけれど……エメラルドみたいで、たしかにきれいだ」
「たくさんの景色を知って、見える世界を広げたら、きっともっといい絵が描けると思うんだ。だからぼくは、きみがうらやましいよ。どこへだって飛んでいける、自由なきみが」

その言葉がルチアの胸を刺しました。
「……それは。……どうだろうね」
画家の羨望の眼差しを、ルチアは素直に受け止められませんでした。ルチアは渡り鳥に生まれた自分が、好きではないのですから。表情を暗くしたルチアに、画家は気づきます。

「ごめん、ぼくはなにか、気にさわることを言ってしまったかな?」
「あなたは悪くないよ。ただ、わたしが……わたしは、渡り鳥って、さびしいものだと思ってしまうだけ」
「さびしい?」

画家は首をかしげました。画家がまっすぐにルチアを見つめるので、ルチアは不思議と、仲間にも話したことのない自分の秘密を、彼になら話してみたいと思ってしまいました。

「わたしたち渡り鳥は、その土地の限られた面しか知ることはできないの。わたしは……本当はあなたみたいに、同じ街にずっと住んで、そこを故郷だなんて呼んでみたい……そして、冬の景色を見てみたいな」

「真逆だね、ぼくたちは。世界を巡りたいぼくと、一つの街にだけとどまりたいきみ」
「わたしたちって、結局、ないものねだりをしているだけなのかしら」

ルチアはため息をつきました。渡り鳥らしからぬ願いを抱く自分がいやになってきます。
けれどそんなルチアに、画家は笑いかけました。

「それって別に、悪いことじゃないだろ?憧れを追い求める心が、ぼくたちの原動力だ。冬景色を見たいと言ったきみの顔は、とても素敵に思えたよ」
画家はさらに言葉を重ねます。

「でも、よそものだなんて思わなくていい。きみはもうぼくの友達だ。ぼくらは住む世界がちがうけど、だからこそ、お互いを補えるんだろ?」
そこでルチアの心が、ふっと軽くなった気がしました。渡り鳥の自分と、これまで仲間にも言えなかった願いが、ルチアは初めて認められた気がしたのです。


こうしてルチアは画家を気に入り、この広場をよく訪れるようになりました。
もちろん、ルチアだって仲間とエサを探したり巣を守ったりしなくてはなりませんから、毎日画家と会うわけにはいきません。けれどルチアが暇を見つけてはやってくるたび、画家は喜んで迎えてくれました。

「今日は雪まつりの話をしてあげるよ!」
ルチアと画家は、きまってそういう話をしました。画家はルチアのために、この街の冬の様子を話してくれます。代わりにルチアは画家のために、これまで見てきたさまざまな土地のことを語ってあげました。

まったくちがうはずのルチアと画家の生活が、この刹那だけは交わったのです。誰かと世界を分かち合うことが、こんなにも楽しいのだとルチアは初めて知りました。たとえこの目で直接見ることは叶わなくても、焦がれた冬の景色を、画家のおかげで知ることができたのです。ただそれだけのことが、どれほどルチアの心を照らしたでしょう。

だからでしょうか。ルチアは画家に、お礼のようなことをしたくなったのです。
ルチアは、いろいろ悩んだ挙句、画家へのプレゼントを木の実に決めました。この街にきて初めて食べた種類なのですが、その美味しさに感動した覚えがあるのです。市場なんかで売っているところも見たことないですし、高い木のてっぺんに実っているので、画家でもきっと食べたことがないはずです。

(ふふん。わたしだって、あなたが知らないこの街の魅力を見つけられるんだから)
ルチアは意気揚々と、木のてっぺんめがけて飛んでいきます。連なるように成っている、赤い小さな木の実たち。それをくちばしでつまもうとしますが。

「ちょっと!よそものがなにしてるの」
不意に割って入った声に、驚いて、ルチアは動きを止めました。
いつのまにか、何羽もの鳥たちに囲まれていました。ルチアの仲間ではありません。この街にもとから住む鳥たちです。

「この木の実は、とても美味しくて、そのうえ貴重なんだ」
「よそものになんて、あげられないわ?」
「この街の鳥じゃないあんたらが、わがもの顔で飛び回っているのも腹立たしいのに、この木の実まで奪おうなんてずうずうしい!」

そうして集まった鳥たちは、いっせいにわめき始めました。木の実をおいていけだの、早く街から出ていけだの、彼らがルチアたちを快く思っていないのが、ありありと伝わってきます。

ルチアは、心が冷えていくのを感じました。やっぱり自分は異物なんだ、そんなふうに思ってしまって、胸が苦しくなります。
――けれど。そんなルチアをすくい上げるように、画家の声がふと頭に響いてきました。

『よそものなんて思わなくていい』
『きみはぼくの友達だ』
そうだ、彼がそう言ってくれたじゃあないか。なにも引け目を感じる必要などありません。ルチアはルチアらしく、自分の願いを追えばいいのです。

(この鳥たちによそものと言われたって……わたしには彼という友達がいるんだから!)
ルチアはそう自分を鼓舞して、木の実をいくつかくわえると、鳥たちの包囲を抜けて逃げました。

渡り鳥の力強い羽ばたきに、彼らが追いつけるはずもありません。
そうしてルチアはいつもの広場で、画家に取ってきた木の実をごちそうしました。

「わあ!とても美味しいよ。ありがとう」
「へへ、他の鳥たちにはいろいろ言われてしまったんだけれどね。あなたのおかげで、わたしはわたしを肯定できたの」

そう胸を張って言いながら、ルチアも木の実をひと粒ついばみました。
ルチアの心の在り方は、たしかに変わっていました。
 
ルチアと画家は、以前よりも仲良くなって、さらに心を通わせるようになりました。

けれど終わりは必ずやってきます。ルチアは冬になる前に、この街を発たなくてはならないのですから。
とうとうそのときはやってきました。

「……三日後、わたしたちはこの街を出ることになったよ。あなたとももう、お別れだ」
「そっか……もう、冬が近いからね」

別れがくることなんて、わかりきっていました。ルチアは渡り鳥で、画家は定住者。本当なら交わることはない関係なのです。
画家もそれはわかっているようでした。少しさびしそうにしながらも、すぐに受け入れます。受け入れて、こんなことを言いました。

「ねえルチア。きみも、いろいろといそがしいだろうけど……最後の日も、ぼくに会いにきてくれないかい?」
「もちろんだよ!わたしだってあなたのことを、友達だと思っているんだから」

言われなくても、初めからそのつもりでした。ルチアだって、もう画家と会えないのはさびしいのです。しっかりと、別れを告げる気でいました。
「仲間と旅立つ準備をしなくちゃいけないから、たくさんは会えないけど……最後の日は必ず、あなたに会いに来るよ」

ルチアと画家は、そう約束しました。
それから旅立ちの日まで、ルチアは画家と一度も会えませんでした。暇なときにあの広場をのぞいたこともあるのですが、めずらしく、画家はそこにいませんでした。

そのままとうとう、別れの日が訪れます。
「ああ、よかった。きてくれた」
広場に舞い降りたルチアを見て、画家はほっと安心したように息を吐きました。

「当たり前だよ。だって約束したじゃない」
そう答えながら、ルチアは、画家が何やら大きな板を持っていることに気づきました。両手でようやく抱えられるような大きさで、布がはりつけられた厚い板です。

「……もしかして」ルチアは気づきました。「あなたが持っているのはキャンバス?」
「そう!そうだよ。これを、きみに見てほしかったんだ。きみへのプレゼントだよ」

画家は嬉しそうに頬をゆるめると、「じゃーん」なんて言いながら、そのキャンバスをルチアに見せてくれました。
「きみのために描いたんだ……言ってただろう?きみは、この街の冬の様子を知りたいって。実物はむりでも、ぼくの絵でなら、きみに冬を見せてあげられると思ったんだ」

それは、雪におおわれたこの街の絵でした。建物のやねも、木も、すべてが真白に包まれて輝いています。降りしきる雪の綿は、小さくてぼんやりとしていて、今にも溶けていきそうです。儚くて、美しいのです。

ルチアの知りえない冬景色が、今たしかに、画家の絵のなかに広がっていました。
「……きれい」
ぽつりともれたルチアのつぶやきを聞いて、画家は満足そうにうなずきます。

憧れた雪景色を、ルチアはじっと眺めます。長旅にこの絵を持っていくことはできません。せめていつでも思い出せるようにと、絵を目に焼きつけていきます。
「……ありがとう、本当に。あなたは、世界一の絵描きだよ!」

ルチアはそう画家を称えました。画家ははにかみながら。
「礼を言うのはぼくのほうだよ。この絵はぼくが今まで描いたなかでいちばんの傑作だ。きみのために……友達のために描いた絵だから、きっとこんなに美しく描けたんだ。きみに出会えて、本当によかった」
「わたしも、あなたに会えてよかった」

まぎれもない本心でした。
ルチアはこれまで、土地を旅立つたび、悲しさを感じてきました。もっとここにいたいと思ってしまいました。

けれど今回は。画家が知らない世界を知る楽しさを、あんなに生き生きと語ってくれたから。新たな世界に旅立つことが、ルチアはいつもより怖くないのです。怖くないどころか、胸がわくわくとはじけているのです。

「また会える保証はない……でもわたしは、あなたのために、すみずみまで世界を見てくるよ。またあなたと会えたとき、こんな場所があったって教えてあげられるように!」

「ぼくも、きみのために絵を描こう。きみが知らない冬の景色をたくさん描きためて、またきみに見せてあげる」
一羽と一人のないものねだりが、歯車のように嚙み合った瞬間でした。お互いの夢をお互いが補って、新しい願いが紡がれます。

「さようなら、また会う日まで。わたしはあなたのこと、絶対に忘れないから」
ルチアの言葉に、画家は力強くうなずきました。
「ぼくもきみを忘れない。きみと話した時間は、ぼくの宝物だ、忘れるもんか」
ルチアが最後に見た画家の笑顔は、とびきりまぶしく輝いていました。
「さよなら、ルチア。きみのこれからの旅路が、よきものでありますように!」


画家と別れ、街を飛び立つ直前、ルチアは浜辺に立ち寄りました。仲間の何羽かはもうすでに出発していて、水平線上に彼らの姿が見えます。
素敵な友達に出会いました。画家のおかげでルチアは、こうして前向きに、海を渡っていくことができます。長い目で見ればほんのわずかの彼との邂逅が、今ルチアの心を奥底から照らしていました。

ルチアは渡り鳥。一つの土地になじみきることはできないけれど、その代わりたくさんの世界を知れる。誰かと言葉を交わせば、ルチアは知りえない土地の別の姿にだって触れられる。

かつてない希望に浮かされるまま、ルチアは浜辺に絵を描きました。画家のまねごとです。翼と足を使って、砂にゆるやかな曲線を引いていきます。
できあがったそれは、何がモチーフかもわからなくて、絵と呼ぶにはあまりに不格好だったけれど。

ルチアはそれをしばらく眺め、やがて満足げにうなずきました。そうして、今度こそ、街を去り、南へと出発します。
ルチアが飛び去ってしばらくしたころ、ルチアの残した絵もどきは、寄せては引く波に流され、消えていきました。

作・湊むつみ(奈良県 奈良県立郡山高校3年)