紆余曲折ありましたが、「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」では、いよいよ蔦家重三郎が江戸のど真ん中、“日本橋”に進出しました。ライバルの本屋が群雄割拠する場所で蔦重は“吉原者”の誇りを胸に、ドーンと勝負にでたのですね。
今回の「『べらぼう』の地を歩く」は、日本橋で耕書堂やライバルたちの店の跡地を巡ります。
※この記事はNHK財団が制作する冊子「『べらぼう』+中央区」のための取材をもとに構成したものです
蔦重が店を構えたのは、日本橋の「通油町」、今の日本橋大伝馬町の一角です。

江戸時代、耕書堂があった通りは、日本橋を起点とする五街道のうちの「日光・奥州街道」にあたるメインストリートで、今では「大伝馬本町通り」の道路愛称で呼ばれています。
案内してくれるのは、このコラムの常連! 中央区教育委員会の学芸員、増山一成さん。待ち合わせたのは、日本橋大伝馬町、「大伝馬本町通り」沿いにある「耕書堂」跡地にたつ案内版の前です。

蔦重がこのあたりに店を構えたのは天明3年(1783)、数え年で34歳の頃。地本問屋、丸屋小兵衛の店を蔦重は居抜きで買い取り、丸屋の持つ出版ネットワークも手に入れたとされます。
この場所にたつと、“ここに、あの蔦重がいたんだ”と感慨にふけってしまいます。蔦重だけでなく、歌麿が身を寄せ、『東海道中膝栗毛』の著作で有名な十返舎一九らも、ここに住んで商売を手伝っていたんだ……。

上の絵は日本橋に2号店としてオープンした「耕書堂」の店先。描いたのは葛飾北斎です。右端の広告に「山東京傳(伝)」の名前が見えます。
増山さん 「蔦重が店を出した日本橋の『耕書堂』は、江戸を代表するメインストリートに位置しています。周辺には商店や問屋などが立ち並ぶ、大変賑やかなところでした。意外と思われるかもしれませんが、この旧街道の道幅は江戸時代も今もそれほど変わっていません」

——ドラマでは、耕書堂の近くに橋がかかっています。
増山さん「耕書堂のたつ通油町のすぐ東には、浜町堀と呼ばれた、水運で利用するための南北に長い掘割があり、ここに緑橋という木造橋がかけられていました。緑橋がかかっていた場所(日本橋大伝馬町と日本橋横山町との町境)の地面が少し盛り上がっているのですが、これが橋を渡していた痕跡です」

——蔦重もその橋を幾度となく渡ったんですね。
増山さん「蔦重が吉原から日本橋にやってくるときに、神田川にかかる浅草橋の次に渡るのが緑橋です。日本橋に出した店の目と鼻の先にあるので、身近な橋だったはずです」
鶴屋喜右衛門と蔦重の意外な関係

耕書堂のはす向かいには「べらぼう」で風間俊介さん演じる鶴屋喜右衛門の店「仙鶴堂」がありました。これまでのドラマでは蔦重を拒絶し、敵視する人物として描かれてきた鶴屋。しかし、地元住民の心をつかんでいく蔦重の姿を見た鶴屋は、彼を日本橋に迎え入れることを決めます。
「実際には商売敵で利権を争うバチバチのライバルではなくて、むしろ互いの本屋商売にとって良き協調関係で成り立っていました。蔦重は鶴屋さんと一緒に日光東照宮や中禅寺へ参詣旅行に行ったりする仲だったのですよ。」と増山さん。
そうだったのか……実は仲が良いのか……、なんだか嬉しい……。

「べらぼう」では片岡愛之助さん演じる鱗形屋孫兵衛の「鶴鱗(林)堂」があったのが、通油町に隣接した通旅籠町です。ここには、百貨店「大丸」の前身となる「大丸呉服店」もありました。
増山さん「通旅籠町は、その名が示すように、『旅籠』つまり宿屋が多かったことが町名の由来とされています。この近辺の小伝馬町三丁目(現在の日本橋大伝馬町)や馬喰町(現在の日本橋馬喰町)といった町々には、当時、多くの旅人宿が立ち並んでいました」
――旅人にとってもこのあたりは要所だったのですね。
増山さん「ちなみに、宿屋飯盛の狂歌名で知られ、蔦重の墓碑に文を書いた石川雅望などは、小伝馬町三丁目の宿屋の主人だったのです」
鱗形屋は「吉原細見」を独占的に販売し、初の黄表紙とされる『金々先生栄花夢』をヒットさせるなど、江戸有数の地本問屋でした。「べらぼう」では蔦重とのドラマティックな関係が描かれただけに、この場所を歩くと、感慨深いものがあります。

上の絵は恋川春町によって描かれた鱗形屋の店の様子。奥に座る人物は孫兵衛とされます。

蔦重が生きた時代の後、およそ50年後に初代・歌川広重が描いた日光・奥州街道沿いに位置する大伝馬一丁目(現在の日本橋大伝馬町)の様子。この絵には描かれていませんが、ここから振り返って通りを2ブロックほど進んだ先に蔦重の「耕書堂」があったはずです
——通りの向こうに富士や江戸城が描かれていますが、実際に見えたのでしょうか。
増山さん「この絵は、木綿問屋が軒を連ねる日光・奥州街道沿いの、大伝馬一丁目あたりから江戸城のある方向を描いたものです。このメインストリートはちょうど富士山が位置する南西方向に延びていますので、かなり遠方にはなりますが、天気の良い日は望めたのではないかと思います」

「べらぼう」では西村まさ彦さん演じる、蔦重とは因縁のライバルとされる西村屋与八の「永寿堂」も耕書堂からすぐそばにありました。
増山さん「西村屋の場所は、耕書堂前の本通りを浅草方面に向かってすぐの馬喰町二丁目(現在の日本橋馬喰町一丁目)の南角といわれています。歩いても300メートル弱の距離です。今でいえば、おおよそ馬喰町交差点の南の街区あたりでしょう」
——馬喰町はどんな場所だったのでしょうか。
増山さん「町名の“ばくろう”とは、馬の売買・仲買を行う商人のことで、幕府の馬喰(博労)頭が管理をしたことに由来します。馬喰町は、旅人宿が集中する江戸でも有名な宿屋町でして、江戸へ商品の仕入れにくる商人たちなども含めて多くの人が宿泊しました。こうした場所にあった西村屋ですから、江戸土産として流行りの浮世絵や本を買っていく人たちも多く訪ねてきたはずです」

上の写真は葛飾北斎が挿絵を描いた往来物に登場する「永寿堂」の店先です

耕書堂があった旧街道沿いや、その周辺には、江戸時代から続く刷毛や和紙の専門店、扇子・うちわの店などが今も商いを続けています。
増山さん「吉原の本屋としてデビューした蔦重は、流行の最先端を行く江戸の中心地・日本橋に耕書堂を開いたあと、実の父母をここに迎えて養ったとされています。まさに公私にわたって、蔦重にとって重要な場所となったのです」
——こうして歩いてみると、日本橋大伝馬町には蔦重の世界がぎっしりと詰まっていることがわかります。
増山さん「蔦重や関係する本屋たちの痕跡を辿るには、江戸のメインストリートであった旧日光・奥州街道(現在の大伝馬本町通りから横山町大通り方面)を歩いてみると良いと思います。旧街道沿いやその周辺には、江戸情緒を感じられる老舗も残っていますし、少し足を延ばせば、源内が獄死した『伝馬町牢屋敷跡』や、吉原へ向かう舟が出た『柳橋』の方までつながります」
——見所がたくさんありますね。
増山さん「ぜひ、日本橋大伝馬町近辺を訪れて『べらぼう』で描かれている世界を想像しながら、実際に歩いて、感じてみてください」

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(取材・文 平岡大典[NHK財団])
(取材協力:中央区教育委員会、中央区・中央区観光商業まつり実行委員会)
主要参考文献:
今田洋三『江戸の本屋さん 近世文化史の側面』平凡社ライブラリー
増田晶文『蔦屋重三郎 江戸の反骨メディア王』新潮選書
『江戸散歩・東京散歩』成美堂出版
この記事は、NHK財団が制作したPR冊子「『べらぼう』+中央区」のために取材した際の情報などをもとに構成しました。
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