「全国高校生童話大賞」
宮沢賢治が生まれたまち、岩手県花巻市の取り組みのひとつとして、人生の中でも最も多感で豊かな創造力をもつ高校生を対象に、“童話”という自由な表現の場を提供することを目的に実施。
「全国高校生童話大賞」実行委員会:富士大学、花巻市、花巻市教育委員会
表彰式の様子はこちらから→https://steranet.jp/articles/-/1283

昔から、『なんだかいつもと違う』ことや『どこか違和感がある』ことに人より敏感だった。

だからか、夏休みに帰省した実家のマンションのエントランスの花瓶の一つに花が生けられていることにも、俺が誰より早く気付いたらしい。

花瓶だからそこに花があるのは当然と言えば当然なのだろうが、このマンションでは少し事情が違った。

というのも、花が好きで俺と話が合った前の管理人が去り、代わりにいかにも気が利かなそうな――前の管理人への思い入れからの思い込みかもしれないが――新しい管理人がやってきてからは、六つある花瓶たちはずっと空のまま、埃をためるだけの置物と化していたからだ。

花が生けられていると言っても、花屋でちゃんと買ってきて丁寧に生けられたようにも見えない。

そこらで適当に摘んできた花をぽいぽいと突っ込みました、というような風情である。そして花瓶を覗き込んでぎょっとした。

「なんで水すら入ってないんだ…」

もしや子供の悪戯だろうか。だとすると納得がいく。

水も与えられていないのだから、この花たちはすぐに萎れて枯れるだろう。いずれ誰かが気付いて捨てる、それだけの話だと思って踵を返そうとして、立ち止まった。

「…ちょっとだけ、気が向いたから、それだけだから…」

誰にともなく言い訳をして、花瓶の花に手を伸ばす。バランスよく、美しく、より違和感のない場所へ、ふさわしい場所へ、花を挿し直していく。

勿論見るからに寄せ集めの適当な、言ってしまえばほとんど雑草の花々なので、そこまでいいものにはならない。ハサミもなく、茎を切って高さを変えることすらできなかった。

それでも、最初の酷い状態よりはましな見栄えになったのではないだろうか。

あとは水をやることが出来ればいいのだが、マンションの備品に勝手に水を入れてしまっていいものかと悩む。花だけならまあ、どこぞの悪戯小僧がやったものをちょっと気まぐれでいじっただけ、で済ませそうな気がするが、水までやってしまうといよいよ逃げ道がなくなる気がする。やめておこう。

今度こそ方向転換して、我が家に戻るべく足を踏み出す。それにしても柄にもないことをしてしまった。自分でも行動の理由がよくわからず首をひねる。

ただ、乱雑に花瓶に詰められた花々を見ていると、敗れた夢を思い出してしまいそうで辛かったことだけは確かだった。

――などと考え事をしていたからか、エレベーターから降りてきた子供とぶつかってしまった。

「あ、ごめんなさい!」

「いや、こちらこそ」

ごめん、と言いかけたところで、その少年の手元に目が釘付けになる。

小学校低学年くらいのその子は、誰もが見たことがあるであろう象のジョウロを抱えていた。なみなみと入った水がたぷんとゆれるのが視界に入り、もしやと思って口を開く。

「あの花瓶…」

と言いさすと、少年はみるみると顔を固くし、その先も聞かず無言で走り去った。どうやら当たりらしい。

少し悩んでから後を追ってみると、案の定一直線に先程の花瓶に向かっていた。

そして立ち止まり、自分が突っ込んだ時と明らかに変わった花の配置に気付いて困惑している風である。

何かを警戒しているようにきょろきょろ辺りを見回し、――そのくせしっかりその動きを見ている俺にはまるで気付かないで――花の生けられた花瓶にそろそろと水を注いだ。

「ねえ」

声をかけると、少年はビクッと飛び上がりぎこちなくこちらを見た。その顔にはありありと怯えが浮かんでいる。叱られるのを怖がるくらいならやらなければいいのにと思いながらも、それ以上怯えさせないようにゆっくりと近寄ってみる。

「いやあの、別に怒ってるんじゃなくて。なんでお花を入れたのかなって」

様子を見る限りただの悪戯とも思えなかったのでそう言うと、少年は真一文字に引き結んでいた口を開いた。

「おにいちゃんが、お花、かえたの…?」

「あ、うん、ごめんね。勝手なことして」

何故こちらが謝っているのかとも思いつつ、出来る限り優しい声を心がけて応答する。どちらかと言えば子供は苦手な方だ。好奇心にかられて話しかけたことを既に後悔し始めている。

少年は花瓶をちらちらと仰ぎ見ながらなにやら逡巡していた。

「あの…えと、とっても、きれい」

ようやく開いた小さな口から漏れた言葉が生花への感想だと理解するのに少し時間がかかった。ぽかんと口を開けてしまった俺に向けて、少年はぽつぽつと言葉を紡ぐ。

「おかあさんがもうすぐ、病院からかえってくるの…おかあさん、お花がすきだから」

玄関を飾って母親を迎えたかったが家には花瓶がなく、そこでエントランスの花瓶の存在を思い出した、ということらしい。

少年は体を揺らして足元を見つめていたが、ふいにこちらを見上げて言った。

「あの、ぼくがつんできたお花を、ほかのかびんにも、同じようにかざってくれませんか」

「え」

「だめ、ですか?」

この花瓶は使われていないとはいえマンションの備品で、勝手に使ってしまっていいものとは思えない。

この頼みは断って、子供を諭し、花をここに飾るのは諦めさせるべきだと思う。だがそう思いつつも、花を美しく整えること、それで人の依頼に応えること、人を喜ばせること――そういったことへの渇望が、置き捨てたはずの夢が体を縛る。気付くと、口が勝手に動いていた。

「…俺で、よければ」

こうして俺は、少年とともに花を生け始めた。

タカハタコウです、と少年は名乗った。

コウが近所の道端や河原から花や葉を摘んでくる。俺はそれを切ったりして整え、花瓶に配置する。物足りなければこんな花が有ると良い、とコウに伝える。満足いく出来になったら次の花瓶に取り掛かる。

聞けば、母親が帰ってくるのは二日後だと言う。母親のことを語るコウは頬を蒸気させていて、その深い親愛がよくわかり微笑ましかった。

そういえば、俺も初めて作った花束は母さんに向けたものだったっけ、とふと思う。母が驚き喜んでくれたのが嬉しくて、丁度コウと同じくらいの年頃だった俺はお花屋さんになりたいと無邪気に思ったものだった。

確か、花屋は女の子がなるものだと同級生にからかわれ、傷ついて諦めたのだったと思う。それからしばらく経って、今度はフラワーアーティストになりたいと言い出したのだからなんとも根深い。そちらの夢はまだ最近のもので、まだ生々しい未練が残っているから、あまり考えたくはない。

「おにいちゃん、お花、つんできたよ。オレンジのやつ」

「ああ、ありがとう」

コウはよく働いた。こんな花が欲しい、と言うとなかなかイメージに合った花を持って来るので、センスの良さも窺えた。

花を生けながら、コウと様々な話をする。

母親は花が好きだが父親はそうでもなく、更に両親ともに忙しく世話ができないことから家には花を置いていないということ。花束を買いたいと思ったが、コウのお小遣いでは厳しかったということ。病院に行くまでの道で花を摘んで持っていくと母親がとても喜んでくれたということ。

当然ながら人が通るエントランスで花瓶を抱えて堂々と生けるわけにもいかないので、マンションの裏手である程度花の配置を整えてから花瓶に差し込んでいる。そして、差し込んでからは素知らぬ顔でいる。正直いつ見咎められるかわかったものではないし、なんの前触れもなく花が捨てられていてもおかしくない。幸いと言うべきか、今はまだそんな事態にはなっていない。

たとえそうなっても悪いのは全面的にこちらなのでどうしようもないが、怒られるかもしれないと思いつつも生けるのはやめられなかった。久々に花をいじれてとても楽しかったし、コウとコウの母親を喜ばせてやりたいという気分にもなってきていた。

三本の花瓶が埋まった夕方、俺はなんとなく充実した気分でコウと別れた。

「あんた、コンビニ行くって出たっきり帰ってこんかったけど何してたの」

夕飯の席で母に言われ、ぎくっとする。まさかマンションの花瓶を勝手に使って生け花してました、とも言えず、

「近所の子供に懐かれて、遊んでた」

と答えた。そこまでの嘘にもなっていないはずだ。母はただ、ふーんとだけ言って後はもう興味もなさそうにしている。

「大学卒業した後どうしたいかは決まったの?」

「あー、まあ、適当に就職する感じで…」

「フラワーなんたらはどうしたの」

「それは…いいんだよ、もう」

デリカシーもなく訪ねてくる母に多少うんざりしつつも、答えないわけにもいかないのでおざなりに返事をする。

自分にそこまでの才能はないのだと気付いて夢を諦めた時の、胸を締め付けるような感傷がよみがえる。

残りの食事は喉を通らなかった。

「おにいちゃん、おはよう!」

翌朝俺がエントランスに降りると、コウは既に花を抱えて待っていた。満面の笑みで、明日母親が帰ってくることへの喜びが伝わってくる。

「うん、おはよう」

早速花を何本か取って生け方を考えていると、背後から声がした。

「君たちですか?勝手に花瓶を使っているのは」

はっとして振り返ると、そこには渋い顔をした管理人が立っていた。

「あ、えっと…」

冷や汗を垂らしながらコウの方を見ると、顔を青くしている。

「ご、ごめん、なさい…」

俯いて声を発したコウを見て、慌てて頭を下げる。子供のコウはまだしも、大学生にもなってこんなことをした俺にはまず間違いなくお咎めがあるだろう。

コウは所在無げな顔をしながらも、必死に言葉を重ねている。

「あの、明日、おかあさんが帰って来るから…お花を、かざりたかったんです。おにいちゃんは、ぼくにたのまれただけで、だから」

自分も不安だろうにこちらをかばってくれるコウに目を見開く。なんて出来た子供だろう。

「いや、俺も悪かったし…」

「わかりました」

黙ってコウの言葉に耳を傾けていた管理人は俺のセリフを遮った。次にその口から出てくるのはお叱りだろう、と身構えると、予想外の言葉が飛んできた。

「そういう事情があるなら、ちゃんと相談しなさい」

驚いて見返すと、管理人はいつもの仏頂面とは少し違う表情を浮かべている。微笑んでいるのだ。

「まあ、あるのに使わないのもなんですからね…好きにしなさい」

「え…いいんですか?」

管理人は微笑んだまま頷く。

コウと顔を見合わせると、コウは幼い顔にじわじわと朱をのぼらせた。俺も多分、笑っている。

「ありがとうございます!」

神経質そうだとばかり思っていた管理人は思いの外優しかった。

管理人に許可を貰って今度はエントランスで作業をしていると、人に声をかけられるようになった。

「まあ、綺麗ねえ。上手だこと」

「ありがとうございます」

久しぶりの褒め言葉がくすぐったくも嬉しい。さらに、花屋から花束を買ってきてあげようかと言ってくれる人まで現れた。しかしコウは、

「ありがとう、ございます。でも、いいの。おにいちゃんがきれいにしてくれたお花が一番、きれいなんです」

と言って笑った。それを聞いて、なんだか胸が温かくなった。

正午を越える時間になって、六つの花瓶は全て埋まった。コウがぺこりと頭を下げる。

「ほんとうに、ありがとうございました。おかあさん、きっと、よろこんでくれると思います」

コウは華やかに彩られたエントランスを見回して幸せそうに笑っていたが、ふと顔を小さく歪めた。どうしたのかと思っていると、ぽつりと声を漏らした。

「おにいちゃん、これからも、会える?」

「ああ、お盆休みが終わるまではここにいるけど…」

「おぼん休みが、おわったら?」

当然大学通学のための下宿先に戻る。またこちらに来るのは、早くても冬休みだろう。

そう言うと、コウは一瞬寂しそうな顔をしてから、なにやら決心したような顔でこちらを見上げてきた。

「じゃあ、ぼく、おにいちゃんがいない間に、お花をいけるれんしゅうをしてます。冬までにきっと上手になるから、また会うときに見て、もっと上手になるように、おしえてね」

思ってもいなかったことを言われて驚いたが、同時に嬉しくなった。一番の笑顔を浮かべて答える。

「俺で、よければ」

コウの母親は、線の細い優しそうな人だった。エントランスに溢れる花を見て「まあ」と声を上げ、嬉しそうにコウの頭をなでていた。

「ありがとうございます、本当に綺麗…でも、ご迷惑ではなかったですか?」

コウに腕を引かれてこちらにやってくると、柔らかい声で礼を言ってくれる。

「いえ、そんな。俺も楽しかったですし」

本心から答えると、コウの母親はコウを愛おしそうに眺めながら微笑んだ。

「そうでしたら良かったです…プロ志望でいらっしゃったりするんですか?」

その言葉に胸を突かれる。何と答えるべきか迷っていると、コウが明るい声を上げた。

「きっとそうだよ。ぼくもおにいちゃんみたく、お花をきれいにするひとになりたいの」

無邪気に憧れてくれるコウに胸が熱くなって、つい答える。

「…はい、フラワーアーティストになりたいな、と」

勢いで言ってしまってからふと、夢を追い直してみるのもいいかもしれない、と思った。そして腕を磨き、コウの憧れの存在であり続けるのだ。

花瓶で輝く花々がこちらに笑いかけているような気がした。


作・空井慧(愛知県 県立時習館高校2年)


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