画面から、番組を企画し、取材し、編集した方々の「熱量」のようなものが放射されてくる。そんな瞬間がある。

2月25日に放送されたETV特集「ルポ 死亡退院 ~精神医療・闇の実態~」はインパクトのある番組だった。一年間にわたって調査報道をしたドキュメントからは、真実を追求し、人間性を回復しようという執念のようなものが伝わってきた。

内部告発によって入手された映像や音声は衝撃的であった。患者に対しての人間の尊厳への配慮が感じられない発言、患者の身体の拘束、そして暴力。心身のハンデを負っている方々に対する思いやりや温かさのない病院スタッフの振る舞いに、強い憤りを感じるとともに絶望的な気持ちになった。

もともと、院長には問題の前歴があり、「行ったら最後」というような悪い評判が立っていた病院。それでも、患者を扱いきれなくなった他の精神科病院や、対応に苦慮する行政などがこの病院に依存していた構図がうかびあがってくる。

看護師が逮捕された東京の精神科病院 

救いがあるとすれば、そのような病院の現状に心を痛めて内部告発した方々、そして、患者さんやその家族、友人を支援しようと活動を続ける相原啓介さんのような弁護士の存在だろう。そしてもちろん、このような番組を製作、放送して世に問題提起する公共放送としてのNHKの役割も大きい。

患者に対する心無い仕打ちを行う病院スタッフや、高級車に乗って取材を無視する病院長に対する怒りがこみあげるのは自然なことである。また、法律に反している点については厳正に対処されるべきであり、実際警察が動いている。

それでも、このような問題を改善しようと思ったら、関係者の悪意、傲慢といった個人的資質をこえた、「制度」や「システム」の問題に焦点を当てるしかない。

番組では、この病院のような問題が過去に繰り返されてきたこと、その背景に精神医療をめぐる困難な状況があることを丹念に描く。

患者に対する医師、看護師などの病院スタッフの配置基準が、一般病棟に比べて手薄なこと、指導するはずの行政の監査が機能していないこと、スタッフが「天ぷら」との隠語で語り合う、記録の偽造が横行していることなど、さまざまな問題点が浮き彫りになる。

精神科の患者を手厚くケアする仕組みが、この国に欠けていることも最大の問題点の一つだろう。入院が長期化し、適切な治療が施されていない。番組中でこれは一つの「棄民政策」だと衝撃的な言葉で表現されていたように、社会の側が患者をこのような問題病院に「厄介払い」しているような構図がある。さらには、患者に不必要な治療を施して高額の診療報酬を稼ぐなどの、病院経営の暗部も見えてくる。

1498人の患者のリスト

「死亡退院」という言葉が表しているように、いったん入院したら、他に行き場がないために死亡して退院するまでそこにいるしかない。そんな精神医療の闇の実態を描いたこの番組は、「我々が報道しなければならない」という制作スタッフの魂の迫力が伝わってきて、強く印象に残った。

相原啓介弁護士の尽力によって退院が実現した漫画家の女性のように、普通に生活していたり、社会的に活躍していても、何かのきっかけで精神のバランスを崩すかもしれないし、問題のある病院に入院させられるかもしれない。この番組で報じられた精神医療の課題は、私たち一人ひとりにとって他人事ではない。

昨今、公共放送に対しての世間の眼は時に厳しい。NHKの存在意義が心ある人たちの心に響くためには、この番組のような放送人としての良心と気概がある作品がどうしても必要だろう。

私は、一視聴者として、このような番組が制作、放送される限り、公共放送としてのNHKを支持したいと思う。公共放送は良き社会のための「心のインフラ」であってほしい。

1962年、東京生まれ。東京大学理学部、法学部卒業後、同大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経て、「クオリア」(感覚の持つ質感)をキーワードとして脳と心の関係を研究。文芸評論、美術評論などにも取り組む。NHKでは、〈プロフェッショナル 仕事の流儀〉キャスターほか、多くの番組に出演。