『映像の世紀バタフライエフェクト』は、今、NHKの番組の中でも最も熱く深い支持を受けているシリーズの一つかもしれない。
なぜ、これほどまでに魅力的なのだろう。「大東亜共栄圏の3年8か月」(2023年4月24日放送/ 5月3日総合 午後11:50 に再放送予定)を見ながら考えた。
 
番組では、日本がアジアを巻き込んで戦争に突き進んでいった日々を映像で振り返る。「大東亜共栄圏」は、あの時代の日本の思想的なバックボーンであった。戦後80年の節目が次第に近づいてくる今、さまざまな角度から当時を振り返ることには大きな意義がある。

日本軍のジャワ行進

番組のユニークな特徴は、複雑系の科学の重要な考え方である「バタフライエフェクト」。つまり、「蝶の羽ばたき」のような小さな出来事が次第に歴史の大きな分岐点につながっていくということを見据えていることだろう。

そして、そこには人間のドラマがある。今回の放送でも、戦争中に日本軍の宣伝にたずさわっていた人物が戦後の民間ラジオ局の看板番組の立ち上げに関わったり、日本によって樹立された政権が、当初の意図を超えて対外的に意表を衝いた動きに出たり、さらにはその時の元首が戦後も新たなかたちで活躍するなど、予期できない歴史のうねりを見事にとらえていた。

日本語の授業を受ける現地の子どもたち

「大東亜共栄圏」の政策の下、日本で学んだ各地の人たちが、戦後、思わぬ舞台で日本とアジアの、そしてアジア諸国内の関係の力学に関わっていく。その描写には、「歴史は細部に宿る」とでも言うべき醍醐味があった。ともすれば抽象的なイデオロギーとしてのみ語られがちな「大東亜共栄圏」を、具体的な人と人とのつながり、その中での「バタフライエフェクト」を通して再照射したことには、ロシアとウクライナの戦争などで世界が揺らぐ今、大きな意義があったと言えるだろう。

歴史は、結局は生身の人間をめぐって動いていく。この時代を生きる私たちだって、時代の限定と可能性の中にある。今最もホットな話題とも言える「人工知能」をめぐる開発競争や社会的な受容にしても、これからどのプレイヤーがどう活躍し、どこがどうつながるのかわかったものではない。

私たちが現に体験しているこの時代を、後世、『映像の世紀バタフライエフェクト』が取り上げるとしたら、どのように描くのだろうか。そう思わせるくらいに、番組のフォーマットとそのメッセージには人間の存在の根底に届く視座がある。

その波は、若い世代にも届いている。高校生や大学生と話していると、好きな番組として『映像の世紀バタフライエフェクト』を挙げる人は多い。動画配信サイトが全盛の今でも、熱意をもったスタッフが長い時間をかけて練り上げ、編集した番組は必ずインパクトを持つ。

今回、「大東亜共栄圏の3年8か月」を見ながら、改めて気づいたことが2つある。
まず、「映像の世紀」という番組のタイトルからもわかるように、全編切れ目なく映像が続くことで、そこに視聴者がさまざまな示唆を得たり、連想をふくらませる余地が生じるということ。多くのリサーチを背景にした精度の高いナレーションがあったとしても、必ずそこからはこぼれる現実がある。その多様性を、引用されている映像が担っている。映像から喚起される「多世界」のイマジネーションが、視聴者の脳の中で番組の解釈を補い、作品を豊かに肉付けする。逆に言えば、ナレーションこそがそのような想像の多様性を支える骨格となる。

もうひとつ、『映像の世紀バタフライエフェクト』には、どうなるかわからない歴史の中で、人が生きることの「もののあはれ」がある。今や世界でも通じる国際語になりつつある「mono no aware」(pathos of things)。『平家物語』以来の日本人の歴史観は、イデオロギーや政治的な正しさを超えて、人間に寄り添った番組のフォーマットとして、現代に新しい生命を得ている。

1962年、東京生まれ。東京大学理学部、法学部卒業後、同大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経て、「クオリア」(感覚の持つ質感)をキーワードとして脳と心の関係を研究。文芸評論、美術評論などにも取り組む。NHKでは、〈プロフェッショナル 仕事の流儀〉キャスターほか、多くの番組に出演。