公共放送の役割、使命とはなんだろう?
『クローズアップ現代“誰も助けてくれなかった” 告白・ジャニーズと性加害問題』(2023年5月17日放送)は、公共放送としてのNHKの意味、役割を改めて考えさせられる機会となった。

番組でも紹介されていたように、この問題は、1980年代には複数の書籍で告発が行われ、1999年には、週刊文春がキャンペーン記事で報じた。さらには、裁判でも10人以上の証言が、「その重要な部分において真実だと認定された」ということで判決が確定している。

それでも、社会的には、この問題は「存在」することにはならなかった。噂レベルや、ある種の「暗黙知」として一部では共有されていても、正面から問題にされ、議論されることがなかった。

イギリスの公共放送であるBBCが報じたことで、これまで「スルー」していた日本社会が動き出した。日本の公共放送のNHKも、その慎重な姿勢が次第に変わっていった。FCCJ(外国特派員協会)で質問に立ったNHKの記者の方の態度は真摯なものだった。その後、NHKは夕方16時の定時ニュースで短く伝え、ネットのニュース記事も配信した。公共放送としての初めての報道となった。そして今回、「クローズアップ現代」が独自取材に基づいて番組を放送したのである。

メディアというものは、さまざまな人の「思い」が交錯する場所なのだと思う。NHKの現場で番組制作に関わる方々が、ことさらに問題を無視したり、隠そうとしてきたとは思わない。それでも、BBCに続くかたちで、この問題を正面から取り上げるのにこれだけの時間がかかったことは、NHKだけでなく、日本の社会のあり方についてあらためて問い直すきっかけになるのではないか。

番組の中で、裁判において週刊文春側の代理人になった喜田村洋一弁護士は次のように発言されていた。
「報道すべきものは報道していますと自負があれば、それはきっちりすべきだった」
「それはやっていないでしょということでしかない。報道機関として、言葉は悪いけれども怠慢じゃないですかと思った」

なぜ、「怠慢」と言われても仕方がない状況が続いてきたのか。証言の中で、「城壁に小石を投げるような」と表現された無力感が生まれてしまったのか。
番組中で紹介された、ジャニーズ事務所の元マネージャーの方の発言が心に残る。
「考えている余裕がないですから。仕事をこなすのに精一杯なので」

忙しすぎて、自分の立ち位置や、仕事の意義についてゆっくりと考える余裕がない。これは、日本の社会で暮らす私たちの多くの実感ではないだろうか。放送現場で働く方々も例外ではないだろう。結果として、NHKを始めとする日本の放送局は、スタジオでコメントしたジャーナリストの松谷創一郎さんの言葉を借りれば「ある種の共犯関係」とでも言うべき状況に陥っていた。

松谷さんは、真相の究明や再発防止のために、「第三者委員会」を設ける必要性に言及されていた。本来、メディアは、社会にとっての「第三者委員会」とでもいうべき存在なのではないか。その使命を果たせているのか、公共放送としてのNHKのあり方が問われている。

カナダ出身のメディア学者、マーシャル・マクルーハンは、「メディアはメッセージである」と分析した。書籍や雑誌、さらには裁判で取り上げられた事象でも、世間になかなか認知されず、NHKが報じることで初めて一つの「社会的身体」を持つ。それだけ、公共放送の役割は大切だし、また、そのあり方は常にアップデートされなければならないのだろう。

NHKを志望するという高校生、大学生と時々話す機会があるが、メディアの役割についての真摯な思いに聞く側も心を動かされる。時代が流れ、さまざまな新しい情報チャンネルが登場しても、「メディアはメッセージである」という命題の中での公共放送の意味合いは変わらない。今回の事態を受けてのクローズアップ現代の報道が、日本におけるメディアの「社会的身体」の中でのNHKの意義を考えるきっかけになることを期待したい。

ジャニーズ事務所の方々とは何度かお仕事をご一緒したことがある。その時のことを振り返っても、一番大切なのは、「人間」だと感じる。番組中、元マネージャーの方は「雲の上の人」が何をしているのか全くわからなかったと証言していた。しかし、本当は人間に雲の上も下もない。みんなこの地球の上で懸命に生きている。ファンが本当に見たいのは、等身大の「人間」の姿そのものだろう。

歌、踊り、ドラマ、映画などさまざまなジャンルでの自己表現を目指す若者たちが、自分という「人間」のありのままを伝えられるように、その「世界」に通じる道を応援したい。

1962年、東京生まれ。東京大学理学部、法学部卒業後、同大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経て、「クオリア」(感覚の持つ質感)をキーワードとして脳と心の関係を研究。文芸評論、美術評論などにも取り組む。NHKでは、〈プロフェッショナル 仕事の流儀〉キャスターほか、多くの番組に出演。