児童文学作家の角野栄子さんは、宮崎駿さんによってアニメ映画化された『魔女の宅急便』などの作品で世界的に知られている。

その角野さんの魅力に迫るNHKの番組シリーズの人気が高い。2020年11月22日から2回放送された「カラフルな魔女の物語~角野栄子85歳の鎌倉暮らし」を受け、「カラフルな魔女~角野栄子の物語が生まれる暮らし」が、2021年8月19日から放送されている。とっておきのトマトソースを紹介したり、女優の上白石萌歌さんや建築家の隈研吾さんと対談したりする中、シリーズ最新のエピソードが「カラフルな魔女~角野栄子の物語が生まれる暮らし『ここではないどこかへの旅』」(初回放送2022年10月27日放送)だった。

番組では、若き日に「個人移民」としてブラジルにわたり、2年間かの地に暮らした角野さんが、懐かしい風景を求めて「ブラジルタウン」とも呼ばれる群馬県大泉町を旅する。角野さんが現在住む神奈川県鎌倉市からは車で3時間。大泉町を訪れるのは20年ぶりとのこと。

角野さんの手元に、以前大泉を訪問した時にたまたま居合わせたブラジル人からもらったというカセットテープがあった。その音楽を聴いて胸にこみあげてくるのは「サウダージ」。ブラジルで話されるポルトガル語で、「郷愁」、「なつかしさ」を表す。

角野さんは、大泉町のスーパーで果肉を煮詰めてようかんのようにした「ゴイアバーダ」を買い求める。店内には、黒インゲン豆やヤシの新芽など、ブラジル人にとって欠かせない食材がたくさん。買い物の後は、ブラジル料理屋へ。真っ黒な色をした煮込み料理、「フェイジョアーダ」を食べて、かつて住んだ異郷の面影を探る。レストランのシェフが、「ブラジルではよく夕方からみんなで食べて、それからサッカーを観戦する」と楽しそうに話す。角野さんのフェイジョアーダの食べ方は本格的。キャッサバ粉やケールの炒めものなども加えて、味をいろいろ変えて楽しむ。

レストランの店員さんと会話しているうちに、その男性がサンパウロのジャバクアラ出身だとわかる。「その街から私のブラジル滞在は始まった!」と目を輝かせる角野さん。偉大な作家のサウダージ、郷愁が見ているものにも伝わってくる。

日本で働くブラジル人たちの子どもが集う学校に行って、ご自身の体験を語る角野さん。過去形などの時制が難しく、簡略化したポルトガル語を話していたと振り返る。ある時、ボンジーヤ(おはよう)と言ったら、相手に「ボンジーヤが言えればブラジル人」だと言われたとのこと。角野さんの言葉は、異郷の地で慣れない日本語に苦労している子どもたちの胸に温かく響いたことだろう。

角野さんにとって、異国ブラジルでの体験は、まさにその創作の原点になるものだった。現地での生活になかなかなじめず、カーテンを締め切り部屋に閉じこもっていた角野さん。ある時、ふと窓を開けたら風がさーっと入ってきて、その瞬間、「ここで生きていけるかもしれない」と思われたのだという。

代表作『魔女の宅急便』に、この体験が生かされている。異郷の地で、いろいろなことがうまく行かなくてしょげていた主人公のキキを変えたのも、やはり「風」だった。

創作の中で、いつも「ここではないどこかに行きたい」という思いを追求されてきた角野栄子さん。『魔女の宅急便』のキキは、独り立ちしようと見知らぬところに行く。どうやってそこに入っていくか、そこの空気になじんでいくか、そのような私たちすべてにとって切実なテーマが、角野さんご自身の人生のエピソードとともに振り返られる番組構成は実に見ごたえがあった。

朗読を担当されているのは女優の宮﨑あおいさん。角野栄子さんの文章を温かく読んで一つの宇宙をつくる。テーマ曲を担当しているのは、ロンドン在住の気鋭の現代音楽作曲家、藤倉大さん。新国立劇場で2020年に初演されたオペラ、『アルマゲドンの夢』は大成功だった。題字は、和歌山在住のイラストレーターユニットであるロシトロカ。「ろ紙とろ過」をテーマにユニークな活動を続けている。

さまざまなクリエイターの力を集め、福音館書店やポプラ社といった出版社から提供された資料も駆使して生み出される、文化の香りに満ちたすばらしい映像体験。なによりも、旅人になる角野栄子さんが魅力的だ。若き日にブラジルに移住した角野さんが、やがて新天地で苦労しながら成長していくキキの生活を描いた『魔女の宅急便』を生み出す。さらには長い年月を経て、角野さんが群馬の「ブラジルタウン」、大泉町を訪れるNHKの番組ができる。そのような息の長い「人生の伏線の回収」に胸が熱くなる。

シリーズのこれからが楽しみだ。

1962年、東京生まれ。東京大学理学部、法学部卒業後、同大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経て、「クオリア」(感覚の持つ質感)をキーワードとして脳と心の関係を研究。文芸評論、美術評論などにも取り組む。NHKでは、〈プロフェッショナル 仕事の流儀〉キャスターほか、多くの番組に出演。