日本橋のほんどん紹介[前編](コラム#24参照)では、とおりあぶらちょうに地本問屋が集まっていたこと、そしてつる右衛門えもん(演:風間俊介)がその中でも重鎮であったことを紹介しました。今回は、つたじゅう(演:横浜流星)が購入した通油町の店の元店主――ドラマで言えば、てい(演:橋本愛)の父である、地本問屋のまる小兵こへ(演:たかお鷹)を中心に紹介したいと思います。

丸屋小兵衛(ドラマ第17回より)

草双紙の“常識”をくつがえしたとも言える丸屋小兵衛

丸屋小兵衛(豊仙堂ほうせんどう・豊僊堂)は、草双くさぞうが黄表紙と呼ばれるようになる前の青本や、にしき(多色摺木版画)になる前の色数の少ない浮世絵(紅摺べにずり)を数多く出版していた版元です。“長円形の枠に店名を省略して「丸小」”と記し商標としていましたが、その上に、“丸に「山」”と添えることもありました。この「山」の字は、丸屋小兵衛のうじが山本であることに由来しています。

      丸屋小兵衛の商標。 ※編集部作成

 

おおなん(演:桐谷健太)が記した黄表紙評判記『菊寿草きくじゅそう』(コラム#20参照)には、

「……ほうりやく十年たつのとし、丸小が板、じょうさくの草紙にはじめて作者の名をあらハし、だいの絵を紅摺にしていだせしを、その比ハまだ錦絵もなき時代なれば、めづらしき事に思ひ……」

とあります。丈阿(観水堂かんすいどう丈阿とも)は、草双紙の作者の名です。

じつは、それまでは草双紙には絵師の名は示しても、作者の名は記さないことが普通でした。しかし南畝のこの記述によると、「宝暦ほうれき 10年(1760)、丸屋小兵衛がはじめて、作者(丈阿)の名を草双紙(青本の時代です)に入れた。そして、草双紙の表紙に紅摺の外題(この場合は題簽だいせん/表紙に貼る書名などを記した紙片)を付した」とされています。

丸屋小兵衛は、それまでの草双紙の“常識”をくつがえし、はじめて作者にも光を当てた版元だったと言えるかもしれません。実際、丸屋は丈阿の名が入った草双紙を数多く出版していますし、また、丸小版の浮世絵を見ると、丈阿の句がえられている例も多く見られます。

丈阿作・丸屋小兵衛版の青本『倭詞やまとことば元宗げんそうものがたり』 宝暦11年(1761) 東京都立中央図書館 加賀文庫蔵  
「巳之年新板目録」の下段中央に「戯作 丈阿」とある。
※色枠・線は編集部

わらびや握る赤木のつがもない」という丈阿の句が入っている、丸屋小兵衛版の浮世絵。 
鳥居清満画「四代目市川団十郎の工藤祐経」
宝暦9年(1759)
The Art Institute of Chicago, Clarence Buckingham Collection
※色枠・線は編集部

 

丸屋小兵衛と老舗地本問屋・山本九左衛門との深い関係?

丸屋小兵衛は、宝暦(1751〜1764)終わり頃からめい(1764〜1772)中頃にかけて、毎年多くの青本を出版していたのですが、草双紙が黄表紙と呼ばれるようになった頃(安永あんえい[1772〜1781]頃/コラム#8参照)から出版数が減少していきます。天明2年(1782)まで複数の黄表紙も出版していますが、経営が思わしくなくなったのか、翌年9月、ドラマの通り、その店舗は蔦重のものとなりました。きょくていきんの記した江戸戯作の種類ごとの作者の論評『近世きんせい物之本もののほん江戸えど作者さくしゃるい』にも「(蔦屋は)天明てんめい中通油町なる丸屋といふ地本問屋の店庫奥庫をあがないて開店せしより……」とあります。

このように見ると、丸屋小兵衛は、宝暦頃から登場した一代の版元のように見えます。しかし、先に紹介した通り、丸屋小兵衛は山本姓です。じつは丸屋小兵衛は、通油町の隣町の大伝おおでん(町)三丁目に店を構えていた山本やまもと九左衛くざえもんと関係があると考えられています。

山本九左衛門は、17世紀末の地誌類で、5軒の地本屋(あるいはじょう瑠璃るり本屋)の1軒として紹介されている老舗の地本問屋です(コラム#2#24参照)。また丸屋の屋号を用いており、商標も“丸に「山」”が入った同じものを用いていました。店の位置こそ大伝馬(町)三丁目と通油町で異なりますが、丸屋小兵衛と山本九左衛門には、親戚筋、あるいは暖簾のれん分けなど何らかの関係があると考えるのが自然でしょう。

丸屋(山本)九左衛門版の雛本ひなぼん(草双紙の一種)『福神ゑづくし』 国文学研究資料館蔵
享保8年(1723)の刊記がある。

さらに、宝暦頃に活躍した富川房信とみかわふさのぶという絵師がいますが、浮世絵師の来歴を記した『うき類考るいこう』によれば、「(房信は)大伝馬町二丁目(三丁目の誤りでしょう)山本九左衛門といふ絵草紙問屋なり。家おとろえて後に画師となれり」とあります。つまり、房信の代になり版元の山本九左衛門は経営が傾き、絵師となったといいます。

この富川房信の名が多くの草双紙に見えるようになるのは宝暦の末頃であるため、やはり山本九左衛門は、その頃、経営状況が悪化したということになります。さらにいえば、山本九左衛門は、元文げんぶん(1736〜1741)末頃からうろこがたまご兵衛べえ(演:片岡愛之助)とともに吉原細見の出版をほぼ独占していましたが、宝暦10年以降、吉原細見の出版から手を引いています。これも、経営が悪化したことと関係があったのでしょう。そしてその頃から、丸屋小兵衛が草双紙を出版するようになりました。

山本九左衛門と丸屋小兵衛は、宝暦前後には共存していたようで、両者の関係にはわからないことも多いのですが、“丸に「山」”の同じ商標を用いていたこともあり、九左衛門の出版権的なものは、丸屋小兵衛に引き継がれていたと考えるのが自然です。そして蔦重は、天明3年9月、店舗とあわせて出版権的なものも丸屋小兵衛から購入したと考えられています。ということは、蔦屋は、丸屋小兵衛を介した形で、山本九左衛門の出版権をも引き継いだことになります。

ドラマを見ているみなさんならご存じの通り、蔦重は、吉原細見の出版については、すでに鱗形屋から受け継ぐような形になっています。そして、丸屋の店を買い取ったことで山本九左衛門の出版権も手に入れました。このように見ると、蔦重は、18世紀後半に誕生した新興の版元ながら、鱗形屋孫兵衛や山本九左衛門という、大伝馬(町)三丁目の老舗地本問屋2軒の“遺産”を継承したといえるかもしれません。

 

ドラマにも登場する村田屋治郎兵衛と松村弥兵衛

村田屋治郎兵衛(右)と松村(屋)弥兵衛

蔦重が通油町に店を移した当時、ここには、村田屋治郎兵衛(栄邑堂えいゆうどう/演:松田洋治)と松村弥兵衛(ドラマでは松村屋/演:高木渉)なども店を構えていました。

村田屋治郎兵衛は、“丸に「村」”を入れた商標を使用していました。大伝馬(町)三丁目の鱗形屋孫兵衛と並び、初期の草双紙や浮世絵の出版も多く、地本問屋街としてのほんちょうどおりコラム#24参照)の名を上げた版元の一人と言えるでしょう。

     村田屋の商標。 ※編集部作成

村田屋は、寛政かんせい(1789〜1801)後半から、十返舎じっぺんしゃいっの作品を多く出版するようになります。一九のベストセラー、『東海道中とうかいどうちゅう膝栗ひざくり』(きょう2年[1802]〜文政ぶんせい5年[1822])も、村田屋の出版です。

村田屋の店は、通油町から、横山よこやま町、どころちょう新町(どちらも通油町からさほど離れていません)へ、その後は深川ふかがわへと移ります。馬琴『近世物之本江戸作者部類』には、「その後村次(村田屋治郎兵衛のこと)ハ衰へてその板家扶を他に売与しぬる事」とあります。店を移していったのも、経営が思わしくなくなったからかもしれません。

村田屋版の役者絵  鳥居清信画「萩野伊三郎と嵐和か野」 享保11年(1726)
東京国立博物館 出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)
十返舎一九作・村田屋治郎兵衛版の黄表紙『的中あたりやした地本問屋』に描かれた村田屋治郎兵衛の店 享和2年(1802)版
国立国会図書館デジタルコレクションより転載

 

一方、松村弥兵衛は、18世紀中頃から出版を始めたと考えられる版元で、“●に白抜きの「弥」、その下に「松村」”とある商標や、“篆書体てんしょたいの「松」”の商標を用いました。通油町に店があったのは短い間だったと考えられ、寛政2年(1790)には、近くの長谷はせがわ町に移っていることが確認できます。

      松村の商標。 ※編集部作成
富川房信 画『龍宮曾我物語』 松村弥兵衛版 明和8 (1771)刊
左下に“篆書体の「松」”の商標が入っている。
国立国会図書館デジタルコレクションより転載
※色枠は編集部

蔦重が店を通油町に移した頃、松村は、教訓めいた黄表紙の作者として名の知れたいちつうしょうの作品を多く出版していました。この時期、通笑は通油町と緑橋を挟んで隣り合うとおりしおちょうに住んでいました。

村田屋や松村を見ても、版元と特定の作者との強いつながりを感じます。また、経営が傾きだすと、通油町から移転することがわかります。ここからも、地本問屋にとって通油町に店を構えることは、一種のステータスであったことがわかります。

 

参考文献:
井上隆明『近世書林板元総覧』 日本書誌学大系76 青裳堂書店
木村八重子『赤本黒本青本書誌 赤本以前之部』 日本書誌学大系95 青裳堂書店
叢の会編『草双紙事典』 東京堂出版

 

たばこと塩の博物館 主任学芸員。日本近世史、風刺画やおもちゃ絵などについて研究している。東京学芸大学教育学部卒。著書・論文に「支配勘定大田直次郎」(『大田南畝の世界』展図録所収)、「江戸のおもちゃ絵」(『書物・印刷・本屋――日中韓をめぐる本の文化史』所収 勉誠社)、「とてつる拳と鯰絵」(『鯰絵のイマジネーション』展図録所収)など。