四方よもの赤良あからという狂名で天明期の狂歌界をけん引する大田なん。米が高騰を続けるなか、つたじゅう(横浜流星)から「自分たちにできることはないか」と持ち掛けられた南畝は、笑いと願いを込めた狂歌集を作ることにする。常に前向きな南畝について、演じる桐谷健太に聞いた。


狂歌師たちは「言葉で世の中を変えてやろう」と“言葉の戦い”をしていた

——演じるにあたって準備をされたことはありますか?

南畝について書かれた本をたくさんいただいて、けっこうな量を読みました。もちろん、南畝本人だけでなく周辺情報も調べました。今の時代はネット動画もありますからね。メチャクチャたくさん見ました。

南畝は自分の肌に合うと思いました。大変な出来事が多かった時代にも関わらず、彼は「めでたい、めでたい」とよく言っていたらしいんです。このことは、南畝というキャラクターを自分自身に染み込ませていく過程で、すごく大切な要素になりました。

僕自身は当初、 「本当は影の部分もあるのにあえて明るく振る舞っている」という人物像を思い描いていたのですが、監督やプロデューサーから「とにかく明るい、太陽のような人物として演じてほしい」と言われたことがヒントになりました。

確かに南畝は、「どんなことでも面白おかしい方向に変えてやるぞ」という気概を持っていたように感じます。もちろん人間ですから、いろいろ苦難もあったとは思いますけど、それをみんな笑いに転化させていた。そこが魅力だったのではないかと。

——狂歌については事前に何か指導があったのでしょうか?

それがですね、当時、どうやって狂歌を詠んでいたのかは誰にもわからないそうで、じゃあ、自分なりにやるしかないということで、自分のスタイルで狂歌と向き合っています。

狂歌には社会風刺の要素があって、何げないところに面白み、おかしみを見つける点が魅力だと思います。「狂歌」って字面もすごいですよね。実際、はたから見ると“狂ったよう”に感じられたのかもしれません。でも、みんなが落ち込む場面で「めでたい」と言えてしまうのは、ある種の狂気とも言える。濃い闇に打ち勝つためには、必要な狂気だったんでしょう。

第20回の「うなぎに寄する恋」のシーンは、リハーサルでは笑いながらやっていたんです。でも、監督と話して「あえて厳かに、真剣にやってみましょう」ということになって。そうしたら「ふらふらではなく、むらむら」と真剣に言っているのがおかしくて(笑)。もしかしたら実際の南畝も、こんな感じで真剣にふざけていたのかもしれない。それは大きな発見でした。

狂歌師たちは、世の中の一歩先、二歩先を行く、“言葉の戦い”をしていたんじゃないですかね。もちろん、自分たちが面白おかしく楽しく生きることが大前提だったにせよ、「言葉で世の中を変えてやろう」と勝負をしていたように思います。


南畝は、貧しさという穴の中にいる自分を、穴の上から面白おかしく観察することができた

——南畝をどのような人物だと捉えていますか?

「今までは人のことだと思ふたに俺が死ぬとはこいつはたまらん」──これは南畝の辞世の句ですけど、自分が死ぬ状況なのに、それをかんしていて、悲壮感もなく、どこか余裕が感じられますよね。

それだけでなく、誰かが読むことを念頭に置いて、読者に向けて「死ぬときに焦んな」「大丈夫、大丈夫」と伝えているような……。南畝は、他人の気持ちに寄り添うプロフェッショナルだったのかなとも思いました。

彼はとても貧しい暮らしをしていました。貧しさという穴の中に自分がいるとして、その自分を穴の上から面白おかしく観察することができれば、少なくとも心は貧しさから脱却できるみたいな感覚があったのかもしれません。

自分の貧乏話を、友だちや仲間に面白おかしく話して、笑ってもらえたのかもしれない。他人の心を動かす経験をして、過酷な状況を笑いに変えられる能力に気づいて、「俺の生きる道はここだ」と思ったんじゃないでしょうか。そんな経験を重ねるうち、状況を俯瞰して見る習慣がついたんじゃないかと想像しています。

人間誰しも、「あのつらい出来事があったから、いまの自分がある」と思うようなことってあるじゃないですか。普通、そう思えるようになるには時間がかかります。しばらく落ち込んで、時間をかけて立ち直るんだけれども、南畝の場合、瞬時に気持ちを切り替えられたのかもしれない。辛い出来事も、新しい方向に行くための道しるべと考えて。

——南畝のおかげで誰かが何かに気づくシーンが多くありますね。

穴の中にいる人が「助けてくれ」と言ったときに、南畝は穴の中に下りていくことをしなかったと思うんです。一緒に穴に入ったら、悩んでいる人と同じテンションになってしまうから。そうじゃなくて、穴の上からヒントという名前のロープを下ろしてあげて、「これにつかまって上がってきたところで話そうぜ」みたいな感じだったんじゃないでしょうか。

穴の中で「しんどい」「最悪だ」って話を聞いてもらった場合、そのときは「わかってくれた」「共感してくれる人がいた」って楽になったとしても、1時間後には元に戻ってしまう。でも、穴から出て南畝に接すると、「この人は私より貧乏なのに、何でこんなにうれしそうなの?」「私もいけるかも」って思えたんじゃないですかね。本人の輝いている部分を照らし出してあげられるような才能が南畝にはあった気がします。

僕は昔、ラッパーの役を演じたことがあって、当時はフリースタイルで20分くらいずっとラップできたんです。で、遊びで「褒めラップ」というのをやっていました。みんなが気持ちよくなるように褒めまくるんです。これって南畝がやっていたことと似ているんじゃないですかね。ラップも狂歌も同じ言葉遊びですし。

江戸時代はテレビもインターネットもありませんから、言葉が持つエンターテインメント性はひときわ高かったと思うんです。みんなで集まって、バカなことを大真面目にやって、それを俯瞰して見て、その流行が世の中に広がるのをまた俯瞰して見てという感じで。

——南畝の俯瞰する目線というのは、独特ですね。

その後、出版に対する幕府の取り締まりが厳しくなって、世の中が大きく変わります。仲間の中には死を選んだ人もいたけど、南畝はスーッと進むべき方向を変えた。武士として出世していくんです。そんな風に流れに身を委ねることができたのは、状況を俯瞰して見る感性があったからだと思います。

こうして話せば話すほど、南畝ってかっこいい人ですよね(笑)。少々かっこよく語りすぎたかもしれませんけど、そのくらい魅力があると思いながら演じたほうが、視聴者の皆さんに何か伝わるものがあるでしょう。「何だかよくわからないけど、南畝を見ていたら元気が出た」なんて思ってもらえたら最高です。


共演ドラマで僕の弟分の役が多かった流星に対しては「かわいいなあ」という感覚がずっと続いている

——蔦屋重三郎(横浜流星)と南畝には共通点があると思います?

人間には得意不得意がありますけど、結局それは好きかどうかだと思うんです。好きこそ物の上手なれ、と言いますけども。南畝は文章を書くこと、歌を詠むことにけていた。蔦重は本を作ること、本を売り広めることに長けていた。どちらも、好きだからこそ上手くできたんだと思います。

やっぱり好きなことをやっている者同士は合うんじゃないですか。しかも、書き手と売り手ですし。南畝にとって蔦重は、自分の書いたものを広めてくれる存在だけでなく、悩みを相談してくれたりもする、かわいい存在だったでしょうね。一緒にいて気持ちのいいやつだと思っていたはずです。

——今回、横浜流星さんと共演されて、いかがでしたか?

ドラマ「4分間のマリーゴールド」で初めて共演したとき、流星は僕の義弟の役だったんです。次に「インフォーマ」というドラマで共演したときも、僕の弟分の役でした。だから、流星に対しては「かわいいなあ」という感覚がずっと続いています。でも、28歳で大河ドラマに主演するなんて、すごいことじゃないですか。どんどんたくましくなっていますね。

——「べらぼう」での共演シーンはいかがですか?

飲み会のシーンが多いんですよね(笑)。だからメチャクチャ笑いながら撮影していて、流星とも「すげえ楽しいよね」って話をしていますね。「ああいうリアルな笑いが芝居に出てくると面白いよね」といった話もします。

南畝は無意識に、「世の中を明るくする」という大きな夢を志していたように感じますが、蔦重のことは、夢に向かって一緒に進む仲間として捉えていた気がします。

——最後に視聴者の皆さんへのメッセージをお願いします。

江戸時代も、現代も、激動の時代であることに変わりはありません。そんななかで、南畝はあえて「めでたい」と、面白おかしく生きようとしました。彼の周りに多くの人が集まって、みんなで時代の荒波を乗り越えようとする様を、ぜひ見ていただけたらと思います。

ちょっと元気が出たとか、ちょっとヒントを得られたとか、そんなことが一つでもあれば、僕もこのドラマに出てよかったと感じられます。そう願いながら、これからも演じていきますので、どうぞよしなに、という感じでしょうか(笑)。