2023年、メイコさんが東京都名誉都民に選ばれたとき。メイコさんとはづきさんの母娘おやこツーショット。写真提供/東京都

こうはづきさん(62歳)は、女優の中村メイコさんと作曲家の神津善行よしゆきさんの次女。「生涯女優であり続けた中村メイコは、不条理とドタバタを巻き起こす母でもあった」と語るはづきさんの言葉からは、テレビ創成期から子役として活躍し、“昭和の芸能史”ともいわれるメイコさんより受け継いだ生き方や、ポジティブな考え方が見えてきます。

聞き手 石澤典夫この記事は、月刊誌『ラジオ深夜便』2025年7月号(6/18発売)より抜粋して紹介しています。


最期が母の代表作

──2023年12月31日、メイコさんが89歳でお亡くなりになってまだ1年と少しですよね。もう落ち着かれましたか。

神津 はい。面倒くさい父を残して逝ったので、それが今いちばん大きな問題です。酔っ払って父の腕の中で逝くなんて、もうこれ以上ない逝き方で、悲しいとかショックというよりも、よかったという気持ちが強いです。

──今までいた人がいなくなると、ふとした瞬間にその人を思い出すことがありますよね。

神津 父はそれが耐えられないみたい。うちはもともと仏壇のない家でしたが、母には仏壇もはいも似合わないと、母が好きなウイスキーを入れていた食器棚に写真を飾って、毎日、母としゃべっています。

──けんかもずいぶんされたそうですが、それだけ仲のいいご夫婦だったんですね。

神津 母が車椅子生活になってからは蜜月というか。父がいないと何もできなかったので、それがよかったのか悪かったのか……その分、父は喪失感が大きいようです。

──メイコさんの人生の幕の閉じ方はドラマのワンシーンを見るようでした。

神津 自分でプロデュースして脚本を書いたのかと思うほど見事でした。「私には代表作がないのよ」というのが母の口癖でしたが、この“最期”が母の代表作なのかもしれません。

──メイコさんは3度のお産以外に入院したことがないくらいお元気でした。

神津 ずっと2日で1本ウイスキーを飲んでいたのに、肝臓の数値は正常でした。母が亡くなった日に父が、「今日は朝から調子が悪かったのかもしれない。だって、新しいウイスキーを開けたのに3分の1しか飲まなかったから」って(笑)。


亡くなって絶対的母親に

──はづきさんの本の最後に、「母が亡くなり目に見えない存在になったことで、私にとって母は絶対的母親となった」と書いていらっしゃいました。

神津 台所で洗い物をしていると、自分が母と話していることにふと気付くんです。
「いちばんいいときにお父さんを迎えに来てあげて」って。母が生きているときは台所で並んで話すことなんてなかったけれど、今、母の声が聞こえるような気がします。私も母親の一人ですが、死んだらきっと絶対的母親になれるんだから、今、一生懸命母親をするのはやめようと思ったりするんです。

──今の時代、親子関係に悩む人も多いです。

神津 母親にマイナスの感情を持つ人はたくさんいます。でも自分の母だから、そんなこと言っちゃいけないと思ってしまう。お母さんは自分らしく生きていれば、子どもは絶対にその背中を見て育ちます。無理して子育てする必要はないと思うんです。

──今、メイコさんが空の上から見ていたら何とおっしゃるでしょう。

神津 「あんた、好き勝手しゃべって!」って、すごく楽しんでいると思います。父は母の写真に、「道に迷ってないか? 待ってろ、すぐ行くからな」って言うんですけど、たぶん母は向こうでも楽しく飲み歩いているんじゃないかな?

※この記事は2025年3月25日放送「母・メイコからうけついだもの」を再構成したものです。


当時4歳で気づいたという普通の母親と違う母・メイコの生き方、母と母の親友・美空ひばりの驚きのエピソード、母が作ってくれたお弁当の思い出など、神津さんのお話の続きは月刊誌『ラジオ深夜便』7月号をご覧ください。

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