いちじょう天皇(塩野瑛久)の第一皇子として誕生し、母のさだ(高畑充希)亡き後は、中宮・あき(見上愛)に養育されたあつやす親王。次の東宮と目されながらもみちなが(柄本佑)の思惑に翻弄され、みかどへの道を断たれた彼は、自らの人生をどのように受け取っていたのか。演じた片岡千之助に聞いた。


いつか光源氏を演じてみたいと思っていた夢が別な形でかなった

——「光る君へ」が初めての大河ドラマ出演ですが、出演依頼を受けたときのお気持ちは?

大河ドラマには、多くの歌舞伎界の先輩方が出演しているので、僕もいつかは、と意識してきました。このタイミングでお話をいただけたことがうれしかったですし、それが「光る君へ」だったことにも特別な思いがありました。

というのも、歌舞伎にも『源氏物語』が演目にあり、祖父(十五代目片岡仁左衛門)も演じてきた光源氏をいつか演じてみたいと思っていたんです。今回、敦康親王は光源氏にも通ずる登場人物として描かれているので、自分の夢が別の形でかなったことに驚きました。

——光源氏に通ずる、とは?

マンガの『あさきゆめみし』(大和和紀)を読んだのですが、「光る君へ」での敦康親王の描かれ方に意外と重なる部分があるんです。「あれ? このシーンって……」みたいな。だから、光源氏と敦康はつながっているのかなと思いました。

ドラマのなかでまひろ(吉高由里子)が、光源氏のモデルについて「どなたを思い浮かべても、それはお読みになる方次第」と語っていましたが、「光源氏=道長」説もあるほど、いろんな捉え方があるんですよね。僕は、敦康親王に光源氏を重ねて演じた部分が多々ありました。

——出演が決まったとき、先輩方の反応は?

まず父(片岡孝太郎)と祖父に報告しました。ふたりとも喜んでくれて、「大河ドラマに出られるのは光栄なことで、本当に貴重な経験だから、頑張りなさい」と言われました。父も祖父も曾祖父(十三代目片岡仁左衛門)も大河ドラマを経験していますし、4代でやれることが何よりうれしかったですね。

注:片岡孝太郎は「太平記」、十五代目片岡仁左衛門は「太平記」ほか計5作、十三代目片岡仁左衛門は「峠の群像」に出演。


悲劇的に見える敦康だが、いろんな人の愛情を受け取って育っている

——敦康親王と千之助さん自身とで重なる部分はありますか?

敦康は周囲から「帝になることが当然」と期待されていて、僕も「片岡家を背負う」ことを言われ続けています。日頃からそのことを重く感じて生活をしているわけではありませんが、家を継ぐ、技を継承することはずっと頭の片隅にあって、生きていくうえでの一つの指針になっています。そんなところは、敦康と重なるかもしれません。

——共感できる部分はありましたか。

敦康は状況に翻弄されながら生きてきたので、人に対する気遣いや責任感が少なからずあったと思うんです。それは、姉のなが内親王(海津雪乃)に対しても、たかいえ(竜星涼)に対しても、ききょう(ファーストサマーウイカ)に対しても、自分がしっかりしなきゃいけないという思いがあって……。

みんなの期待に応えたいという思い、「この世界に生まれたからには、こうあらねば」という使命感は、僕も常に感じていることです。そして、いつの時代も「何が起きるかわからない」のは同じです。だから、敦康が東宮になれなかった後の気持ちの持っていき方、心の整理の仕方は、僕自身ならどうするだろうと、実生活に基づいて考えることができました。

敦康の人生は、客観的に見ると、確かに悲劇的でびんです。でも、演じる側から見ると、彼はいろんな人に愛され、その愛情を受け取って育っています。だからこそ、周りには信頼できる人がいるし、幸せな家庭も持てたと思うんです。皇位を継げなかったことに対して、残念な気持ち、悔しさ、寂しさがあったとしても、うまく取り繕えるのが敦康だと思い、演じました。

——13歳から21歳まで、彼の8年間を演じることになりました。

終盤は穏やかな人生でしたね。いちじょう天皇(橋本偉成)が即位したとか、あつあきら親王(阿佐辰美)が東宮を辞退したとか聞くたびに、きっと歯がゆい気持ちもあったと想像しますが、それでも自分を見失うことはありませんでした。彰子を始め、生前の一条帝など、周囲から愛情を注がれていたからこそ、強くいられたんだと思います。

——奥さんとも非常に仲がいい感じでした。

敦康親王が描かれる場面は飛び飛びだったので、第43回では「え、奥さんがいる!」、第45回では「お、子どももいる!」と驚きました(笑)。のり(稲川美紅)という伴侶を得て気持ちが楽になって、娘のもと(作間夏南)も生まれて、「これでいいんだ」と落ち着いたところだったのではないでしょうか。まさか21歳で死ぬとは……。3歳の娘を残してくのは、無念だったでしょう。

個人的な話ですが、今年2月に母方の祖母を亡くしたんです。その直前、僕が主演させていただいた時代劇の完成披露を祖母が見に来てくれて……。見終わって「安心した」と言ってくれて、その4日後に急逝しました。それまで元気だったのに。そのとき母から、「最後に孫の晴れ姿を見て、安心して旅立ったんじゃない?」と言われました。

そのことと気持ちが通ずる部分があって、「きっと敦康も幸せな家庭を築けて後悔はないだろう」、と思えたのが救いではありました。


今は亡き父・一条天皇と母・定子への思いは…… 

——隆家役の竜星涼さんが、第40回で狩りに誘われた敦康親王が「殺生はせぬ」と応じるたたずまいを見て、「一条天皇と定子の子だ!」と強く実感したとおっしゃっていました。

(ききょう役の)ファーストサマーウイカさんからも「息子だねぇ」と言われました(笑)。でも、僕自身は、一条天皇と定子に芝居を似せるところまでは意識が至っていなくて……。ありがたいことに「つながっているんだ。ミラクルだな」と思っています(笑)。

——放送は最初から見てらしたんですか?

もちろんです。母上の定子が亡くなる場面は、見ていてきつかったです。できることなら、高畑充希さんにもお会いしたかったですね。でも、最期のシーンを映像で見たことで、すごく気持ちの整理をさせていただきました。

——敦康親王は定子のことをどのくらい覚えていたのでしょうか?

ほぼ覚えていないと思います。僕は高畑さんが演じていらっしゃる映像を見て、母上がどんな人だったのかを理解していますが、敦康の記憶にはまったく残ってないんじゃないでしょうか。おそらく、ききょうから「定子様は、こういう人だったんですよ」と言われて育ったのでしょうね。「椿餅」が、母子の唯一のつながりなのかな、と思います。

注:椿餅は、第13回で定子が一条天皇から教えてもらった好物。第41回ではききょうが「敦康親王が最近お気に召している」と彰子の元に届けに来た。

——一条天皇役の塩野瑛久さんとの共演は、1シーンだけだったとか。

そうなんです。僕がお会いしたのは、塩野さんのクランクアップの日だったんです! 第40回の冒頭、『源氏物語』が朗読される場面で、「あっ、お父さんだ! 敦康です。よろしくお願いします」とご挨拶して、劇中で言葉を交わすことなく撮影が終わると、「このシーンをもって、一条天皇オールアップです!」と言われて、「え~!」みたいな(笑)。

台本を読んでも映像を見ても、一条天皇が敦康のことを大事に思っていることは伝わりますし、その向こう側にいかに定子を愛していたかも透けて見えました。「あれだけ気にかけてもらっていた父上と会うのはこれが最初で最後なんだ」とショックでしたね。

——「私も父上に怒鳴どなられてみたかった」と話していたのが、切なかったです。

もっと一緒にいたかったし、もっと距離を詰めたかったんでしょう。敦康は彰子を通して「人には、いろんな面がある」ことを学びました。だから、父上ともっと近い距離にいれば、また違う面が見えたと思うんです。父上が長生きしていれば、そんな関係になれたのかもしれません。


敦康は彰子が強くなることを願っていた 

——敦康親王は彰子に亡き母の面影を求めたのでしょうか?

彰子は“母親”でもあるし、“姉”でもあるけど、定子とは全然別物だと思います。でも、敦康の「甘えたい」部分は母親がいないからこそ生まれた感情でしょうし、その気持ちが全部彰子に向かった気がします。母親に甘えられない寂しさがあって、そのときに彰子が自分をわいがってくれたからこそ、彼女を慕ったんだろうと思います。

——隆家やききょうの前ではりんとしていますが、彰子といるときは態度を変えていませんか?

彰子は心を許した人であり、「久しぶりに会えた」「待ちに待った」みたいな場面が多いので、自然と目が輝いてしまって(笑)。

見上愛さんとお芝居をしていると、目を見て話してくれるし、落ち着いた雰囲気や優しさがそのまま伝わってくるので、僕はそれに応えるだけなんです。見上さんが作りあげた彰子のキャラクターに、本当に助けられました。

——第41回で彰子と話すためにを越えるシーンについては、どう思われましたか?

最初に台本を読んだときは、僕自身も「え⁉ 越えた!」とびっくりしました。その場にいたまひろや行成ゆきなり(渡辺大知)も、「えっ!?」と驚いていましたし、視聴者の皆さまも「うわーっ!」と思われただろうと思います。あのシーンに『源氏物語』を重ねると、危ない関係になるのか?と思われますよね。

でも御簾の中に入ってからの、敦康の「ただお顔が見たかったのでございます」という一言は、本当にその一心だったんだと思います。純粋なんですよ。ずっと一緒に生きてきて、誰よりも信頼していた人と、御簾越しで会わなきゃいけない現実を、認めたくなかったんでしょう。

僕自身とても思い入れのあるシーンで、大石静先生が台本に書かれたまっすぐな言葉を、ストレートに演じさせていただきました。

——彰子の変化については、どう思いますか?

敦康は幼いころから、自分が彰子を守らなければ、と思い続けていました。なんだか消え入りそうで、自分の気持ちを表に出すことのなかった彼女に、強く生きてもらいたい、と願い続けていたんです。第43回で、彰子に「いまはこくにふさわしい風格をお持ちでございます」と語るシーンがありましたが、敦康はすごく安心したと思います。幼いころからの願いが、かなったんですから。


撮影期間中は、常に役のことを考えていた

——ほかに共演されて印象に残った方はいらっしゃいますか?

ファーストサマーウイカさんのききょうには、強烈な印象を持ちました。「帝になれないと決まったわけではありませぬ」と強く言われたシーンでは、「ききょう、タフだな」と(笑)。かけがえのない存在でしたし、記憶に残りましたね。

あとは、(とも役の)黒木華さん。共演する場面はありませんでしたが、まひろと道長の関係を察していくのを、ちょっとした視線の動きで表現されていて、「すごいなぁ……」とうなりました。

「光る君へ」は、芯の強い女性たちが輝く作品ですね。対照的に、男たちははかなくも世を去っていく、みたいな感じでしょうか(笑)。

——現代でも変わらないと思うところはありますか?

人間が集まるところには、しっもあれば憎しみもある。それが典型的な形でドラマになっていると思います。例えば、女性が活躍する現代でも、陰口を言われたり、いじめられたりとかはあります。そういう意味で、「光る君へ」には普遍的なことが描かれていると思います。

登場人物に共感できるかがドラマでいちばん大事なことだと思っていますが、「光る君へ」の多くのキャラクターに共感できるのが素晴すばらしいですね。

——大河ドラマに出演されて、何か変わりましたか?

お芝居に対するアプローチに、いろいろなやり方があることを学びました。歌舞伎の公演は約1か月なので、初日と千秋楽の出来は全く変わってきます。初日には初日の新鮮さがありますが、いろいろと積まれていって千秋楽で一つの完成形、みたいなところもあるんですね。

でも映像は、その日その日が勝負で、次の日に同じシーンを撮ることはありません。「光る君へ」では次から次に新しい台本が届くので、このシーンをどう演じるか、常に役のこと、敦康のことを考えていました。私生活からずっと敦康が僕のなかで生きていて、カメラが回った瞬間に彼になるわけです。

いろいろなアプローチで役の気持ちになる経験を積めたのは貴重な機会でした。吉高由里子さんや、柄本佑さん、見上愛さんなど、共演者の方々の芝居に対する姿勢からも多くのことを学べました。それは歌舞伎の舞台に立っているだけでは、巡り合うことができないものです。

僕が表現する上では、もちろん歌舞伎がメイン、軸となる部分ですが、今回の経験が自己形成に果たした役割は大きく、ひいては歌舞伎にも活かされていくのでは、と感じています。