どうも、朝ドラ見るるです。

今週は、やっぱり一筋縄ではいかない星家の人々との生活に、トラコ(とも)と優未、奮闘するの巻でした。う〜ん、溝を埋めるって、簡単じゃないよね……。そんな中、見るるが気になったのは、トラコの後輩である、東京地裁の判事補・秋山さんです! あんなにいきいき楽しそうに働いていたのに……同じ女性として、久々にモヤモヤ〜としちゃいました。

で、ぜん気になってくるのが、トラコのモデルであるぶちよしさんのこと。ドラマと同じように、三淵さんも女性差別に立ち向かっていたのかな? 元になるエピソードがあるのか、気になりますよね。

……というわけで今回もお話をお聞きしたのは、NHK解説委員で、ドラマの制作にも関わっていらっしゃる清永聡さん。毎度解説、ありがとうございます……!
それじゃ今週も元気よく! 教えて、清永さん〜!

差別と闘え! 女性法曹たちの頼れる先輩だった三淵嘉子さん

見るる まずですね、ドラマでは、トラコが女性裁判官は「12人ぽっち」と言ってましたけど、実際はどうだったんですか? 戦後からもうずいぶん経ったという印象なのに、ちょっと少なくないですか?

清永さん 1956年(昭和31)年時点での日本全国の女性裁判官の数が12人というのは事実です。もちろん、女性の司法試験の合格者は、少しずつ増えていました。昭和30年代に入った頃には、毎年10人超、昭和40年代には30人を超えるほど。

ところが、裁判官と検察官になる女性は、一向に増えなかった。女性の裁判官任官者数は、1968(昭和43)年では6人、’69(昭和44)年は2人、’70(昭和45)年は1人。検察官任官者数は1965(昭和40)年から’70年までの5年間でたった3人ですから(日本女性法律家協会まとめ)。

見るる うん? それじゃ増えるどころか、減ってるじゃないですか! 一体何があったんですか?

清永さん やはり男女差別の問題があったのだと思います。少なくとも、当時の女性法曹たちは、かなりそれを感じていたようですね。そして三淵嘉子さんは、そんな女性たちから、たびたび相談を受ける存在だったようです。

見るる そりゃあ、女性で初めての弁護士で判事ですもん。さらに、あのトラコのモデルになるくらいの方ですから……当然、黙っていなかったんですよね!?

清永さん ええ。三淵さんは、「日本婦人法律家協会」の副会長でもありましたから。今回、ドラマにも出てきたような要望をまとめた「意見書」を作って、最高裁に提出してもいるんです。

見るる さっすが〜! で、それは、どんな内容だったんですか?

清永さん 1970(昭和45)年7月に行われた司法修習生の任官説明会でのことです。当時の最高裁人事局長が以下のように述べたというのです。

「最高裁は女性を採用しないことはないが、歓迎しないのは事実だ」
「年長者や女性に関しては、再考するように助言する」

さらに、その後の談話の場でも、平然とこう述べたとか。

「女性が生理休暇、出産休暇をとるために男の裁判官にしわ寄せが出る」
「性犯罪や暴力事件に女性の裁判官が合議に入るのは困る」

見るる うわ〜〜〜久しぶりにきたぞ、このモヤモヤ。というか怒り!

清永さん 三淵さんたちもそうだったようですね。協会の会員たちと話し合って、最高裁までその発言を確かめに行っています。そして、「女性に対する侮辱であるばかりか、国民の司法に対する信頼を失わせ、かつその尊厳を著しく傷つける」と抗議する要望書を作り、直接、人事局長に対面して抗議の言葉を述べたそうです。上記の最高裁人事局長の発言は、この要望書記載の内容を元にしています。

見るる そうそう、言うべきことはビシッと言ってやらなくちゃ!

清永さん ところが残念なことに、その後、さらにひどい問題が起きてしまうんです。1976(昭和51)年、「司法研修所」という修習生のための教育施設の事務局長と教官が、酒を飲んだ席で、女性修習生に対して差別発言を連発したのです。『日本国憲法と裁判官』などに書かれた回想や記録によれば、こんな内容だったそうです。

「君が司法試験に合格してご両親はさぞ嘆いたでしょう」
「研修所を出ても裁判官や弁護士になることは考えないで、研修所にいる間はおとなしくしていて、家庭に入ってよい妻になる方がよい」
「男が命をかける司法界に女が進出するのは許せない」

見るる ひ、ひどすぎる……! これじゃ、トラコたちが法律家を目指した時代と何も変わってないじゃないですか! あれから何年も経ってるっていうのに!

清永さん ええ。修習生からの訴えを聞いて、三淵さんも激怒されたとか。そして、女性弁護士たちが日弁連(日本弁護士連合会)と衆議院法務委員会に真相究明を申し入れました。この要望書には、当時の女性弁護士の3分の1にあたる102人が署名していたそうですよ。

結果、事務局長と教官は厳重注意処分となり、最高裁はこの年の11月に、女性初の教官を司法研修所に就任させました。

見るる 最高裁、グッジョブ! いや、1976年まで女性教官がいなかったっていうことも驚きなんですけど、それでも大きな前進。声を上げ続けることって、本当に大事なんですね……!

「日本婦人法律家協会」設立当初は、わずか10人余りだった!

見るる ところで、先ほどサラッとご紹介いただきましたけど、「日本婦人法律家協会」っていつの間にできたんですか? 三淵さん、副会長だったんですね。

清永さん ええ。ちなみに、会長は久米愛さん。三淵さんと同じ年に司法試験に合格している方ですよ。ご存じですよね?

見るる はい、久米愛さん! 久しぶりのご登場です〜(「寅子、先輩2人と一緒に日本初の女性弁護士に! 実際に、三淵さんのほかに2人いた?」)そういえば、トラコたちも、中山先輩たちとしっかり連携をとっていましたよね。シスターフッド、尊い〜!

清永さん 設立されたのは1950(昭和25)年9月です。トラコも戦後すぐにアメリカに視察に行っていましたが、三淵さんもその年の5月から、家庭裁判所の制度を学ぶためにアメリカを訪れています。そこで女性裁判官たちが大勢、はつらつと活躍している姿に、とても感銘を受けたとか。

そして帰国後、GHQ法務部のメアリー・イースタリングという女性弁護士から、「日本の女性法律家たちも、アメリカと同じように女性法曹だけの組織を作ってはどうか」と提案されて、発足を決めました。ドラマではこのあたりのことは描かれませんでしたが、彼女たちは早い段階から女性法律家のために団結していたのです。

といっても、当時、日本の女性で法曹資格を持っているのは、ごくわずかなメンバーのみ。全員が20〜30代でした。そこで発足当時は、女性の弁護士、裁判官、検察官に、大学の法学研究者を加えて、わずか10余人だったそうですよ。

1952(昭和27)年秋に開かれた、日本婦人法律家協会の例会の写真。前列中央が、会の設立のきっかけを作ったメアリー・イースタリング弁護士。前列左から2番目が初代会長の久米愛、後列右から4番目が三淵嘉子(「婦人法律家協会会報NO,19」[1980年]より)。

見るる なるほど〜。それで、会長が久米さん、副会長に三淵さんというわけですね!

清永さん 組織は小さくてもやる気は十分で、その年のうちにアメリカにある国際婦人法律家連盟にも加盟。久米会長はアメリカに視察に行っています。翌年には、設立記念のイベントを日比谷公会堂で実施しました。

そのときの講師の一人が、家庭裁判所の父こと、宇田川潤四郎です(「イケメン“殿様判事”久藤&“趣味は滝行”多岐川には、モチーフとなった人物が! 逸話だらけ、実在の“クセつよ”判事を紹介♪」)。下が、その時のポスターです。

各講演に加えて、夫が検事補で妻は弁護士というアメリカのコメディー映画『アダム氏とマダム』(1949年)も上演された(「婦人法律家協会会報NO.19」[1980年]より)。

見るる 名前を知っている人たちが、全部つながっていく……。そりゃそうかなと思うけど、なんだかうれしい気持ちになるから不思議です(笑)。

清永さん 日本婦人法律家協会は、現在も「日本女性法律家協会」と名前を変えて、各地で女性の権利擁護のために活動を続けています。

女性の弁護士、裁判官、検察官、法律学者で構成され、同協会の会報等によれば、発足12年後の1962(昭和37)年には会員数は100人を超え、24年後の1974(昭和49)年には370人、36年後の1989(平成元)年では620人、そして現在では約800人の会員がいるそうです。

見るる おお〜増えましたね〜! すごい!

清永さん 最近も、女性法律家が連帯しての要望書や意見書の提出、女性法曹・法律家を目指している人に向けてのサポート、女性弁護士による無料法律相談など、活発に活動されているんですよ。

見るる うん、さすがはトラコ……もとい、三淵さんたちの後輩にあたる方々ですね! 「虎に翼」はドラマですが、たくさんの人たちの活動が “今”につながっていくんだなって、実感できました。

参考文献:「婦人法律家協会会報NO.19」(1980年)、守屋克彦編著『日本国憲法と裁判官』(日本評論社)


次週!

第23週「始めは処女の如く、後はだっの如し?」9月2日(月)〜9月7日(土)

意味:《初めはおとなしく弱々しく見せて敵を油断させ、のちには見違えるほどすばやく動いて敵に防御する暇を与えないという兵法のたとえ。》

さあ、来週からついに「原爆裁判」は法廷での審理が始まるみたいです。……言わせてください、もしかして、記者の竹中さん、再登場してませんか⁉︎

めっちゃおじいちゃんになってるけど、「共亜事件」で出会った竹中さんが、裁判官としての寅子の仕事を見届けてくれるの、激アツすぎる! 「あの戦争を振り返る」──難しい裁判になりそうだけど、裁判官として法廷に立つ寅子が、どんな判断を下すのか。次回も楽しみ!

というわけで、今週の「トラつば」復習はここまで。来週の先生方の講義も、お楽しみに〜!!


清永聡(きよなが・さとし)
NHK解説委員。1970年生まれ。社会部記者として司法クラブで最高裁判所などを担当。司法クラブキャップ、社会部副部長などを経て現職。著書に、『家庭裁判所物語』『三淵嘉子と家庭裁判所』(ともに日本評論社)など。「虎に翼」では取材担当として制作に参加。
※清永解説委員が出演する「みみより!解説」では、定期的に「虎に翼」にまつわる解説を放送します。番組公式サイトでも記事が読めます。

2024年8月5日放送の『みみより!解説「虎に翼」解説(6)司法官たちと戦争』はこちらから(NHK公式サイトに移ります)。

取材・文/朝ドラ見るる、イラスト/青井亜衣

"朝ドラ"を見るのが日課の覆面ライター、朝ドラ見る子の妹にして、ただいまライター修行中! 20代、いわゆるZ世代。若干(かなり!)オタク気質なところあり。
両親(60&70代・シニア夫婦)と姉(30代・本職ライター)と一緒に、朝ドラを見た感想を話し合うのが好き。