どうも、朝ドラ見るるです。

ああ、今週も目いっぱい盛りだくさんでしたけど、見るるとしては、「頼んだからな、桂場っ!」──という多岐川さんの最後の笑顔が、涙でにじんで前が見えません(泣)。えーん、あれだけ元気いっぱいだった人が、こんなふうに先に退場してしまうなんて……。「志半ば」って、本当にこういうことを言うんですね。うう、本当に頼んだよ、桂場さん!!

さて……で、多岐川さんは一体、何を桂場さんに頼んだのか? ここらでしっかりおさらいをしておきたいと思っているのは、見るるだけではないはず!(←いつものパターン)

というわけで今回もお話を伺ったのは、おなじみNHK解説委員でドラマの制作にも関わっていらっしゃる清永聡さんです。ドラマもついにラストスパート。このコールもあと数回と思うと寂しいけど……今週も元気よくやっていきましょう。教えて、清永さん〜!

「死んでも死にきれない」!──「家庭裁判所の父」が残した言葉とは

見るる ドラマで、多岐川さんが「少年法改正反対の意見書」をトラコたちと一緒に作っていましたが、少年法改正をめぐる問題って、実際にあったことなんですよね? リアルなところを教えてください!

清永さん このあたりのエピソードは「家庭裁判所の父」と呼ばれた実在の人物、宇田川潤四郎さんの実話を元にしていますので、そちらとあわせてご紹介します。

家裁のことを「愛の裁判所」と呼んでいた宇田川さん(「イケメン“殿様判事”久藤&“趣味は滝行”多岐川には、モチーフとなった人物が! 逸話だらけ、実在の“クセつよ”判事を紹介♪」)にとって、1960年代後半から'70年代にかけて具体的な検討が行われた「少年法改正案」は、絶対に賛成できないものでした。

少年法の対象年齢を事実上引き下げるという検討が、今から50年以上前にも行われていたのです。彼は当時東京家庭裁判所の所長でしたが、初めてその案を読んだ時、こう叫んだと言います。

おそるべき破壊案、現場の実務を知らない人の観念的机上論!

見るる 宇田川さんの怒りが伝わってきますね……。

清永さん 実は政府による検討作業が本格化していた1969(昭和44)年当時、宇田川さんはがんを患って闘病中でした。ところが家庭裁判所が危機を迎えていると知った彼は、体調を崩しても仕事を休まず、部下はハラハラし通しだったとか。しかし、宇田川さんは日に日に衰弱していく一方で……。

また、翌年トラコのモデルであるぶちよしさんと同僚の糟谷忠男さんがお見舞いに行った際には、病床に伏しながら悲痛な声でこう述べたそうです。

自分は少年法改正のこと、家庭裁判所の将来が心配で、死んでも死にきれない気持ちでいる。どうか、あとのことをよろしく頼む

清永さん 涙を流す三淵さんたちの手を代わる代わるとって、切々と訴えました。宇田川さんが亡くなったのは、それから10日あまり後の1970(昭和45)年8月4日。まだ63歳でした。

見るる ああ……悲しすぎます……(泣)。それで、ドラマの多岐川さんのように、実際の意見書は宇田川さんが作られたんですか?

清永さん ええ。亡くなる直前、宇田川さんの名前で最高裁長官宛に、少年法改正要綱に反対する「決議文」として提出されています。ここはドラマと同じです。当時を知る関係者に取材をしたところ、実際に最初の文案を作成したのは三淵さんや糟谷さん、そして守屋克彦さんなど、当時の少年部の裁判官たちだったそうです。宇田川さんはこれを元に「決議文」を完成させたということです。

見るる 最高裁長官宛に……。そうか! それで、ドラマでも最高裁長官である桂場さんに向かって「頼んだからな」と伝えたわけですね。

改正議論における、少年法対象年齢引き下げ論の背景って?

見るる もう一つ気になるのは、当時の少年法改正案の内容と、宇田川さんたちが反対した理由です。ドラマでは、多岐川さん、こう言っていましたよね。「法務省の少年法改正、青年層の設置による年齢引き下げ、家裁の刑事裁判化など、現少年法の基本的構造を変えることに我々は反対する」。これって、どういうことですか?

清永さん 法務省が出してきた当初の案には、少年法の対象年齢を事実上「20歳未満」から「18歳未満」にすること。18、19歳は「青年」として、おおむね大人と変わらない刑事手続で取り扱うこと。「青年」については検察が最初に起訴・不起訴を判断すること(検察官先議)、などが盛り込まれていました。これは「青年層構想」とも呼ばれ、家裁の理念を根底から覆すと強い批判があがったのです。

見るる 確かにそうですよね。家裁のモットーといえば、「家庭に光を 少年に愛を」でしたもん。……でも、なんで急にそんな改正案が出たんですか?

清永さん 急ということでもないんですよ。ちょうどその頃──昭和40年代、少年事件が急増し、「戦後2度目のピーク」と呼ばれました。

見るる 2度目というと、1度目は、もしかして戦後すぐの混乱期ですか? 戦争で親を亡くしてしまった孤児たちが “生活のため”に食べ物や金品を盗んだりしていた……。

清永さん そうです。ドラマでも、その時代の少年たちが描かれていましたよね。でも、貧困が原因の少年犯罪は1952(昭和27)年がピーク。その後は日本経済の回復とともに減少していきます。ところが1955(昭和30)年ごろから、少年犯罪は再び増加傾向に転じてしまうのです。

見るる うーん、すると今度は、“生活のため”というわけではないですよね。むむむ。そういえば、トラコが新潟にいた時にも、「少年犯罪の質が変化してきた」というようなことが言われていました。少年たちを取り巻く社会が、複雑になってきてしまったのかなあ……。

清永さん 実際、「原爆裁判」を終えた三淵嘉子さんが東京家庭裁判所に着任した1963(昭和38)年には、少年の刑法犯は22万件を超え、1966(昭和41)年には25万件にまで達していたんです。

三淵さんは当時の家庭裁判所が「パンク寸前だった」と話しています。また、社会をきょうがくさせるような少年による重大犯罪が立て続けに起きてしまったことも、改正を求める声の追い風になっていきます。

そしてもうひとつ、ドラマにも出てきた学生運動も大きな問題でした。1967(昭和42)年には「羽田事件」、1969(昭和44)年には東大紛争の「安田講堂事件」などが起きています。全国の大学に広がり、一部高校へも波及。多くの学生が逮捕される事態になっていったんです。

学生のうち20歳以上は成人として起訴されますが、20歳未満は家庭裁判所へ送られていました。同じ事件でも成人か少年かで扱いが異なっていたわけです。

見るる なるほど。そういったいくつもの背景があって出てきた改正案だったんですね。でも、これって、ただ年齢を引き下げればいいってものでもないような……。

清永さん 1970(昭和45)年に最高裁家庭局がまとめた「少年法改正要綱の問題点」(「ケース研究」121号)を、見てみましょうか。それによると、当時(昭和43年時点)の刑法犯の不起訴の割合は約3割。つまり3人に1人は事件を起こしても起訴されず、そのまま社会へ戻されています。

これに対して家庭裁判所では、調査官たちが専門的、個別的な調査を行った上で、少年の年齢、生育歴や家庭環境などを考慮して処遇を決めると明言されています。事件の重大さだけで判断するのではないのです。

見るる うんうん、ドラマでもそうでしたね!

清永さん 家裁では、家庭に問題があると分かれば親への指導を行いますし、家庭環境が悪く親の元に置いておけないと判断された場合には、児童自立支援や少年院に送ることもあります。そして少年の反省が不十分であれば、収容期間は延長可能。反省がなくても刑期が終われば出所する刑務所とは違うんです。

見るる そういうふうに見ていくと、どちらが少年にとっていい結果につながるのか……。考えさせられますね。

清永さん そうなんです。当時の最高裁家庭局の幹部は「単純な年齢引き下げは、不良少年の“野放し”につながるだけだ」と厳しく批判しています。

少年事件が起きるたび「甘やかすな」「責任を取らせろ」という主張が出てくるわけですが、結果として、大人と同じ扱いにするだけでは責任を取ることにならず、反対にこれでは社会の治安が悪化するおそれもあると言われています。それに、少年でも凶悪な事件を起こした場合は、家裁から検察に送り返して大人と同じ刑事裁判を受ける仕組みがすでにありました。

少年法の対象年齢をめぐっては、2017(平成29)年から2020(令和2)年にかけても法制審議会で議論が行われました。私は法務省で取材をしていましたが、一部の議論は1970年代をなぞるように繰り返されていました。結局、「厳罰化」はさらに進んだものの、このときも少年法の対象年齢は20歳未満で維持されています。

また、少年事件の件数は減少傾向が続いています。宇田川さんたちが作った家庭裁判所の仕組みが、大きな役割を果たしてきたと評価もされているのです。宇田川さん亡き後も、三淵さんは、家裁で多くの少年少女たちと向き合います。ドラマで寅子たち「家裁の人々」の奮闘がどう描かれていくのか。最後まで見守ってください。


次週!

第25週「女の知恵は後へまわる?」9月16日(月)〜9月21日(土)

意味:《女は知恵の回りが遅く、事が終わってからいろいろと考えつく。(小学館『デジタル大辞泉』より)》

……ちょっと待って!「はて?」が過ぎるよ!!
予告編でほほ笑んでたセーラー服姿の女の子って、美佐江では? 新潟の少年事件の「ラスボス」だと思われたのに、おとがめも受けずそのまま東大に合格して上京していったあの美佐江……!? いやいや、そんなはずないか。もういい歳のはずだもんね。もしかして、トラコの幻覚?

幻覚だと信じたいことがもう一つ、桂場さんの前で倒れていたのって航一さんでは……どういうこと? もうあと2週間だっていうのに、笑ったらいいのか泣いたらいいのか、忙しいよ……。終わってほしくないけど、続きが早く見たい!

というわけで、今週の「トラつば」復習はここまで。
来週の先生方の講義も、お楽しみに〜!!


清永聡(きよなが・さとし)
NHK解説委員。1970年生まれ。社会部記者として司法クラブで最高裁判所などを担当。司法クラブキャップ、社会部副部長などを経て現職。著書に、『家庭裁判所物語』『三淵嘉子と家庭裁判所』(ともに日本評論社)など。「虎に翼」では取材担当として制作に参加。
※清永解説委員が出演する「みみより!解説」では、定期的に「虎に翼」にまつわる解説を放送します。番組公式サイトでも記事が読めます。

2024年8月5日放送の『みみより!解説「虎に翼」解説(7)原爆裁判と核兵器廃止の願い』はこちらから(NHK公式サイトに移ります)。

取材・文/朝ドラ見るる、イラスト/青井亜衣

"朝ドラ"を見るのが日課の覆面ライター、朝ドラ見る子の妹にして、ただいまライター修行中! 20代、いわゆるZ世代。若干(かなり!)オタク気質なところあり。
両親(60&70代・シニア夫婦)と姉(30代・本職ライター)と一緒に、朝ドラを見た感想を話し合うのが好き。