どうも、朝ドラ見るるです。
今週は、やっと念願の裁判官として働けることになった……と思いきや、まさかの事務官との兼任(東京家庭裁判所判事補 兼 最高裁判所家庭局事務官)! やっぱりてんやわんやのトラコ(寅子)の巻、でした。
どこも人手不足なのに、向き合わなくちゃいけない戦災孤児たちは、あんなにたくさん。そのうえ、多岐川さんの滝行ならぬ水行のお手伝いにまで駆り出されて……ちょっと待った!
果たして、トラコのモデルである三淵嘉子さんにも、あんな“クセつよ”な上司がいたのかな? キャラの濃さで言ったらライアンさんも相当だけど……気になるぞ!
というわけで、今回もNHK解説委員の清永聡さんにお話を伺いました。それじゃ今週も! 教えて、清永さん〜!
「新宿御苑は自宅の一部」⁉️──“殿様判事”内藤頼博のイケメンぶりは史実!
清永さん 見るるさん、よくぞ聞いてくれました。多岐川さん、ライアンさんコンビのモチーフになった人物については、とても面白い話がいろいろあるんですよ。
見るる そ、そんなに⁉(ハードル上がってますけど……ワクワク)
清永さん まず、沢村一樹さん演じるライアンこと久藤頼安──そのモチーフの一人、内藤頼博さん(1908〜2000)についてお話ししましょう。彼は、旧信州高遠藩の藩主であり、内藤家の当主。戦前には子爵でもありました。この時代に爵位を持つ唯一の裁判官でしたから、ついたあだ名が“殿様判事”。
見るる あだ名っていうか、ガチの“お殿様”だったんですね!
清永さん はい。今の新宿の中心部が、かつて「内藤新宿」と呼ばれていたのはご存じですか? これは、かつてそのあたり一帯が内藤家の敷地だったことに由来するというんですから、その財産は相当なものです。例えば、新宿御苑は明治時代に国に返還されましたが、江戸時代までは内藤家の敷地の一部だったそうですよ。
見るる あの新宿御苑が! すごすぎる……!
清永さん そんな内藤頼博のお写真がこちらです。
見るる ちょっと西洋っぽさも感じさせる、高貴な雰囲気ですね! ソース顔のイケメンってところは、ライアン役の沢村一樹さんに似てるかも?
清永さん 息子の頼諠さんによると、「あれほどモテた人はいませんね」とのことです。また彼の部下だった女性によれば「背が高くて男前で優しくて紳士な、素敵な方だから女性職員はもうたいへん」だったと。
一度、エレベーターで一緒に乗り合わせたことがあるそうですが、「それだけで、もうメロメロ」だったそうです。それに、最高裁の事務総局には厳しい一方で、現場の若い裁判官や事務官などには優しく紳士的なふるまいで人気があったそうです。
見るる いるんですね〜ほんとにそんな人! ドラマの中だけかと思いました。
清永さん 一方で、日米開戦間際の1941(昭和16)年1月に、ニューヨークの「ファミリー・コート」──つまり、敵対する国の家庭裁判所について、実に好意的に紹介する記事を堂々と発表しています。当時の状況を考えると、よほど強い信念がないとできないことです。
見るる ドラマでも、小橋がライアンさんのこと、「日米開戦前にアメリカの裁判所を視察に行って、アメリカのアの字も言えない時でもアメリカの裁判所は素晴らしいと吹聴していたアメリカかぶれ」だって、ちょっと茶化して言ってましたね!
清永さん まさにその通りだったんです。内藤頼博は、1940(昭和15)年4月から12月まで、司法省の命を受けて、ニューヨーク、ワシントン、シカゴなどアメリカの主要都市にある家庭裁判所の視察に出かけています。
先ほどの記事はその帰国直後に書かれたもの。この視察は、当時32歳だった内藤さんにとって大変なカルチャーショックだったようですね。冷たい役所というイメージで近寄りがたい日本の裁判所に比べて、アメリカの家庭裁判所は、明るくて入りやすい。
若い女性も数多く働いていて、相談にくる人々の精神状態をフォローするために医師が常駐しているし、専門の職員が職業適性調査を行ってもいた。何よりとにかく親切で、内藤さんは強く感銘を受け、「司法は市民のために存在する」というあり方に共感したそうです。
見るる なるほど〜。単なる“アメリカかぶれ”ではなかったわけですね。
清永さん この時の経験、そして彼の存在が、日本の家庭裁判所設立にとって大きなものであったことが、わかっていただけたと思います。
滝行も妙な体操も、まさかの実話! 家庭裁判所の父・宇田川潤四郎の愛されキャラ
見るる じゃあ、多岐川さんの方はどうだったんでしょう。モチーフとなった方がいるにしたって、あの滝行好きは、さすがに創作、ですよね?
清永さん それがですね、あれこそ、史実なんですよ(笑)。
見るる えっ……(絶句)。
清永さん 多岐川幸四郎のモチーフの一人は、のちに“家庭裁判所の父”と称される宇田川潤四郎さん(1907〜1970)という方です。彼の趣味は本当に滝行。でも、そうそう滝に行けないので、普段は自宅の風呂場で水行をしていたそうです。
例えば、予算要求の間際でみんなが必死になって仕事をしている時にも、「俺はこれから滝に打たれてくる!」と言っていなくなる、なんてことがあったそうですよ。
見るる と、とんでもない人だった! 事実は小説よりも奇なり、ですね〜。ちなみに、先週の放送で眠気覚ましにやっていた、あの「ピンピンピンピン」という謎の運動は……?
清永さん あれも、史実です。宇田川さんは「健康法を思いついた!」と言ってみんなを集めて、「ピンピン運動」という……こう言ってはなんですけど変な運動をやっていたそうですよ。ただし、あまりの珍妙な光景に部下の評判は芳しくなく、「宇田川式体操」ならぬ「疑わしき体操」と呼ばれていたらしいですが。
見るる なんと(笑)。でも実際にああいう人が上司だったら、大変そうだけど、楽しそうでもありますよね。
清永さん ほかにも、涙もろくて映画を見てすぐに泣いたり、会議では毎回真っ先に居眠りを始めたり……。ちょっと面倒だけど、いないと寂しい。宇田川さんは、そんな楽しい人柄で周囲に愛されていたようです。
見るる えーっと、2枚目のほうの宇田川さんは、一体、何してるんですか。おんぶ?
清永さん 長男の潔さんと遊んでいる宇田川さんです。お茶目でしょう?
見るる なんて仲よし! 一気に好感度が上がりました。2人とも笑顔がとってもすてきです。これは確かに、多少めんどくさくても憎めないキャラかも……! ドラマでは、多岐川さんが家事審判所と少年審判所の合併を引っ張ってましたけど、宇田川さんも同じことをされたんですか?
清永さん 全く同じではありません。宇田川さんが最高裁判所家庭局長に任命されたのは、1949(昭和24)年の元日。着任したのは1月4日頃ですので。そして12日には、例の「家裁の五性格」と呼ばれる理念を発表。アイデアマンでもあって、その後はどんどんリーダーシップを発揮して、のちには「家庭裁判所の父」と呼ばれるような活躍をしていくわけです。
見るる ドラマの多岐川さんも、「愛」「愛」って何度も口にしていましたけど、父のような愛でもって、お仕事をされていたんですね。
清永さん ええ。宇田川さんは1938(昭和13)年に満州に赴任し、そこで審判官(裁判官)になりました。その後は満州の若者に法律を教える「中央司法職員訓練所」に勤め、教官をしていました。
とてもいい先生で、教え子たちから兄のように慕われていたそうです。だから戦後は、教え子たちの助けもあって危ない目に遭うこともなく、日本に引き揚げることができたそうです。
ただ、満州で1歳の三男を肺炎で亡くしています。さらにその直後に妻が亡くなってしまった。長男の潔さんによれば、このときの宇田川さんは、立ち上がることができないほど涙を流し続けていたということです。
でも、あるときふと、今、日本には、たくさんの父親あるいは母親を亡くした子どもがいる。子どもと伴侶を亡くした自分が、親を亡くして不安な子どもたちのために働くことは使命である。
「自分はこれから戦災孤児の面倒を見るんだ」と心に決めたそうなのです。息子の潔さんに言わせると、以来、宇田川さんは、いつも少年たちのことで頭がいっぱいだったと。
見るる 変わり者ではあったけど、人一倍、情熱もあったんですねえ……。
清永さん やはり組織の変革期、創生期だからこそ、一見、突拍子がないように見えても、エネルギーやバイタリティにあふれる人が活きたのでしょうね。しかしもちろん、彼のような人だけでは組織は回りません。宇田川さんの下についた人はとても苦労したようです。
見るる ドラマでいうと、汐見さんみたいな人の支えがなきゃ! ってことですよね。
清永さん その通り。実際、宇田川さんの下には市川四郎さんという人がついていました。司法省で課長もしていた行政経験の豊かな人で、何より人柄が優しかったのだそうです。
時にすっとんきょうなことをする宇田川さんを献身的に支え続け、ご自身が亡くなるときまでずっと、宇田川さんのことを褒め称えていました。また、後に東京高裁の長官になるほど優秀な方だったそうです。
見るる それは、人事、グッジョブですね!
清永さん 記憶力も抜群に良くて、昭和50年代に開かれた座談会でも、当時の年代や個人名など何一つ間違えずに回想されているんです。記録を元に事実確認をした私など、その正確さに舌を巻きました。
見るる 理想を形にする内藤さんがいて、猪突猛進の宇田川さんがいて、それを支える市川さんがいて、そこに三淵(当時は和田)嘉子さんもいて……当時の家庭裁判所は、いろんな人が支えあって運営されていた場所だったんですね。今日も勉強になりました!
スクープ! 山口良忠判事の妻が描いた油絵を、最高裁で発見!
清永さん あ、待ってください。あともう一つだけ……。先週ご紹介した、ヤミ米を拒否して亡くなった山口良忠判事の話に続報があるんです。
見るる 続報? あ、ドラマでも、花岡さんの妻・奈津子さんが再登場していましたよね。彼女の描いた絵を、新しくできた東京家庭裁判所に飾るシーン。しかも、その絵が、トラコが花岡さんにあげたチョコレートを、2人の子どもに手渡すというもので……あれには、泣いてしまいました……。
清永さん 実は、このシーンも、史実に基づいて作られているんです。山口判事の妻・矩子さんが描いた絵画が、最高裁に所蔵されていることは分かっていたのですが、それが今どうなっているかは不明でした。
しかし、このドラマを機に調べてもらったところ、絵画が今も最高裁で保管されていることが判明。そして、今回、撮影の許可を得ました。それがこちら!
見るる すごく優しいタッチの絵! なるほど、こちらにも2人の子どもが描かれているんですね。
清永さん 山口判事の2人のお子さんだと思われます。ところがですね、見るるさん。ドラマで使う絵を用意したのは、この絵を見つける前のことなんです。ドラマの美術担当が脚本からイメージして作ったものだとか。
つまり、“2人の子ども”というモチーフは、偶然の一致。ですから、この絵を見たときには、ドラマとの共振に私も感激しました。
ちなみに、このほかにも、合計5点の絵画が最高裁に所蔵されていることが分かりました。これらの絵画、資料の中には最高裁が買い上げたという記述もあります。
一方で私が話を聞いた経理局OBの1人は「予算をつけることは難しく、山口判事の同僚が絵画を購入し、それを最高裁へ寄贈したのではないか」と話していました。ドラマと同じように遺された子どもの生活費にしてほしいと、同僚の裁判官たちがお金を出したことも可能性としては考えられます。
見るる そんな思いがつまった絵が、ずっと最高裁に飾ってあったなんて……なんだか、胸がいっぱいになるお話ですね。ありがとうございました!
参考文献:山形道文著『われ判事の職にあり』(文藝春秋刊)
次週!
第13週「女房は掃きだめから拾え?」6月24日(月)〜6月28日(金)
意味:《妻を迎えるなら、自分より格下の家からもらうのがよいということ。身分の高い家から妻をもらうと、親戚付き合いに苦労したり夫の権威が下がったりする恐れがあるとの意から。》(辞書オンライン『ことわざ辞典』より)
母・はるさんの死も乗り越えて、トラコは明日からも頑張っていくんだなあ……(ほろり)、なんて考えていたら、今週ラストに登場したのは、梅子さん⁉︎
ヒャンちゃんに続いて、よねさん&轟に、笹寿司の大将、次々うれしい再会がある中で、ちょっとちょっと、何があったの〜! たしか梅子さんって、三男を連れて家を出たはずでは? 予告動画を見る限りでは、ドロドロな遺産相続争いをしてなかった? 大丈夫なの⁉︎ 次回も気になりすぎる〜!
というわけで、今週の「トラつば」復習はここまで。
来週の先生方の講義も、お楽しみに〜!!
NHK解説委員。1970年生まれ。社会部記者として司法クラブで最高裁判所などを担当。司法クラブキャップ、社会部副部長などを経て現職。著書に、『家庭裁判所物語』『三淵嘉子と家庭裁判所』(ともに日本評論社)など。「虎に翼」では取材担当として制作に参加。
※清永解説委員が出演する「みみより!解説」では、定期的に「虎に翼」にまつわる解説を放送します。番組公式サイトでも記事が読めます。
2024年6月17日放送の『みみより!解説「虎に翼」解説(4)個性的な上司と絵画』はこちらから(NHK公式サイトに移ります)。
取材・文/朝ドラ見るる、イラスト/青井亜衣
"朝ドラ"を見るのが日課の覆面ライター、朝ドラ見る子の妹にして、ただいまライター修行中! 20代、いわゆるZ世代。若干(かなり!)オタク気質なところあり。
両親(60&70代・シニア夫婦)と姉(30代・本職ライター)と一緒に、朝ドラを見た感想を話し合うのが好き。