どうも、朝ドラ見るるです。
トラコ(寅子)、航一さん、“事実上の結婚”、おめでとう! 悩んで悩んで決めたことだもんね。何はともあれ、2人が納得できる結論に落ち着いてよかった! でも、朝ドラヒロインの事実婚って珍しくないですか? というか、ほぼ初めて? トラコのモデルになった三淵嘉子さんのリアルは? やっぱり、そのあたりが気になってきちゃいますよね。
というわけで、今回、お話を伺ったのは、「虎に翼」で法律考証をご担当されている、明治大学法学部の村上一博教授です。三淵さんのお話だけでなく、当時の結婚に対する考え方からドラマの制作裏話まで、いろいろ伺っちゃおうと思います。
それでは今週もいってみよ〜! 教えて、村上先生!
三淵嘉子さんの再婚、実際はどうだったの?
見るる 今週の放送、なんだかとっても新鮮でした。あんなに「結婚」について理屈っぽく考える主人公、初めて見たので。とはいえ、竹もとでのサプライズ結婚法廷(?)には感動しちゃいました。結婚式なのに法廷用語が飛び出して……あのあたりも、村上先生が考証を担当されたんですか?
村上先生 私だけではないですよ。みんなでかなり議論を重ねて作ったシーンなので、感動してもらえたなら、ほっとしますね。
見るる いったいどのあたりを議論したんでしょう。
村上先生 できるだけ、当時の表現として違和感のないように、皆で知恵を絞りました。それに今回、結婚で名字が変わることについてのさまざまな議論が、いろんな人物の言葉として登場していましたよね。覚えていますか?
見るる えーっと……トラコは、そもそも「どうして結婚したら女性側の名字が変わるのが普通なのか」疑問に思ってましたよね。でも、玲美は改姓に抵抗はなくて、むしろ「早く相手の名字になりたい」と言ってたし、花江も「名字が変わって初めて結婚を実感する子は多いんじゃないかしら」と言ってました。
あっ、あとトラコは、「佐田寅子でなくなると優三さんと夫婦だった時間が消えそうな気がする」とか「佐田寅子としての経歴や歴史が消えてしまう気がする」とか、さんざん悩んでもいました。よねは、「結婚しても名字を変えたくないと思うことは当然の権利」と言ってたし、一方で航一さんは、「結婚したら僕が佐田姓になる、名字にはなんのこだわりもない」と。
それを聞いた百合さんは「そんなこと絶対いけません」だし、桂場さんは仕事での旧姓使用を相談しに来たトラコの話を聞いて「なぜ、そんなくだらんことにこだわるんだ」……。
うーん、こうして振り返ってみると、確かに、ここまでみんなの意見が割れたのって、これが初めてかも⁉︎
村上先生 そうなんです。これは、「昔の日本はこうだった」と片づけることができない、今でも議論が続いているお話ですからね。さまざまな意見を取り入れました。
見るる 実際の三淵嘉子さんはどうだったんですか? やっぱり、トラコたちと同じような考えを持っていらしたんでしょうか。そもそも、「夫婦のようなものになる」という結婚のスタイルを取ったというのは、実話なんでしょうか?
村上先生 いいえ、実はここは、ドラマオリジナルなんですよ。嘉子さんが再婚をされたのは、1956(昭和31)年。相手は、初代最高裁判所長官であった三淵忠彦さんの息子、三淵乾太郎さんです。当時、嘉子さん41歳、乾太郎さん50歳だったそうです。お互いに2度目の結婚で、連れ子がいたことはドラマと同じですが、乾太郎さんと嘉子さんは法律上の婚姻関係を結んでいます。
そして、嘉子さんはこのタイミングで名字を「三淵」に変え、名乗りました。当時の感覚からすれば、ごく自然なことだったでしょうね。
見るる なるほど……。ところで、嘉子さんと乾太郎さんの結婚生活はどんなものだったんでしょう?
村上先生 嘉子さんも乾太郎さんも、同じ裁判官でした。転勤が多かったので、夫婦として一緒に暮らしていた期間はそれほど長くなかったそうです。でも、その分お二人は仲が良かったらしいですよ。初の女性法曹として男社会の中で闘ってきた嘉子さんにとって、理解あるパートナーを得られたのは幸せなことだったでしょうね。
見るる 別居でもラブラブって素敵ですね〜! 確かに裁判官って、転勤が多いって聞きます。ちなみに、裁判官同士の結婚って、当時からよくあったんでしょうか?
村上先生 当時は女性の裁判官自体が少なかったので……。強いて言うなら、比較的多かったのは、裁判官と弁護士の結婚です。しかしこれにはトラブルもあったようですね。中には、最高裁から結婚を止められたケースもあったんです。
見るる え! なんでですか?
村上先生 裁判官と弁護士が夫婦になって、万一、同じ事件の裁判を担当することになったら、公平性に欠ける……ということでしょうね。それで実際、結婚するために弁護士を辞めた女性もいるんです。
見るる そんな〜!
村上先生 もちろん、今ではそんなことはあり得ませんよ。それに当時も、一度やめて、ほとぼりがさめてから弁護士に復帰されたとか。先ほども言いましたが、当時は女性法曹の数がそもそも少なく、何をするにも目立つ存在。だからこそ、だったんでしょうね。
見るる それにしても、最高裁に結婚を止められるだなんて、妙な感じ! 轟と遠藤さんをはじめ、今週登場したいろんなスタンスの人たちのことを考えると、結婚制度は今も議論が続いている問題ですよね。
「事実婚」っていつからあったの?
見るる ところで、三淵さんは法律上の結婚をされたということですけど、ドラマのトラコと航一さんは、今で言う「事実婚」ですよね。最近ではよく聞く言葉ですが、実際にはいつごろからあったんですか?
村上先生 と言いますか……。事実婚自体は、今も昔も、法的に規定されたものではないんです。順を追って説明していきましょう。歴史をたどると、明治時代にさかのぼります。
1871(明治4)年、日本に戸籍法ができました。この時、それまで各府県ごとに行われていた戸籍作成に関する規則を全国的に統一したのですが、管理は杜撰でした。特に夫婦は、戸籍に登録しないと、その関係性が法的に認められないのに、登録しない人が多かった。それで、子どもができた時に裁判で揉めるという事例が後をたちませんでした。
それで、戸籍に登録していなくても「事実婚」という状態を認めましょう、という風潮が広がったんです。
見るる なんと。昔の日本人、意外にゆるかったんですね!
村上先生 法律上はダメなんですけどね(苦笑)。しかし、1898(明治31)年──明治民法が成立。ルールが厳しくなり、婚姻関係は戸籍に載せて、夫婦どちらかの名字を変更しないと法律上絶対に認めない!という方針に国が変わったんです。国民の意識も、当然、そちらにつられるように。
そして、戦後、新民法となってしばらくしてから、社会的な慣習として「事実上の夫婦」という関係を認めよう、という動きになってきたのが、現在というわけです。
見るる ふむふむ。存在自体はあったけど、制度や国民の意識で扱いが変わった、ということだったんですね。それにしてもトラコたちの、「結婚の証しとして遺言書を交わす」という発想にはびっくりしました。なんか逆にロマンチックだなって思ってしまった見るるですが……これって法的には有効なんですか?
村上先生 まあ、トラブルを避けるためには有益と言えるでしょう。事実上の婚姻状態にある男女の場合、どちらかが亡くなったとしても、遺言状を書かないと相続権はないということになりますからね。
法的な夫婦としてみなされることはないものの、この遺言状自体が「それぞれを事実上の夫婦として認識しているんだ」と示すことになるんです。……ところで、この「遺言」という言葉。なんと読むか、ご存じですか?
見るる えっ……「ユイゴン」ですよね?
村上先生 実は、法律の世界では「イゴン」と読むのが正しいんです。同様に、法律の条文中の「左のように」は、「“さ”のように」と読むのが正式。でも、一般の人たちにはなじみがないですよね。そこで、法律上の正しさは置いておいて、劇中では「ゆいごん」「ひだりのように」と、読ませているんです。
専門家なら誰でも知っていることなので、ドラマで出てくるたびにモヤモヤしていた方がいるかもしれません。わかりやすさのために敢えてやっているんです!と、ここでお伝えしておきます。
見るる そうだったんですか! ちっとも知りませんでした。はい、法律用語では「遺言」の読み方は「イゴン」……覚えておきます!
次週!
第22週「女房に惚れてお家繁盛?」8月26日(月)〜8月31日(土)
意味:《亭主が女房に惚れ込んでいると、外で浮気や道楽もせず家庭円満になるということ。》
航一さんと一緒に星家で生活することになった寅子と優未。しかし、なんか早くも揉めてません⁉︎ いや、一波乱ありそうだなとは思っていたけれど……。
そして、まさかの優未がまどかと麻雀勝負。いったい何がどうしてこうなった……うう、来週の放送も気になるよ〜!
というわけで、今週の「トラつば」復習はここまで。来週の先生方の講義も、お楽しみに〜!!
明治大学法学部教授、明治大学史資料センター所長、明治大学図書館長。1956年京都府生まれ。日本近代法史、日本法制史、ジェンダーを専攻分野とする。著書に、『明治離婚裁判史論』『日本近代家族法史論』(ともに法律文化社)など多数。「虎に翼」では法律考証担当として制作に参加している。
取材・文/朝ドラ見るる イラスト/青井亜衣
"朝ドラ"を見るのが日課の覆面ライター、朝ドラ見る子の妹にして、ただいまライター修行中! 20代、いわゆるZ世代。若干(かなり!)オタク気質なところあり。
両親(60&70代・シニア夫婦)と姉(30代・本職ライター)と一緒に、朝ドラを見た感想を話し合うのが好き。