どうも、朝ドラ見るるです。

終わった……終わってしまった……半年にわたる激動の物語が……。

え〜〜〜さみしい! トラコ(とも)の「はて?」をもっと聞いていたかったよ……! 最後のセリフ「さよーならまたいつか!」に、いろいろ期待しちゃいますよね。

でも、思うんです。あの言葉に込められた寅子の思い。ある意味、「次はあなたたちの番よ!」って言われてるような。バトンを渡されたような。そんな気がするのは、見るるだけでしょうか。ほんと、今更ですけど、あの主題歌も、素晴らしかったですよね! うう、思い出したらまた涙が……。

というわけで、トラコたちを追いかけて半年間連載してきたコラム「『虎に翼』の『はて?』を解決!」も、今回が最終回。ラストを飾ってくださるのは、前回に引き続き、明治大学法学部の村上一博教授! トラコのモデルとなったぶちよしさんのその後のお仕事、そして法律考証として「虎に翼」の制作に関わった村上先生の、最終回を終えての感想もお聞きしちゃいます。

それではいきましょう! 教えて、村上先生〜!

三淵嘉子さんのその後は……日本初の女性裁判所長として活躍!

見るる トラコ、横浜家庭裁判所の所長になったんですね。ついに所長! 本当にすごいです。トラコのモデルである三淵さんも、裁判所長になったんですよね?

村上先生 そうですね、三淵さんは1972(昭和47)年6月、新潟家庭裁判所長に就任されています。日本では女性で初めての裁判所長でした。やはり、当時はかなり注目されたニュースだったようですよ。彼女を輩出した我が明治大学としても誇らしいですね。

三淵嘉子さん(1966年頃撮影/提供:明治大学史資料センター)

見るる そうでした、グッジョブ明大ですね! でも、新潟……? はて? そうか、ドラマとは赴任のタイミングが違っていたんでしたっけ(「トラコ、新潟で四苦八苦!……だけど、三淵嘉子さんの初の赴任先は新潟じゃなかった!?」)。

村上先生 そうなんです。三淵さんが新潟に赴任したのは、この時が初めて。しかも新潟家庭裁判所は新潟市にありましたから、ドラマで寅子が勤めていた三条市には、実は行っていないんですよ。そして、その後は浦和家庭裁判所長(1973年11月〜)、横浜家庭裁判所長(1978年1月〜)を歴任。1979(昭和54)11月に定年退官されました。

見るる 本当に、一生を通じて家庭裁判所に尽くされたんですね。

村上先生 はい。ただ、三淵さんが家庭裁判所でどんなことをしていたかは、よくわかっていないんですよ。

見るる ん? と言いますと?

村上先生 家裁の仕事というのは、基本的に子どもとの話し合いで進んでいくもの。当然、守秘義務があるので、その話し合いの具体的な内容は公にはされません。最低限、誰をどんな処分にしたかという結果はわかっても、それがどう素晴らしかったか、三淵さんらしい画期的な判断があったかなどは、私たちは詳しく知りようがないんですよ。

見るる うわ〜。そうなんですね! しかたないけど、なんだかちょっぴり残念。

村上先生 その代わり、当時、三淵嘉子さんと一緒に働いていた人が、彼女の審理の様子について語ったお話が残っています。NHK解説委員の清永聡さんの取材によるものですよ。

「三淵さんの少年審判は、動機を聞くとか反省の言葉を聞くとか、そういう形式的な段取りを追っていくのではないのです。何か流れるように進んでいくのが特長でした。『三淵さんの世界』とでも言うのでしょうか。少年が話し始めると、ぐっと身を乗り出して、『うん、それで』『もっと聞かせて』と語りかけるのです」

(新潟家裁時代、三淵さんの下で働いていた調査官の石井葉子さんの証言/清永聡編著『三淵嘉子と家庭裁判所』より)

見るる おお〜清永さん、グッジョブです! なんかイメージ通りでうれしい! 少年にしっかり寄り添っていて、まさに“愛”って感じですね。

村上先生 ほかにも、女性職員を所長室に招いてお菓子パーティーを開いたり、洋服を買うお店について盛り上がったりしたとか。そうそう、夫婦仲がいいのもドラマと同じですね。雪まつりの時には、夫の乾太郎さんが東京から遊びに来て、2人が腕を組んで歩く姿が噂になったそうです。

見るる え〜、素敵~(ホクホク)。

村上先生 石井さんは、そういう彼女の自然なふるまいが新潟家裁全体によく作用して、やがて男性職員も女性を対等に扱うようになり、裁判所の中が家庭的な雰囲気になって、チームワークが強まっていった……と話されています。後の赴任先でも同様で、いつしか若い職員からは「うちのお母さん」と呼ばれるようになったそうですよ。

見るる まさに「家庭裁判所の母」になったんですね。なるほど〜!

何度も出てきた「法律とは」――あなたはどう思いますか?

見るる ところで、最後に村上先生にお聞きしたいことがあるんです。ドラマの中で、繰り返し出てきた「法とは何か?」という問いかけ。そのつど、「毛布や傘」「きれいなお水」「水を守る整備員や水路」「船のようなもの」と、さまざまな比喩が出てきました。あれって、法律考証をされていた村上先生のアイデアだったんですか?

村上先生 いえいえ、あれは脚本の吉田恵里香さんのオリジナルです。トラコが各時代にぶつかる法律問題について、見解を述べたものですよね。吉田さんは執筆を進める中で、そのつど、かなり法律について勉強をされていましたから、あの表現には、吉田さん自身の法律への理解の深まりが表れているのだろうな、と思って拝見していました。法律家の私たちでは、とても発想されないような言葉ばかりでしたね。

見るる なるほど、そうだったんですね。じゃあ、もし村上先生が、トラコに「法律とは何ですか?」と聞かれたら、どうお答えになりますか?

村上先生 難しいことを聞きますね(笑)。そうですねえ……しいていうと、「正義の実現、そのためにあるもの」でしょうか。

一方、法学の世界には、「法律とは、権力者が決めたものである」という説もあります。つまり、「法とは、その時々の権力者の主観によって、彼らが思う社会の実現のためにある」という考えです。

でもやっぱり、法律にとって必要なのは、権力者の意思よりも「人々がよいと思う社会の実現」だと思うんです。ですから、例えば、女性差別的な要素が多かった明治民法は、改正されてよかったと、私は思うわけです。

見るる じゃあ、今度こそ最後の質問です。今回、こんなにじっくりと法律を扱ったドラマが半年間、放送されたことについて、その意義を法律の専門家である村上先生はどう思っていらっしゃいますか?

村上先生 すごいことだと思っていますよ。ドラマを通して、視聴者の皆さんが少しでも法律に触れたり、考えたりする時間を作ってくれたことも、うれしかったですね。法律というと、どうしてもかたくて、自分たちの生活とは疎遠なものと思われがちです。でも、本当はそうではないと、こうしてドラマで描くことで気づいていただけたと思うので。

法とは、人の暮らしそのものなんです。あるいは、そこにあった感情の積み重ねでもある。いろいろな人が怒り、悲しみ、喜び、そこから得たものが集約されて法は作られているんです。だから大切にしなくてはいけないし、現実に即してそのつど検討されるべきだし、変える時には十分に議論を尽くさなくてはいけない──。

見るる そうですね。見るるもドラマを見ながら、「今」に続いていることの多さにも驚かされました。だから、見るる的には「法は生きもの」です。強くて、同時に弱い生きもの。だからちゃんと守っていかなくちゃいけない。放置しておいてもいけない。そんなふうに思いました。現時点では!(笑)

先生、半年間ありがとうございました!!


さて、朝ドラコラム「『虎に翼』の『はて?』を解決!」は、これにてひとまず終了です。読んでくださった皆さん、見るるにいろいろ教えてくれた専門家の皆さん……清永聡さん、村上一博先生、佐賀千惠美先生に大感謝です。そして、

「さよーならまたいつか!」

参考文献:清永聡編著『三淵嘉子と家庭裁判所』(日本評論社)

村上一博(むらかみ・かずひろ)
明治大学法学部教授、明治大学史資料センター所長、明治大学図書館長。1956年京都府生まれ。日本近代法史、日本法制史、ジェンダーを専攻分野とする。著書に、『明治離婚裁判史論』『日本近代家族法史論』(ともに法律文化社)など多数。「虎に翼」では法律考証担当として制作に参加している。

取材・文/朝ドラ見るる イラスト/青井亜衣

"朝ドラ"を見るのが日課の覆面ライター、朝ドラ見る子の妹にして、ただいまライター修行中! 20代、いわゆるZ世代。若干(かなり!)オタク気質なところあり。
両親(60&70代・シニア夫婦)と姉(30代・本職ライター)と一緒に、朝ドラを見た感想を話し合うのが好き。