どうも、朝ドラ見るるです。
やってきました、新潟地方・家庭裁判所、三条支部! 職員や地元の弁護士たちに歓迎され、スタートダッシュは十分……かと思いきや、東京育ちの都会っ子であるトラコ(とも)には、戸惑うこともいっぱい。さっそく人間関係に苦労してます。そりゃあ、「仕事行きたくねえ〜」ってなるよね、わかるよ!(笑)

さらに、との距離感にも四苦八苦。でも、優三さんの話をしたり、一緒においしいものを食べたり。少しずつだけど、確実に溝は埋まっていっていると思うよ。トラコ、ファイト!

……で、今週気になったことは、トラコのモデルになったぶちよしさんの、実際の経歴。三淵さんも、トラコと同じように新潟に赴任したの? ドラマと実際の違いが知りたい!

というわけで先週に引き続き、現役の弁護士であり、三淵さんについての著書も執筆されている、先生にお話をうかがいます。
それじゃ、今週も元気よく。教えて、佐賀先生〜!

初の地方赴任先は、新潟じゃない? トラコと三淵嘉子さんの経歴を比較!

見るる ドラマでは、今週──劇中では1952(昭和27)年の春、トラコは、新潟地方・家庭裁判所三条支部の支部長になりました。実際の三淵嘉子さんも、同じだったんですか?

佐賀先生 いえ、それがちょっと違うんです。そうですね……このあたりで一度、史実を整理しておきましょうか。
まず、嘉子さんが念願の「裁判官」になったのは、1949(昭和24)年8月のことでした。東京地方裁判所の民事部に配属され、「判事補」になりました。

見るる ふむふむ。トラコもこのあいだまで、「判事補」でしたよね。ところで、その〜、なんですけど……判事と裁判官って、何が違うんでしたっけ……。

佐賀先生 ええとですね、「裁判官」は、職業です。「警察官」や「教師」などと一緒ですね。一方、「判事」は職位。「部長」や「課長」などと同じように、裁判官の中の職位の一つなんですよ。

見るる そうなんですね! ということは、つまり、「判事補」も、「補」は付いていても「裁判官」ってことでいいんですよね?

佐賀先生 ええ。判事補は、10年間経験を積むと「判事」になれます。これは「裁判所法」という法律で決まっています。三淵嘉子さんは、1952(昭和27)年に日本初の女性“判事”になりました。
ちなみに、“日本初の女性裁判官”は、いしわたみつさんという方です。嘉子さんが判事補になる4か月前、1949年4月に初の女性判事補に任じられています。

見るる へえ~、三淵嘉子さんより前に裁判官になった方がいたんですね!

佐賀先生 石渡さんは嘉子さんよりも9歳年上でしたが、司法試験に受かったのは戦後。なので、ここから最短で判事になるにしても10年後の1959年ということになります(実際には1961年に判事となっています)。

見るる ちょっと待ってください。同じ年に判事補になったのに、なんで嘉子さんは3年後に判事に? 10年経たないといけないんですよね?

佐賀先生 それは、嘉子さんの場合、「弁護士」をしていた期間も合わせて10年間という計算になったからです。この、判事になるのに必要な10年間とは、判事補、簡易裁判所判事、検察官、弁護士、裁判所調査官あるいは司法研修所教官または裁判所職員総合研究所教官、同法で定められた大学の法律学の教授または准教授として、働いた年数を通算して10年以上になることが条件なので。

見るる 判事補として10年働いていなくても、弁護士やそのほか法律に関わる職のキャリアも含まれるんですね。なるほど……(←航一さんの口癖がうつった)。それで、三淵嘉子さんは、“日本初の女性判事”ということになるわけですね!

佐賀先生 そういうことです。では、話を戻しましょう。1949年に判事補になった嘉子さんは、翌年のアメリカ視察や研修期間を含め、3年4か月の間、東京地方裁判所に所属していました。そして、先ほども言ったように1952(昭和27)年12月に「判事」となり、名古屋地方裁判所に赴任しています。

見るる ん? 名古屋ですか? 新潟ではなく?

佐賀先生 そう、ここがドラマと異なる点ですね。嘉子さんは、当時9歳だった息子さんと一緒に名古屋へ移り住んで、判事として、名古屋地方裁判所で働きました。そして3年半後、再び転勤で東京へと戻っています。

見るる またしても、新潟ではなく? じゃあ、嘉子さんが新潟で働いていたことはないんでしょうか。

佐賀先生 いえ、嘉子さんも新潟に赴任してはいます。しかしそれはもう少し先で、1972(昭和47)年6月のことなんです。しかもその時は、支部長としてではなく、“日本初の女性の家庭裁判所所長”としてなんですが……これはちょっと、ネタバレになっちゃいますね。今回は、ここまでにしておきましょう(笑)。

ただ、太平洋岸育ちの嘉子さんにとって、新潟の四季はとてもめずらしかったようで、わずか1年4か月の在任中、新潟県内の名所名跡や祭事は、ほとんどご覧になったそうですよ。カメラを肩にかけて、どこへでも気軽に出かけていたとか。

見るる さすがの行動力! でも、その余裕は、今のところトラコにはなさそうですね〜。ということは、劇中でも、いつか所長となって新潟にカムバックするのかな? 史実通りでも、違っていても、ドラマの先の展開が楽しみです!

女性裁判官の“特別扱い”に物申す! 三淵さんの本音は?

見るる それにしても、新潟でのトラコは、やりづらそうです。東京ではやりづらい相手の代表格だった航一さんが、癒やしに見えてきますもん。別に、みんな、意地悪な人たちってわけじゃないとは思うんですけど……。三淵嘉子さんも、初の地方赴任で、そういう人間関係に苦しんだんでしょうか?

佐賀先生 どうでしょう。嘉子さんの場合、どこへ行っても慕われてはいたようですが……。でも、後に、こんな文章を書かれていますから、最初のうちは、いろいろと大変なこともあったのではないかと推察できます。少し長いですが、そのままご紹介しましょう。

「地方の裁判所の中には 女性裁判官を敬遠するところが多く、ことに少人数の(略)裁判所は、女性裁判官は十分に活用できないとして歓迎しなかったようである。はじめて女性裁判官を受け入れる側には、女性に対するいたわりからか、たとえば やくざの殺人事件や強姦事件等を女性裁判官に担当させることは はばかれるという気分があって、女性裁判官は男性裁判官と同じようには扱えないと思うようであった」

「女性が職場において十分に活躍できない原因の一つに 男性側の女性への優しいいたわりから来る特別扱いがある。裁判官のみならず、検察官、弁護士の場合でも、女性に対しては 初期の頃は男性側が必要以上にいたわりの心遣いをし、それが女性法曹を扱い難いと思わせていたのではないだろうか」

「職場における女性に対しては女であることに甘えるなといいたいし、また男性に対しては 職場において女性を甘えさせてくれるなといいたい」

(『女性法律家』より)

見るる こ、これは、確かに、結構きてますね……。男性からの“特別扱い”が、かえって女性の地位を下げたり、立場を悪くする原因にもなっているってことですよね。そういえば、女性弁護士としてチヤホヤされていたときも、けっこう怒ってたもんなあ、嘉子さん。そういう性格のはっきりしたところも、ドラマの中に生かされているのかもしれないですね。

ともかく、トラコの判事としての奮闘も、まだ始まったばかり。このあと、女性初の家庭裁判所所長になるまでは、まだまだ長い道のりがありそうです。これからも、あたたかく、そして厳しく! トラコを見守っていこうと思います〜。

参考文献:三淵嘉子ほか著『女性法律家』(有斐閣)


次週!

第17週「女の情に蛇が住む?」7月22日(月)〜7月27日(土)

意味:《女の情愛は蛇のように執念深くて恐ろしい》

みなさん、今週のラスト、ご覧になりましたか? りょ、りょ、涼子様が働いていらっしゃる⁉︎ 予告動画のほうには、たまちゃんも!!  よねさん、ヒャンちゃん、梅子さんに続き、明律大学女子部時代の仲よしメンバー最後の2人、再登場待ってたよ~!

でも、なになに、何が起きているの? たまちゃんの涙のわけは? 一体何があったんだろう? 2人の物語が描かれる来週が待ちきれない!

というわけで、今週の「トラつば」復習はここまで。
来週の先生方の講義も、お楽しみに〜!!

佐賀千惠美(さが・ちえみ)
1952年熊本県生まれ。1977年司法試験合格。翌年に東京大学法学部を卒業、司法修習生に。1981年東京地方検察庁検事を退官。1986年弁護士登録。これまで、京都府労働委員会会長、京都弁護士会副会長、京都女性の活躍推進協議会座長などを歴任。著書に、『三淵嘉子・中田正子・久米愛 日本初の女性法律家たち』(日本評論社)、『三淵嘉子の生涯〜人生を羽ばたいた“トラママ”』(内外出版社)などがある。

取材・文/朝ドラ見るる イラスト/青井亜衣

"朝ドラ"を見るのが日課の覆面ライター、朝ドラ見る子の妹にして、ただいまライター修行中! 20代、いわゆるZ世代。若干(かなり!)オタク気質なところあり。
両親(60&70代・シニア夫婦)と姉(30代・本職ライター)と一緒に、朝ドラを見た感想を話し合うのが好き。