寛弘2年(1005)、まひろ(紫式部)は中宮彰子の女房として初出仕しました。ドラマでは、父の藤原為時から「お前が女子であって良かった」と声をかけられ、目に涙を浮かべていましたね。
彼女が幼いころは、漢籍の才能を見せても父は褒めてくれず、「お前が男子でないのが残念だ」と嘆くばかりでした。そんな父に、紫式部はようやく「自分らしさ」を認められたのです。模索を経て、博識と文才を活かした物語作家という生き方に、紫式部はついにたどり着いたといえるでしょう。
この年は、いわゆる“一条朝の四納言”の一人・藤原公任にとっても、人生の節目となりました。彼は関白藤原頼忠を父に、醍醐天皇の孫を母に持つ貴公子ですが、出世では藤原道長に大きく水をあけられました。そのうえ、訳あって前年の冬から鬱々として自宅に引きこもっていたのです。
きっかけは、寛弘元年(1004)10月に藤原斉信が従二位に叙せられ、正三位の公任を超えたことでした。斉信は、松尾大社など複数の神社に天皇が行幸した折に差配を行い、恩賞として特別に位階を賜ったのです。
公任にとって、斉信に位階を超えられたのは人生で初めてのことでした。官職では公任が中納言、斉信が権中納言と斉信が下位であるものの、位階によって地位が逆転したのです(位階に関してはコラム・序の巻②を参照)。
衝撃を受けた彼は出勤拒否状態となり、12月には辞表を提出します。ただ当時、辞表はすぐに受理しない決まりがあったため公任のもとに返され、彼の悔しさは天皇に届きませんでした。公任の思いは収まらず、正月が明けても自宅に引きこもったまま、外出しない日々が続きました。
そんな春3月、道長は自邸で弓と漢詩の華やかな会を催しました。漢詩といえば公任がもっとも得意とする文芸です。ドラマでもこの会がとりあげられていました。藤原伊周が道長の恩情にひれ伏す殊勝な詩を詠みましたが、公任は「言葉の上だけだ」と鋭く言い当てていました。
しかし史実としては、公任はこの会を欠席しました。藤原実資の『小右記』によれば、会は伊周の独壇場で、皆が彼の詩に感動してすすり泣いたということです。道長は公任を心配したのでしょう。漢詩会の翌日、公任に連絡を取って和歌のやり取りをしています。
【道長歌】
谷の戸を 閉ぢや果てつる 鶯の 待つに声せで 春も過ぎぬる
谷の戸口を閉め切ってしまったのですか? 私は待っているのに、あなたという鶯は飛んできて鳴いてもくれない。3月が過ぎ、もう春も終わってしまったではありませんか。
【公任歌】
行きかはる 春をも知らず 花咲かぬ 深山がくれの 鶯の声
季節の移ろいも知らず、花の咲かない奥山に隠れて鶯は鳴いています。そう、私は我が世の春も知らず、引きこもって“泣いて”いるのです。
(『公任集』527・528番)
道長の和歌は、詩才のある公任を鶯に喩えて持ち上げ、彼を待っていた自分の思いを告げつつ、公任を案じています。公任の和歌はそれを受けて、忍び音をもらす鶯のように失意に泣いている自分をさらけだしています。二人の間には確かに友情があったと感じられます。
そんな公任が2度目の辞表を提出したのが、引きこもりを始めて10か月になる寛弘2年7月でした。一条天皇の反応は「思うところがあって奉った辞表なのだろう。とくに従二位への昇進を与える」。公任の愁訴が認められ、異例の叙位が施されたのです。
これで位階は斉信と並び、官職は公任のほうが上なので、二人の関係は元どおり公任が上位に戻りました。実資は「斉信に超えられた雪辱のみならず、栄誉を増した」、道長は「公任が余人をもって代えがたい才人だからだ」と讃えました。
2度目の辞表については、説話が伝えられています。
当時、辞表は専門家の漢学者に代作させることが通例で、公任は赤染衛門の夫・大江匡衡に依頼しました。その際、「他の高名な学者たちにも書かせたが、我が意に沿わなかった」とプレッシャーをかけたというのです。
匡衡は困りました。彼の意に沿う文章を書くにはどうしたらよいのだろう……。そこで妻(赤染衛門)に相談すると、「公任様はプライドの高いお方。ご先祖の身分は高いのにご本人は不遇でおつらいのです。それを必ず書くべきです」と答えました。
匡衡は膝を打ち、公任の哀感を盛り込んだ文章をしたためたところ、公任は満足し、提出すると天皇の心をも打ったというのです(藤原清輔『袋草紙』上)。匡衡作のこの辞表は平安時代の日本漢文の名作として、当時の模範とすべき文章を編纂した『本朝文粋』に収められ、今も伝えられています。
公任は政治の世界に生きるだけでなく、文芸を介したネットワークを持つ人物でした。引きこもり中には、播磨(現在の兵庫県南西部)の圓教寺の高僧・性空上人を訪ねてもいました。多様な世界を持つことが公任を支え、権力者・道長とはまた違う、和歌、漢文、儀式作法といった学芸の面で彼を大成させたのです。
作品本文:『公任集』(風間書房 私家集全釈叢書『公任集全釈』)
京都先端科学大学人文学部歴史文化学科教授。平安文学研究者。紫式部とその作品、また時代背景を研究している。1960年、石川県金沢市生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科修了。博士(人間・環境学)。2007年、『源氏物語の時代 一条天皇と后たちのものがたり』でサントリー学芸賞受賞。2015年、『平安人(へいあんびと)の心で「源氏物語」を読む』で古代歴史文化賞受賞。著書は受賞作のほか、『紫式部ひとり語り』(2020年)など多数。近著に『道長ものがたり』(2023年)。