試行錯誤の末、まひろ(紫式部)がいよいよ本格的な作家活動を始動させました。ただ、生まれたてのその物語(『源氏物語』)の詳細については、約900年間研究されてきた現在でも謎が多く、じつは未解明なことだらけです。

『紫式部日記』によれば、中宮彰子に仕えて5年を経た寛弘かんこう7年(1010)の段階でも、紫式部自身、この作品を便宜上「源氏の物語」と呼んでいるだけで、正式な題名は分かっていません。

まき」または「じょう」と呼ばれる、短編の連作という形で書き進められたことは確かでしょう。ちなみに「巻」や「帖」は書物を数えるときの単位で、巻は巻物まきもの、帖は冊子本に使います。ただ『源氏物語』については、巻物、冊子本にかかわらず「巻」「帖」両方使われています。

現在の『源氏物語』は54巻ですが、60巻あったとの古説があります。また巻の順序も、主人公・光源氏の誕生前から12歳までを描く「桐壺きりつぼ」を第1巻、青春期の17歳からを描く「ははき」を第2巻と、現在は時系列に沿って並べていますが、この順で制作されたかどうかは分かりません。

実際、主人公が恋の冒険を始める「帚木」から書き始めたとの説があるほか、長編物語としての伏線がいくつも張られた「わかむらさき」から制作されたとの説も有力です。

そうしたなかで、ドラマのまひろは「桐壺」から書き始めました。また当初からみかどに読まれることを想定して創作にとりかかっていましたね。

『紫式部日記』には、中宮彰子をはじめいちじょう天皇やふじわらの道長みちなが、藤原公任きんとうも読者だったと記されています。ドラマではその事実にりつつ、時代背景と絡めて「源氏の物語」誕生の謎を解き明かすことに挑戦しているのです。

そもそも、『源氏物語』以前から物語作品は数多く創作されていました。が、それらの内容は童話のようでわいなく、大人の女性読者から「非現実的で読みごたえがない」という声も出ていました。

そういう意味で、『源氏物語』が天皇など大人の男性の人気をも得たことは文学史上画期的なことであり、この物語が革新的な作品だったことを示しています。

その革新的な性格は、「桐壺」の書き出しに早くも現れています。『竹取物語』など、それまでの物語は「今は昔」や「昔」という決まり文句で始められていました。それは現代にまで受け継がれて、「桃太郎」などのおとぎ話は「昔々」で始まりますね。

しかし『源氏物語』はそれを踏襲せず、こう書き出しています。

いづれのおほんときにか、にょうこうあまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなききはにはあらぬが、すぐれてときめきたまふ、ありけり。

いつの帝の御代だったでしょう。女御や更衣など多くのこうが居並ぶ中に、そう高貴な家柄ではなくて、帝のごちょうあいを独占した方がいました。

(『源氏物語』「桐壺」)

冒頭は「いつの時代だったか……」。曖昧あいまいではありますが、おとぎ話ではない史実を記すときの表現です。舞台も多くの后妃たちが帝の愛情を争う後宮で、当時の摂関政治の実情そのものです。そこに登場するのは帝。一人の女性(きりつぼのこう)に、彼女の家柄にそぐわない激しい愛をそそぎます。

さて、このお話に既視感はありませんか?

「桐壺」を読み進むと、帝の行動が周囲の混乱をまねき、寵愛を独占した女性は迫害されたあげく、皇子みこのこしたまま若くして亡くなり、帝は悲嘆に暮れることになります。

これは、一条天皇と定子の愛の物語そのものではありませんか。定子は家が没落し、出家して確固たるきさきの地位を失いながらも天皇の寵愛を独占しました。また迫害を受け、皇子を遺して世を去りました。一条天皇が悲嘆に暮れたのも同じです。

物語は、時代を曖昧にしつつ史実を記しているとみてよいでしょう。この手法は、紫式部が愛好した漢文学、なかでも白楽天はくらくてんはくきょ)の記した長大な恋愛叙事詩「ちょうごん」と同じものです。

「長恨歌」は「漢皇かんこういろを重んじ」で始まり、時代を古代中国の漢のこととしています。が、内容は白楽天が生きた唐代の皇帝・玄宗げんそうよう貴妃きひの悲恋です。

皇帝は妃との愛にのめりこみ、政治をおろそかにして内乱が勃発ぼっぱつ、妃は周囲に責められ死に追い込まれる――これらは史実そのものです。遠い昔の出来事に加工しつつ、そう遠くない過去の史実を記す。「長恨歌」はその手本なのです。

紫式部は、中国の有名な悲恋物語に取材していることを明かすように、「桐壺」で楊貴妃の名を挙げてもいます。ただ紫式部が取り入れたのは、創作の手法だけではなかったでしょう。

白楽天は「長恨歌」で、政治と愛の板挟みとなった皇帝の悲劇を描きました。玄宗皇帝と楊貴妃の悲恋は、一条天皇と定子のそれに重なります。紫式部も同様に、物語の形を借りて、愛にのめり込み傷つく生身の人間としての天皇の姿を描こうとしたのではないでしょうか。

中国と日本の史実が、それぞれの国で人間の真実を見つめる名作を生んだと言えるでしょう。

 

作品本文:『源氏物語』(岩波書店 新日本古典文学大系)

       「長恨歌」(明治書院 新釈漢文大系『白氏文集』)

京都先端科学大学人文学部歴史文化学科教授。平安文学研究者。紫式部とその作品、また時代背景を研究している。1960年、石川県金沢市生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科修了。博士(人間・環境学)。2007年、『源氏物語の時代 一条天皇と后たちのものがたり』でサントリー学芸賞受賞。2015年、『平安人(へいあんびと)の心で「源氏物語」を読む』で古代歴史文化賞受賞。著書は受賞作のほか、『紫式部ひとり語り』(2020年)など多数。近著に『道長ものがたり』(2023年)。