第16回、(ちゅう)(ぐう)定子の華やかな後宮で、定子の(にょう)(ぼう)(主人を知的・美的に支える上級侍女)となり「清少納言」を名乗ることになったききょうは、早くも才覚を炸裂(さくれつ)させていましたね。ドラマにも取り上げられた「(こう)()(ほう)の雪」をめぐる清少納言の機知は、教科書にもしばしば登場するなど、よく知られたエピソードです。

雪のいと高う降りたるを、例ならず()(こう)()まゐりて、()(びつ)に火おこして、物語などしてあつまりさぶらふに、(せう)()(ごん)よ、(かう)()(ほう)の雪いかならむ」と(おお)せらるれば、御格子あげさせて、()()を高く上げたれば、笑はせたまふ。

雪がずいぶん高く積もって風流だというのに、女房たちがいつもとは違って御格子(雨戸)を下ろし、火鉢に火をおこしておしゃべりなどに興じていたときのこと。
中宮様が「少納言よ、香炉峰の雪はどんなかしら」と仰せになった。そこで私が御格子を上げさせ、御簾を自分の手で高く上げると、中宮様はにっこりと笑ってくださった。

(『枕草子』「雪のいと高う降りたるを、例ならず御格子まゐりて」)

ドラマにあったように、「香炉峰の雪」とは唐の詩人・白楽天(はくらくてん)白居(はくきょ)())の詩の一節で、原文には「香爐峰雪撥簾看(香炉峰の雪は(すだれ)(かか)げて()る)」とあります。定子はこの漢文を引用して清少納言に問いかけたのです。

――漢詩文の()(よう)を持つ女性が珍しいなか、教養ある定子は清少納言の知識のほどを試した。すると清少納言も白楽天の詩を知っていたので、詩のとおりに御簾を上げて見せた。定子は彼女の知性を喜び、清少納言は皆の称賛を浴びた――

この場面は、上記のように説明されることがあります。そうだとすると、『枕草子』の作者である清少納言は、自分の知識の豊かさを自慢していることになります。()められて鼻高々な様子を「いけ好かない人」と感じる方がいらっしゃるかもしれません。

しかし、じつは『枕草子』にはそうは書かれていません。

人々も、「さることは知り、歌などにさへ歌へど、思ひこそ寄らざりつれ。なほこの宮の人にはさべきなめり」と言ふ。

その場にいた同僚女房たちも
「『香炉峰の雪』が白楽天の詩とは知っているし、歌にまで歌っているくらいだわ。でも、清少納言のようにしようとは思い付きもしなかった。やはり、この中宮さまの女房としてお仕えする人は、ああでないとね」
と言ってくれた。

(同上)

定子に仕える女房たちは、誰もが「香炉峰の雪」の意味を知っていました。彼女たちにとって白楽天の詩は言わば常識だったのです。しかも「歌にまで歌っている」とも言っています。

白楽天は中国でも大人気の詩人で、詩にしばしば曲を付けて歌われていましたから、それを真似まねしていたのかもしれません。定子のまわりには教養ある女房たちが集められていたのです。

そんななかで、清少納言が定子からも同僚からも褒められたのは、漢詩の知識だけが理由ではありませんでした。御簾を上げて定子に雪を見せた機転が評価されたのです。

元の詩の中で、白楽天は香炉峰の(ふもと)(いおり)を編み、室内の暖かい(とこ)の中にいて、峰の雪景色を見ていました。定子がこの詩の言葉で問いかけたとき、清少納言はピンと来たのです。「定子様は『白楽天のように雪が見たい』とおっしゃっている」と。だから、定子は思いが通じたことを喜んで、にっこりと笑ったのです。

じつは、清少納言は白楽天の詩をそのまま真似ただけではありませんでした。「香炉峰の雪は簾を撥げて看る」の本来の意味は、「香炉峰の雪は簾を()ね上げて見る」ということ。白楽天は窓の“ブラインド”の(すそ)をぽんとはじいて、隙間からちらっと外を見たのです。これは、彼が窓際の床に寝そべっていたからできたことです。

でも、定子は御簾から離れた室内の奥にいました。詩句のように御簾を“撥げて”定子に雪を見せることはできません。それで清少納言は、御簾を高く巻き上げました。元の詩とは違ってもよい。ゴールは定子様に雪を見せること。定子様のお求めに(かな)うこと。清少納言の思いがはっきりと分かったので、定子も笑い、同僚たちも感心したのです。

「定子様に仕える女房は教養があるだけではだめ。何よりも定子様のお気持ちを考えられないと……」。教養は持つものではなく使うもの。場によって応用できるからこそ素晴らしい、ということです。

このように知識を場に即応して()かすことを「(とう)()(そく)(みょう)」と言い、これこそが定子のサロンでもっとも重要視されたことでした。『枕草子』には、清少納言が難題に応えて当意即妙を発揮する場面がいくつもあります。そのたびに清少納言は緊張し、ハラハラしながら自分なりに頑張り、うまくいって定子に褒められたときには心から(あん)()します。

ドラマでも、ききょう(清少納言)は「中宮様の御問いかけにお答えでき、ほっといたしました。いつもこのようにまいるかどうかは分かりませぬが」と言っていました。清少納言はつねに知的な緊張感をもって定子に仕えていたのです。

 

引用本文:『枕草子』(小学館 新編日本古典文学全集)

京都先端科学大学人文学部歴史文化学科教授。平安文学研究者。紫式部とその作品、また時代背景を研究している。1960年、石川県金沢市生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科修了。博士(人間・環境学)。2007年、『源氏物語の時代 一条天皇と后たちのものがたり』でサントリー学芸賞受賞。2015年、『平安人(へいあんびと)の心で「源氏物語」を読む』で古代歴史文化賞受賞。著書は受賞作のほか、『紫式部ひとり語り』(2020年)など多数。近著に『道長ものがたり』(2023年)。