ネットが全盛になった今でも、テレビの大切な役割は、世代を超えて「記憶」を伝えていくことかと思う。
「アナザーストーリーズ 運命の分岐点」、『戦後最大のヒーロー 力道山 知られざる真実』(NHK総合 6月17日放送)を見て、そのことを改めて実感した。
テレビの創成期に日本中を熱狂させた、まさに伝説のヒーロー、力道山について、改めて学ぶ貴重な機会がそこにはあった。私は、脳科学者として、「年齢」には縛られない生き方が一番良いと思っている。自分も他人も、何歳かということで判断する「エイジズム」は良くない。
一方で、「世代」というものは間違いなくあると思う。つまりはその人が何歳のときに、どのような経験をして、何をつかんだか、時代の流れとともに変わるのは当然である。
番組では、1954年、日本初のプロレスの国際試合として、シャープ兄弟と力道山、木村政彦のタッグの熱い闘いを見ようと「街頭テレビ」の前に人々が集まる白熱の場面が紹介される。
また、日本テレビの創業者、正力松太郎さんが当時まだ普及していなかったテレビを一般に認知させる「起爆剤」としてプロレス中継に注目していたことを伝える。
力道山の次男の百田光雄さんや、フリーアナウンサーの徳光和夫さんらの証言を交え、力道山がスターとして輝き、人々の心が白熱していった時代の息吹を感じさせる、あっという間の45分間だった。
1962年10月生まれの私には、力道山のプロレスを伝える街頭テレビに人々が熱狂していた時代の記憶は、当然のことながらない。ただ、物心ついた頃から、折にふれ、「ほんの少し前」にそんなことがあったということは察知していた。
そして、力道山の記憶に少し遅れてきた私がふれる上では、テレビの役割は大きかったように思う。子どもの頃、番組の中で力道山の街頭テレビの様子が報じられて、それを見ている周囲の大人の反応を見たりすることで、間接的にかつての時代の息吹が自分にも伝わってきた。
今日では、「お茶の間」自体が消滅し始めているし、一つのテレビ画面を家族がそろって見るという光景も少なくなった。昨年の東京オリンピックでさえ、周囲では、「うちの子どもたちは見ていませんでした」という声がある。
力道山の街頭テレビの光景が私たちの心を動かすのは、そこに、人間にとっての「体験を分かち合う」、「時代を共有する」ことの可能性、意義が濃縮されたかたちで示されているからだろう。時は流れ、それぞれがスマートフォンの画面を見つめる現代。テレビの役割は、公共放送の意味は、どこにいくのだろう。
番組広報ページにある平田潤子ディレクターの言葉によると(https://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=34571)、力道山の祖国のことをまとまった形で紹介するのは、NHKでは今回が初めてのことだったという。そのような点を含めて、強く印象に残る、意義深い番組だった。
インターネット時代に、お茶の間でみんながテレビを見ていた風景が、ましてや街頭テレビの熱狂が今後戻ってくると考えることは難しい。しかし、今回のような深く心に響く番組が一つひとつ重なることで、経験を共有し、時代の精神を支えるというテレビの、そして公共放送のこれからのかたちが、少しずつ見つかっていくのではないかと思う。
1962年、東京生まれ。東京大学理学部、法学部卒業後、同大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経て、「クオリア」(感覚の持つ質感)をキーワードとして脳と心の関係を研究。文芸評論、美術評論などにも取り組む。NHKでは、〈プロフェッショナル 仕事の流儀〉キャスターほか、多くの番組に出演。