
「尽果」という地には、人生を終わらせたい人がなぜか辿り着いてしまう。文字通り「命尽き果てる」と連想するせいか。その地の海辺、崖の上にポツンと建つ平屋建て。どうやら食堂のようだ。店の名前は「まぐだら屋」。生きることに絶望した人、罪悪感や自責の念を抱えた人が行き倒れては、この店の女性に救われる。彼女は通称・マリア。自身もどうやらワケアリの様子……。
主演は尾野真千子と藤原季節。共演は坂東龍汰、と技巧派の成長株を揃え、無表情の迫力がアジア随一の名優・岩下志麻も出演するという。もうだいぶ前から期待して、いまかいまかと待っとりました。前編・後編で約3時間、ちょいと長めの映画級だが、緩急つけたヤマ場を考えると、2回に分けて正解。ちょうどええ。
NHK好きな友人と共有したいが、彼奴はBSP4KどころかBSも観られない環境なので、一刻も早く総合で放送しておくれ(中の人に届きますように……)。観ていない人のほうが多そうなので、物語にどこまで触れるかが悩みどころではあるが、役者陣の魅力をチラ見せしておこう。
すべてを捨てて、贖罪に生きる女の包容力

真千子が演じたマリアは、若かりし頃の罪を贖おうと10年前、尽果にやってきた。自身にも命を絶とうとした凄絶な過去があるため、尽果にやってきた人々の心にそっと寄り添うことができる。温かく包み込むように人と接するマリアを、真千子が穏やかに体現。そうそう、この声、この感じ。「虎に翼」のナレーションで、ヒロインの多彩な感情乱高下や複雑な場面背景を声だけで見事に表現した真千子節を思い出したわ。
後編で明らかになるのだが、だらしない母親(こういう爛れた役を完璧にこなす馬渕英里何)とクズ継父(珍しく鬼畜役の六角慎司)、不幸とも不遇とも不運とも言える家庭環境に育ち、マリアは悲劇の渦中に放り込まれる(高校生時代を演じたのは新人・川口真奈)。若くしてとてつもなく大きな傷を負ったマリアの心情風景は、尽果の冬の海辺と重なっていく。
死をもって償うことは過ちと悟る青年

一度は死を考えたが、マリアに救われて、まぐだら屋を手伝うことになるのが、藤原季節が演じる及川紫紋。母ひとり子ひとりで育ち、親孝行がしたくて、東京の有名な老舗料亭に就職。料理人として修業していたが、あろうことか料亭の板場で食材の産地偽装や賞味期限偽装などが発覚。店の不正を知っていた同僚・浅川悠太(坂東龍汰)のSOSに気づくことができなかった紫紋は、深く自責の念に追い込まれる。劇中、絶望から再生していく主要人物のひとりだ。

藤原は数多くの映画に出演し、荒くれたり、やさぐれたり、ふがいない役の印象も強いが、NHKの“静かな”ドラマと案外相性がいい。甲本雅裕が主演した「猫探偵の事件簿」(2018年)は、実在の猫探偵・藤原博史氏をモデルにしたドラマで、若き日の藤原氏を藤原が演じた。世間体より自由と自分らしさと好奇心を追求するヤング藤原を瑞々しく演じていた記憶がある。
また、「海の見える理髪店」(2022年)は、過去に過ちを犯した理髪師と一人の客が散髪している時間に過去と対峙する物語だ。理髪師を柄本明が、そして結婚間近の若い客を藤原が演じた。静かなる舞台、表情で魅せた複雑な感情、舞台のようなドラマだった。そして、杉咲花主演「プリズム」(2022年)では、父親が押し付けてくる「普通」に苦しめられる男性の役。単純な恋の話ではなく、パートナーシップを築く難しさを描く設定で、藤原は森山未來とともに大手を振れない恋の行方を担った。密かな名作。そういえば栄作。吉田栄作も杉咲花の父役で出ていたな。
そんな藤原が本作で見せたのは、懺悔。悔いても悔いても悔いきれない感情描写。そして、食べることで「生きている」のを実感するリアクション。真面目で律儀、嘘をつけない青年役は熱を帯びすぎちゃうと途端に嘘くさくなるが、その温度調節が絶妙だったと思う。
悲劇と蘇生をひとり二役で演じた

最もトリッキーな役だったのは坂東龍汰だ。浅川悠太と丸狐貴洋、まったく異なる青年をひとりで演じ分けた。それぞれの背景をしっかり見せつつ、衝撃的な場面もまるで一編の詩のように魅せてくれた。心奪われるシーンにはどんでん返しも用意されており、前編と後編それぞれに見せ場がある。

坂東は昨年のドラマ「ライオンの隠れ家」(TBS系)で、自閉スペクトラム症の画家を演じて話題になった俳優だ。それまでも数多くのドラマに出演し、サブキャラとしてキャリアを築いてきたのだが、ハンディキャップのある役にここまで真摯に向き合って体現した俳優は数えるほどしかいないと思っている。この小森美路人役はまさしく名演だった。本作でも彼の器用さを改めて目の当たりにできるはず。

一方、最初から不穏な怒りを露わにする女性がひとり。岩下志麻が演じる桐江怜子だ。尽果の名家で、実はまぐだら屋のオーナーだという。病床についているが、あからさまにマリアを毛嫌いし、「去ね! 去ね!」と悪態をつく。岩下の威厳と、北陸か山陰かわからないが不思議な方言があいまって、謎のオーナーという空気感を完成させていた。
岩下といえば、映画女優。昭和後期世代は間違いなくアレですね。妻と書いてオンナと読む、『極道の妻たち』シリーズを思い出すでしょ。細身で小柄なのになぜこんなにも迫力が出るのか。また『この子の七つのお祝いに』も名作なので、また改めて観ておきたいところだ。テレビドラマは寡作の人だが、ここ数年では「ドクターX」や「七人の秘書」(テレビ朝日系)に出演。女の貫禄と迫力を作品に添えてくれる。本作でも、岩下の慟哭はちょっと鳥肌が立つので必見。
名前にあまり引きずられないほうがいいかも

さて。役名を見る限り、マリア、シモン、マルコ……キリスト教の歴史に精通している人でなくても、おや? と思ってしまう。そして、紫紋が働いていた料亭の料理長の名前は湯田真(演じるのは近藤公園)、後編で登場する元教師は与羽誠一(斉藤陽一郎)。ユダにヨハネも出てきちゃう! でもあまり名前に引きずられないほうがいい。それよりも罪を犯した人はどう償うべきかという主題をどう考えるか、に集中してほしい。副題は「悲しき母」ではないかと個人的には思っている。
以前は、民放でも2時間モノのサスペンスドラマが量産されていたのに、今はほとんど作られなくなった。あっても、なぜか偉人や先人の功績を称えるような作品やイベント絡みの宣伝作品ばかりでね。風光明媚な土地でひも解く愛憎絡まる悲しき罪、みたいな舞台が消滅しちゃったのよね。そんな昭和の質感を懐かしむことができる人には、「まぐだら屋のマリア」、しっくりくると思う。
「お腹減ってるでしょ。何か食べる?」
全てを失い、人生の終わりの地を求めてさまよう料理人・及川紫紋(藤原季節)が辿り着いたのは、首に傷を持つ謎めいた女性・有馬りあ(尾野真千子)が切り盛りする定食店。「まぐだら屋」という屋号のその店は崖の上に佇む小さな食堂だった。
物語の舞台は、「尽果」という架空の町。尽果にはなぜか命の消えかけた者が辿り着く。死のうとしているのか、生きようとしているのか……。自らを追い詰め自死を覚悟した男・紫紋もその一人だった。けれど、彼は「まぐだら屋」で働くりあ(通称・マリア)と彼女の作る料理にめぐり会うことで“無償の愛”に救済され“生き直す勇気”を培っていく。
このドラマは、原田マハ氏が原作で描いている、罪を負った者たちの「業と贖罪と再生」をベースに“命の重さ”を描く。ひとつの命の火が消える、ということを重く捉え、“命のかけがえなさ”という、当たり前だけど現代において忘れられがちなテーマを丁寧に紡ぐ感動のヒューマンストーリー。
ライター・コラムニスト・イラストレーター
1972年生まれ。千葉県船橋市出身。法政大学法学部政治学科卒業。健康誌や女性誌の編集を経て、2001年よりフリーランスライターに。週刊新潮、東京新聞、プレジデントオンライン、kufuraなどで主にテレビコラムを連載・寄稿。NHKの「ドキュメント72時間」の番組紹介イラストコラム「読む72時間」(旧TwitterのX)や、「聴く72時間」(Spotify)を担当。著書に『くさらないイケメン図鑑』、『産まないことは「逃げ」ですか?』『親の介護をしないとダメですか?』、『ふがいないきょうだいに困ってる』など。テレビは1台、ハードディスク2台(全録)、BSも含めて毎クールのドラマを偏執的に視聴している。