
認知症の家族がいると心配は尽きない。何度同じことを言っても通じないもどかしさ、突然沸きおこる感情の乱高下に振り回されて、疲弊することも多い。ただ、自分が認知症になったら、と想像すると、相当切ないものがある。自分の行動にまったく記憶がなく、思っていることと周囲の言うことが異なる。自分が自分でなくなっていく哀しさと歯がゆさ。介護には想像力が必要、と思ったりもする。
日々介護で疲弊している人にそんな余裕はないかもしれないが、「認知症になった人の目線」で描く作品に触れることもおすすめしたい。例えば、アンソニー・ホプキンス主演の映画『ファーザー』。一人暮らしの父親を心配した娘(オリヴィア・コールマン)がヘルパーを頼むも、気難しいことと認知症の進行でうまく折り合いがつかない。娘は疲労困憊だが、父親にしてみれば、見ず知らずの他人が家の中にいる恐怖や戸惑いの連続でもある。
永井みみの小説『ミシンと金魚』(集英社)ではカケイさんという認知症の女性が主人公。一人称で語る日常にはカケイさんの心模様が言語化されている。カケイさんは心の中では冗舌、世の中をシニカルに観察している。認知症だからといって何も考えていないと思ったら大間違い。現在と過去を行き来しながら、記憶の旅を日々繰り返しているのだ。

前置きが長くなったが、同様の目線で描かれたのが「憶えのない殺人」だ。長年駐在所に勤務し、町の住民に慕われてきた元警察官の主人公が認知症になり、殺人事件の容疑者として疑われるという、想像するだけで恐ろしい展開だ。
この元警察官・佐治英雄を演じるのは小林薫。駐在生活を長年支えてくれた妻・鮎子(筒井真理子)は亡くなり、一人娘の花澄(中越典子)は人道支援の仕事で海外在住。佐治がひとり住まいの家に、ある日刑事二人組が訪ねてくるところから物語は始まる。北嶺亜弓(尾野真千子)と稲岡勇也(松澤匠)が近所で起きた殺人事件の聞き込みにやってきたのだ。
穏やかな日常が崩れていく恐怖
実は、佐治は日常生活に支障をきたし始めている。スーパーのレジで支払いに手間取って、後ろに行列を作ってしまうのは仕方ないとしても、無意識のうちに昔勤めていた駐在所(今は統合されて使われていない)に行ってしまう。映像は佐治の脳内の記憶だ。
妻が作った3人分の食事が並べてある。妻や娘に話しかけるが、返事はない。トイレのドアになぜか「使用禁止」の張り紙があり、不安になった佐治は外へ飛び出す。実際には食卓も家族も存在せず、元駐在所は消防団が倉庫代わりに雑然と使っている状態。佐治は過去と現在が混乱していることに気づき、呆然と立ち尽くす。

その様子に気づいた脳神経外科医の楢崎康英(橋本じゅん)が検査に誘い、佐治に認知症の疑いがあると伝える。ショックを受け、亡き妻の写真に語りかける佐治。「お前の生き方のほうが正解だ。生きて誰かに迷惑かけずに済む」
認知症の不安、しかもそれ自体を忘れてしまう切なさを小林薫が目の表情の変化で魅せる。時間の感覚を失って虚ろな表情から、はたと現実に戻ったときの焦燥感と不安。さらに、佐治を追い詰める事実が発覚する。
記憶にない深夜の外出、買った覚えのない大量の電池……
殺人事件の犯行推定時刻の深夜、コンビニの防犯カメラに佐治の姿が映っていたことが判明。しかも、佐治は被害者の桧沢肇(西村和泉)を現役時代に逮捕したことがある。桧沢は町に住む地下アイドル・奥田沙苗(鞘師里保)につきまとうストーカーで、執拗な嫌がらせを繰り返していた。出所しても更生しない桧沢を佐治が懸念していたこともあり、犯行動機も十分にある。

北嶺は佐治を重要参考人として聴取するも、深夜の外出など記憶がない上に殺人容疑をかけられた佐治は激昂。認知症の疑いだけでなく、殺人の疑いまでかけられた佐治の心中や、いかに。タイトル通り「憶えのない殺人」でぞっとする展開だ。
容疑をかけられた佐治は憤慨するも、戸棚の奥から大量の電池が出てきて愕然とする。同じものを大量に買ってしまうのは認知症の兆し。コンビニへ自分で確かめに行くと、店員から「いつも深夜に電池を大量に買っていた」と言われて混乱する。コンビニ店員が仕組んだと激しく言いがかりをつけ(被害妄想)、コンビニの女性客を奥田沙苗と見間違えて(幻覚)、騒動を起こした末に通報されてしまう。もう切ないのよ、認知症の症状が次々と重なっていくこのあたりが。
刑事としての焦り、人としての逡巡

不安が憤りと絶望に変わっていく佐治の目線で物語は展開していくが、刑事の北嶺の心模様も描かれる。事件をさっさと解決して、定時に娘を保育園にお迎えに行きたい母心もあるが、佐治が嘘をついているようには見えない、刑事の勘もある。
善良で正義感あふれる元警察官を疑わざるをえない状況で、焦る北嶺。解決を急ぐあまり、認知症の人に対する決めつけや思い込みも口に出してしまう。
ただし、佐治の状態を知る脳神経外科医の楢崎の言葉に、逡巡が生まれる。「認知症の人間にだって理性はある。感情もある。尊厳だって持っている。あなたがた警察が『どうせ憶えていないんでしょ』と(佐治に)罪をなすりつけるとしたら、人権問題ですよ!」
北嶺は、自分の祖母が認知症でなぜか夜中に徘徊して、いつも商店街へ行ってしまうことを思い出した。楢崎は問う。「その理由を聞きましたか? きっと素敵な理由があったと思いますよ」。たとえ善良な元警察官でも、認知症で正義感だけが暴走して罪を犯す可能性もあると考えていた北嶺だが、祖母の話を母に確かめてわかったことがある。自分は認知症の人に対する理解と想像力がなかった、と。
結局、この殺人事件は急転直下の様相で解決に至る。北嶺の祖母のエピソードも含めて、物事はあらゆる角度から見つめることが肝要、と思わせる運びだった。
オノマチデカの魅力は「苦境からの成長」

人を疑うのが仕事の刑事としては間違ってはいないが、さらに必要なのは人としての想像力。介護にも通ずるこの主題を、尾野真千子が丁寧に体現。年齢を重ねた深みも見せつつ、成長を遂げていく刑事を見せてくれた。
過去をふりかえってみると、尾野が刑事役を演じる作品はそう多くない。どちらかと言えば罪を犯す側のほうが多いかも。それでも、苛酷な環境下で「強くたくましく成長していく女刑事」という点は共通している。
「外事警察」(2009年・NHK)では、所轄から突然公安部外事4課に配属され、過酷な国際テロ捜査に加わることになった刑事役。非道かつ非情な手段も厭わない主人公(渡部篤郎)に翻弄され、不信や疑問を抱きながらも、特殊な任務に携わる矜持を会得していく。
また、スペシャルドラマ「狙撃」(2016年・テレ朝)で演じた刑事は、エリートキャリア官僚の上司(佐藤浩市)によって、理不尽な配置転換や人権無視の捜査を命令される。ブレーキを踏まない猪突猛進タイプだったが、警察組織の大きな闇に踏み込んだがために喪失と敗北を経験。それでも正義感を胸に、再び巨悪に立ち向かうという役どころだった。
篤郎に振り回され、浩市に鍛えられ、今回は薫に学ぶ。観終えた後、「この女は絶対いい刑事になる」と確信させる、それがオノマチデカの特長と再確認できた。
ということで、本作はシンプルな警察モノでもあるが、「認知症の人が見ている世界」を知り、想像力の重要性を体感するドラマでもあった。小林薫&尾野真千子といえば「カーネーション」の父娘役、そこに思い入れのある人も、まったく別の角度だが志は同じふたりの姿を堪能してほしい。
ライター・コラムニスト・イラストレーター
1972年生まれ。千葉県船橋市出身。法政大学法学部政治学科卒業。健康誌や女性誌の編集を経て、2001年よりフリーランスライターに。週刊新潮、東京新聞、プレジデントオンライン、kufuraなどで主にテレビコラムを連載・寄稿。NHKの「ドキュメント72時間」の番組紹介イラストコラム「読む72時間」(旧TwitterのX)や、「聴く72時間」(Spotify)を担当。著書に『くさらないイケメン図鑑』、『産まないことは「逃げ」ですか?』『親の介護をしないとダメですか?』、『ふがいないきょうだいに困ってる』など。テレビは1台、ハードディスク2台(全録)、BSも含めて毎クールのドラマを偏執的に視聴している。