一時期、プリン作りにハマった。店全体が茶色い喫茶店で出すような固めのプリン。友人が家に来るたびに作っては、失敗作を強制的に食べさせた。カラメルがうまくいくまで12回くらい作り、なんとなくコツは掴めたが、何度やっても、すが入る。
その後10回くらい作って、飽きてしまった(卵も値上がりしたし)。お菓子作りは完璧主義者のほうが向いていると痛感。計量、温度、加熱時間、焼き菓子ならなおのこと、繊細さと根本的なセンスも問われる。ええ、私は無理でした。
だから、「バニラな毎日」で蓮佛美沙子が演じるパティシエ・白井葵はものすごくしっくりきた。良質な素材とデザインにこだわり、妥協を許さず、すべてに完璧を求める。他人に厳しい以上に自分に厳しい。パティシエは「ま、いっか」「こんなもんか」という大雑把な人には向かないだろうな、と思っていたから。
正反対の性質の女性が起こす化学反応
店舗デザインや厨房器具にこだわって、葵が自らたちあげた洋菓子店「パティスリー・ベル・ブランシュ」は経営難で閉店。数百万の借金を背負い、アルバイトをかけもちして月12万円の返済に追われるところから物語は始まる。完璧に揃えた厨房と店舗は手放し難く、居抜きで借りてくれる人が見つかるまで家賃を払い続けている。
もうこの時点で頑固で職人気質の完璧主義者とわかるし、息苦しさというか生きづらさも伝わってくる。寝る間も惜しんで、人生のすべてを洋菓子にかけてきた葵を、線の細い蓮佛が体現。「もうちょっと肩の力を抜いたほうが生きやすいよ」と思わず声をかけたくなるような脆さと危うさも滲み出ている。そう、ここが重要。繊細な洋菓子を作れる一流のパティシエだが、余裕も余白も一切ない生活を送っているわけだ。
そこで登場するのが、料理研究家・佐渡谷真奈美。なんだか馴れ馴れしいおばちゃんで、葵の厨房を貸してほしいと声をかけてくる。お菓子教室で使いたいというのだ。わかりやすく大阪のおばちゃんなのだが、演じるのが永作博美なので、なんだか可愛らしくて憎めない。
料理愛好家の平野レミほどの豪快さや大雑把さや面白さはないが、寛容でええかげん。いいかげんではなく、ええかげん、ね。有無を言わせぬ図々しさもあるが、ほんわり包み込むような温かみもある。童顔の永作の持ち味が存分に活かされていると思う。
佐渡谷はお菓子を作りたいと言うクライアントをひとりずつ連れてくる。クライアントだけでなく、頑なに心を閉じていた葵も巻きこんで、ほぐしていく。いや、結構な荒療治ではあるのだけれど。真逆の性質のふたりがタッグを組み、お菓子作りを通して、クライアントの抱える問題に向き合っていく。
週替わりのゲストが適役。失敗を恐れる土居志央梨
何がいいかというと、クライアントの心をほぐしたり、問題と向き合ったりはするけれど、「ズバッと解決!」とか「ふたりにおまかせ!」とか、そういうことではない。正直、ふたりはお菓子作りしか教えていない。しかも、クライアントにブチ切れられたり、面と向かって傷つけられたりもする。
第1週は土居志央梨が演じる順子。フルーツタルトを作りたいとやってくる。東大卒でもとは経産省官僚だったが、今は外資系コンサルだ。バリバリ仕事をこなしているように見えたのだが、実は仕事のストレスとプレッシャーで圧し潰されそうになり、休職中。心がフラジャイルな状態だったことがわかる。
フルーツタルトが思ったようにはうまく作れず、怒って出て行ってしまうも、再度依頼してくる順子。
葵と佐渡谷は、偶然の失敗から生まれたタルトタタンを提案。タルトタタンを作り、自らの問題に向き合った順子は、後日「今は少し復職をかんがえられるようになってます」と前向きな御礼メールを送ってきたのだった。
失敗しても自分を責めずに、いろいろなやり方でやり直せると示唆した佐渡谷。一方、葵は「恵まれた人だけの発想」と反発を覚え、嫉妬もちゃんと口にする。そこがリアルですごくいいと思った。世の中のストレスや悩みは、ドラマのようにご都合主義で万事解決とはいかないし、うまくいったとしてもそこに必ずハレーションは起こるもの。
そうそう、「虎に翼」でよねを演じた土居の本領発揮、男社会でもがく優秀な女性ならではの生きづらさを短い時間で表現しきっていたと思う。
「創造の苦悩と孤独」を抱える感性の人・木戸大聖
第2週は、一見チャラい金髪の青年・秋山静が生徒。実は人気バンドのボーカルで超有名人なのだが、葵はまったく知らない。秋山は恋愛体質で恋をしていないと曲が作れない、感覚が鈍るというが、これも葵はまったく理解できない。音楽や芸能関係に疎く、交際経験もなく、洋菓子ひとすじの人生だったからだ。
秋山の恋愛体質は、数多くのメンヘラ女子を製造してきたんだろうなと思わせる。そんな天衣無縫な秋山を演じるのは木戸大聖。ものすごい説得力がある。木戸は若手俳優の中でも邪気のなさがダントツだからだ。
これまでも、「First Love 初恋」(Netflix)で演じた一途な男子役、「海のはじまり」(フジ)で演じた主人公の異父弟役など、邪気も悪意も疑念も外連味もなく、純度の高い自然な笑顔を見せてくれたんだよね。演技としてもすごいし、素がそうだとしたらもっとすごい。
で、秋山は洋菓子の中でも難易度の高いオペラを作りたいというわけよ。
オペラとは、アーモンドパウダーを使ったビスキュイジョコンドという生地にコーヒー風味のシロップをしみこませたり、クリームを挟んだりして、テンパリング(温度調節)してツヤを出したチョコレートを均一にかける……そらまあ、手がかかるわけだ。
お手軽なブラウニー(混ぜて焼くだけ)で茶を濁そうにも、頑としてきかない秋山。代わりに、ザッハトルテ(あんずジャムを使った古典的なチョコレートケーキ)を提案する葵。見事なザッハトルテを協力して作り上げた3人。
夜ドラにしてはひりつく痛みが多め
ところが、秋山は葵に「なぜ店が潰れたかわかった。お菓子に対して情熱はあるが、愛を感じない」と言い放つ。「他人と深く関わるのを避けている。何でも自分ひとりでできるって信じていませんか? 僕と同じです」。
この爆弾発言に、葵は顔面蒼白になり、怒り爆発。佐渡谷はなんとか話を逸らそうとやんわり茶々を入れたり、おばちゃん力を振るうも虚しく、険悪な空気のままでお菓子教室は終了……。
ね? お菓子作りで万事解決、三本締めとはいかないのである。葵はクライアントに怒られたり、嫉妬したり、痛いところを突かれたりして、満身創痍にもなる。ヒロインの感情の揺れのふり幅が結構ジェットコースターで、夜ドラにしてはひりつく痛みを躊躇なく描いている。そこが長所であり、見どころでもある。
もちろん、険悪で終わったわけではない。葵が深夜にオペラを作っている姿を盗み見た秋山は感動し、葵にシンパシーを感じる。感性とこだわりの人間の孤独を共有するふたり。
そうそう、第7回の葵の心情描写の演出もよかった。お菓子に真摯に向き合い、一心不乱に頑張ってきたが、ふと気が付くと誰もいない無音の真っ白な世界。心の奥がシンと冷えるような、葵の孤独感と虚しさも伝わってきた。
バニラは、香りは甘いが味は苦い
バニラビーンズとかバニラエッセンスって、芳醇な甘い香りで人をうっとりさせるけれど、味は苦い。ハッキリ言ってまずい。というか、そのまま食べるものではない。「バニラな毎日」というタイトルは意外と奥が深かったと、第2週まで観て思った。毎週、幸福感満タンのスイーツ映像がそそるのだけれど、ドラマの中身は決して甘くない。後味はビターである。
今後のゲストも激しく気になっている。今週は名脇役の伊藤修子が登場。素っ頓狂一歩手前の甲高いが上品な声が特長的で、画面の中に姿を見つけるとつい注目してしまう役者だ。宮藤官九郎作品でもほぼレギュラーとして大活躍。今回はなぜか迷彩服だそうで、「芸人のやす子みたいな予備自衛官?」と勝手に妄想している。
また、昨年のドラマ「パーセント」で伊藤万理華と共演した和合由依も出演。車椅子の役者としてさらなる活躍を期待していたので、今回の役も楽しみだ。
いや、ゲストだけじゃないな。葵の自ら孤独を作り出す頑固さの源も気になる。どうやら母親(谷村美月・筒井真理子)との関係に起因していそうだ。そういえば、そもそも佐渡谷も謎の料理研究家やな。
家でも職場でもない、自分の役割をとっぱらった場所=サードプレイスが必要な人のために、お菓子作りを提案。姪っ子がカウンセラーということはわかったが、なぜマンツーマンのお菓子教室を始めたのか、背景はまだわかっていない。
本格的なスイーツの映像でうっとりしつつも、リアリティ バイツ(現実は厳しい)な設定の苦みと渋みではっと我に返る、そんな夜をお過ごしください。
ライター・コラムニスト・イラストレーター
1972年生まれ。千葉県船橋市出身。法政大学法学部政治学科卒業。健康誌や女性誌の編集を経て、2001年よりフリーランスライターに。週刊新潮、東京新聞、プレジデントオンライン、kufuraなどで主にテレビコラムを連載・寄稿。NHKの「ドキュメント72時間」の番組紹介イラストコラム「読む72時間」(旧TwitterのX)や、「聴く72時間」(Spotify)を担当。著書に『くさらないイケメン図鑑』、『産まないことは「逃げ」ですか?』『親の介護をしないとダメですか?』、『ふがいないきょうだいに困ってる』など。テレビは1台、ハードディスク2台(全録)、BSも含めて毎クールのドラマを偏執的に視聴している。
夜ドラ「バニラな毎日」(全8週/32回)
毎週月曜~木曜 総合 午後10:45~11:00ほか
NHK番組公式サイトはこちら(ステラnetを離れます)