村上隆さん(62歳)は日本の伝統的な絵画の表現とアニメや漫画などのオタク文化を融合した独自のアート作品で知られ、世界的に人気を集めています。今年京都で開催した大規模な個展も大好評のうちに閉幕。国内での展覧会はこれが最後になるという村上さんの作品制作への思い、芸術観を伺います。
聞き手/野村正育この記事は、月刊誌『ラジオ深夜便』2024年12月号(11/18発売)より抜粋して紹介しています。
工房だからできる表現
――村上さんのスタイルは、ご自身のアイデアをチームで制作するというやり方ですね。
村上 私は「絵画はチームワークで作るもの」だと言っています。でもこのやり方は「若い連中をこき使ってお前は何をやってる。手抜きだ」と批判されることも多いですね。
――けれどレオナルド・ダ・ヴィンチは工房という組織から出てきましたし、レンブラント*1も大きな工房を持っていました。
村上 絵画の歴史では画家が一人で描き切るスタイルは19世紀後半の印象派*2前後からです。一作家がゼロから積み上げる絵は確かに尊いですが、鑑賞する側の概念は固着してしまうのではないか。私はすべて一人の手による表現は、そろそろ時効ではないかと思うんです。
――確かに浮世絵も絵師・彫師・摺師がいて、それをプロデュースする版元がいる。集団作業で生み出す芸術ですね。
村上 私が標ぼうする芸術の在り方は、映画監督のジョージ・ルーカス工房や宮﨑駿さんのスタジオジブリ、手塚治虫さんの虫プロです。プロダクション体制で今まで見たことも聞いたこともないような絵や音、映像を作る。工房でないとできない表現をずっと目指してきました。
*1 1606〜69年。オランダの画家。光と影を操る技法で知られる。
*2 フランスで起こった芸術運動。印象主義。
「スーパーフラット」とは
――東京藝術大学で日本画を専攻、初の博士号を取得されながら、日本画の王道に進まなかったのはなぜですか。
村上 岡倉天心*3は明治時代に西洋画がどっと日本に入ってきたとき、芸術において日本人を日本人たらしめる支柱をなくすことを危惧し、日本画というジャンルを作りました。
私も博士号をいただくとき、「日本画とは何ぞや」と考えました。そして日本芸術の心棒を探ろうと和洋折衷の表現をしている。それを「スーパーフラット」と表現していますが、岡倉天心の遺志を継いでいるのは私だという自負はあります。
*3 1863〜1913年。明治期に美術運動家として活動し、近代における日本の伝統美術発展に寄与した。
むらかみ・たかし
1962(昭和37)年東京生まれ。 ʼ93(平成5)年東京藝術大学大学院修了。アーティスト・キュレーター・コレクター・映画監督として活躍。国内外の多くの個展を成功させ、海外でも高い評価を得ている。
※この記事は2024年8月7、8日放送「スーパーフラットはいま〜現代美術家・村上隆の挑戦〜」を再構成したものです。
現代美術の最前線で闘い続ける村上隆さん。「芸術の理解は高齢から」と語るその理由や、将来の展望についても話しています。お話の続きは月刊誌『ラジオ深夜便』12月号をご覧ください。
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