亡き皇后・さだ(高畑充希)を一心に愛していたが、『源氏物語』をきっかけに中宮ちゅうぐうあき(見上愛)へも目を向けるようになった一条いちじょう天皇。まひろ(吉高由里子)が物語の第二部に取りかかるなか、一条天皇はどんな思いで、彰子やまひろと向き合っていたのか。演じる塩野瑛久に話を聞いた。


定子が遺した言葉が一条天皇に深く刻み込まれ、彰子と向き合おうと思えた

——終盤になりましたが、一条天皇に変化はありますか?

母上(女院にょいんあき/吉田羊)に「私は操り人形でした」と告げる、ある意味母上と決別する経験をしてからは、自分自身と向き合い、まつりごと全体を見ていくマインドに変わったのかな、と感じています。あとは、『源氏物語』に没頭し、まひろに対して興味を持つシーンが多かったです。

そのなかで、彰子が本当は何を考えていたのかが分かるようになりました。一条自身も彰子がどんな人なのか探ってはいましたが、彰子のほうから「お慕いしております」と殻を破ってくれ、無償の愛、彼女の心遣いを感じたのがすごく大きかったと思います。

——彰子は『しん』を勉強したり、『源氏物語』の豪華本を作ったりしました。ご感想は?

それまでは彰子のことを探っても探りきれなかったので、驚きがいちばん大きかったですね。一条天皇に寄り添うため、さまざまなことを学んで少しでも教養を深めたいと思ってくれていたとは……。いちな思いが伝わってきました。

何よりも大きかったのは、定子との子・あつやす親王(片岡千之助)を、彰子が心の曇りなく一生懸命に支え、育ててくれたことです。その事実に対しては、絶対に無下むげにはできない、と思いました。

——定子への愛と彰子への愛とで、違いはありますか?

定子が最後に遺した「人の思いと行動は裏腹でございます」という言葉が、一条天皇の中に深く刻み込まれていて、その言葉があったからこそ、彰子と向き合おうと思えたのだと思います。現代の感覚だと、2人の女性を平等に愛することは理解しがたいですけれど、どちらが上とか下とか、どっちを愛していた、などということではありません。やはり定子のことはずっと愛していますし……。

ただ、今回の「光る君へ」に関しては、定子は一条天皇だけに目を向けていたわけではないような気がします。彼女のなかでは“家”や“家族”のことも大きく、一条天皇への純粋な愛だけではない、いろんなもがき苦しみがあったのだと思うんです。

そんななかで、最終的に定子を支えていたのは、せいしょうごん(ききょう/ファーストサマーウイカ)だったのかな、と。ふたりの関係性にいちばんの愛があった、と僕は感じました。清少納言と一緒にいるときの定子の表情と、一条天皇と一緒にいるときの定子の顔が全然違っていたので。

もちろん一条天皇の定子に対する愛が一方通行とは言いませんし、定子の思い、熱の量は変わらないと思うんですけど、ふたりが本当に心の底から結ばれて最後を迎えたかというと、僕には少し疑問が残ります。

その点、彰子は“家”への思いを完全に取っ払って、一途に一条天皇に向き合ってくれているように感じます。


『源氏物語』により興味を持ったのは、きれいごとを描いた物語ではないから

——『源氏物語』に心かれたのは、なぜだと思いますか?

定子を亡くし行き場を失った心のりどころを、もともと好きだった勉学に通ずる物語を読むことで、紛らわせていた部分があったのかなと思います。それは、書かれていた内容に“刺さる”ところ——これまでの自分の人生と重なる部分があったからではないでしょうか。

大好きな『枕草子』をすり切れるほど読んできた一条が、『源氏物語』により興味を持ったのは、「きれいごとを描いた物語ではない」からだと思っています。自分への当てつけのように感じられたからこそ、何を考えてこの物語を書いたのか作者の真意が気になり、藤式とうしき(まひろ)に興味を持ったのでしょう。

——文学作品が政治闘争の武器にもなり得たんですね。

女性作家が頭角をあらわし、国風文化が結実したのは、この時代からですよね。文学の重要性に道長たち為政者が気づいたことが、大きな分岐点だったように思います。

——一条天皇は道長みちなが(柄本佑)に対して、どんな思いを持っていたのでしょうか?

ぶつかる時もあるけれど、基本的には信頼しています。ある意味、道長の行動はわかりやすいんです。本人から、あるいはゆきなり(渡辺大知)を通して、ハッキリとものを言ってくれるので。

それまで一条天皇の前で本心を赤裸々に語ってくれる人は、母親のあき(吉田羊)しかいませんでした。だから、道長の考えに触れる意味は大きかったと思います。それこそ、『源氏物語』を通しても、道長の考えを感じていたのではないでしょうか。

先日、(柄本)佑さんと一緒に「歴史探偵」に出演させていただいたときに、道長が一条天皇に『源氏物語』を献上した狙いが紹介されていました。物語好きな一条天皇の性格を利用した“策略”の面も確かにあったかもしれませんが、ふたりの間に信頼関係がなければ、道長も一条天皇が何を好きなのかキャッチすることができず、行動を起こせなかったはずです。

歴史的には「つけ入るため」と見られるかもしれませんが、一条天皇の性格や好きなものを熟知した上で寄り添う行動を取るから、一条天皇もそれを無下にはできないし、反発するだけではなく「道長が言うなら、そうしてみよう」と考えたのではないでしょうか。


一条天皇はシャンと背筋が伸びた人なので、ちょっとした姿勢の崩れにも意味をこめています

——天皇役を演じる難しさはありますか?

一条天皇役に決まったときから意識してきたことですが、やはり“おかみ”であり、ぎょうたちの前では“天皇らしく”あらねばならない、というところを常に肝に銘じています。一方で、全てのことをきっちりして、しゃべり言葉や気持ちの表現を取り繕いすぎると、どこかロボットみたいになって、天皇の“人間らしさ”、喜びや苦しみが伝わってこないとも思うんです。

キャスト発表のときに「人間臭さが見え隠れする魅力的な人物」とコメントさせていただいたのですが、“天皇らしさ”と“人間臭さ”との難しいバランスを考えながら演じてきました。だからこそ、定子への想いや彰子との関係性について自分なりの“気づき”がありましたし、そうした一つひとつを見逃さないよう、アンテナを張ってこられたのではないかと思っています。

——気づきとは?

僕はこの作品に入る前は、定子と一条天皇はずっと仲睦まじく愛し合って、互いの愛が双方に向いたまま悲しい別れをした、と思っていたんですけれど、高畑(充希)さんのお芝居、苦しそうなお顔を見るたびに、全然違った、と衝撃を受けました。

実際に演じると、台本を読んだときの印象や、事前に勉強して考えていた世界とは違っていたシーンがかなり多くて、そういう衝撃を受けるたびに、一つひとつが深く記憶に刻まれています。

——美術セットや衣装で助けになるものはありましたか?

再三お話ししてきたから、そろそろ「うるさい」と思われるかもしれませんが(笑)、です。御簾のおかげで気づけた感情や表現がたくさんあります。まず公卿たちとの距離感が固定されますし、自由に動けないので、相手との関係性や言葉の裏の意味を表現することがとても難しいんです。

一方、制約のなかで細かな表現に集中できた面もあって、たとえば姿勢ですが、一条天皇は基本的にはシャンと背筋が伸びた人なので、ちょっとした姿勢の崩れにも意味をこめています。本当に微妙な崩れなんですけど、注目していただけたらうれしいです。

——藤式部役の吉高由里子さんと一緒のシーンも増えてきましたが、いかがですか?

吉高さんと一緒のシーンは全体的に現場が和やかで、すごくやりやすいです。収録中にお話しする機会も多いんです。吉高さんのおかげで公卿役の皆さんとの距離も縮まってきていて、今まで「孤独だ、孤独だ」と言っていたのが、いつの間にか皆さんと仲よくさせていただいています(笑)。


長い時間をかけて一条天皇を生きられていることは、俳優人生の中でもすごく大きな意味を持ちます

——これまで、一条天皇を演じてきて、いかがですか?

普段から役を演じるときは、その役のバックボーンを掘り下げ、その上に人間性を乗せてお芝居をしています。でも、中心人物でないと描かれる場面が少なく、表層で受け取られることが多いんですよね。だから、ずっと「物語を背負う役をやりたい」と思ってきました。

「光る君へ」の一条天皇は物語の鍵を握った人物です。長い時間をかけてこの役を生きられていることは、僕の俳優人生の中でもすごく大きな意味を持ちますし、大河ドラマという舞台で物語の責任の一端を担えていることが、とてもうれしいです。