宮中に『まくらのそう』を広めることで、いちじょう天皇(塩野瑛久)の心を亡き皇后・定子さだこ(高畑充希)つなぎ止め、家の再興を図ろうとした藤原ふじわらのこれちか。だが、みちなが(柄本佑)を追い落とす手立ては失敗続きで、じゅを続ける毎日となったが……。

精神崩壊しかけた伊周に未来はあるのか? 演じる三浦翔平に、思いを聞いた。


撮影中は、“呪詛返し”をくらったのか、あまり体調が良くなかったです

——「光る君へ」で、ここまで呪詛を続けている人物は他にいないですよね。

呪詛のシーンだけで1日の撮影が終わることもありました。「呪詛デー」と呼んでいましたけど、最後のほうは「監督たちは伊周で遊び始めたのかな?」と思うくらい、呪詛のパターンをいっぱい出してきてくれて、夜寝ているときに呪詛の言葉が頭の中でこだますることもありました。

ざいから戻って呪詛を始めてからは、どんどん悪い人間になっていくイメージで演じてきたのですが、呪詛シーンが続いて大変でしたね。もうちょっと軽めから始めればよかった、と後悔しました(笑)。呪詛のシーンは、自分の命を燃やしていくような感じで演じていましたから。

——それほど呪詛しても道長には届かず、中宮ちゅうぐうあき(見上愛)にが生まれました。

呪詛をすることが、心のりどころでもあったんでしょうね。1日に1回、呪詛をすることが心の支えになっていて、やらないと気が動転してしまうような状態だったんでしょう。最後のほうは、もう獣みたいになっていました。

——それを演じる三浦さんも大変だったのでは?

俳優としては楽しいですが、人間としては疲れます。

(脚本の)大石静さんも、ちょっとずるいんですよ。ト書きに「精神が崩壊している」と書いて、どう表現するかは、こちらに任されている。監督と相談した結果、呪符を食べることにしました。それが正解かどうかわからないですけど、ご覧になった方は、飲み物を吹いてしまったかもしれませんね。

撮影中は、血管が切れそうになるぐらい、表情も声も荒げて演じました。“呪詛返し”をくらったのか、あまり体調が良くなかったです。風邪もよくひいたし、けがもしたし。こういうことは軽々しくやっちゃいけないんですよ。おはらいに行こうと思っています。道長とはゆかりがないところに(笑)。

——大宰府に流されるシーンを撮影していたころは、「落ち切ってしまったほうが楽そう」とおっしゃっていましたが……。

あれで終わりだと思っていのに、「もう一段階、いくのか!」と、想像の上をいきました(笑)。


道長が悪いわけじゃないけど、恨むことで自分の気持ちを納得させようとしていた

——伊周がそこまで呪詛を続けたのは、何が発端でしょう。

伊周がおかしくなったのは、家族のことが始まりなんですよね。母親(たか/板谷由夏)の死に目に立ち会えなかったこともそうですし、さだ(高畑充希)が亡くなったこともあります。

冷静になって考えると、別に道長が悪いわけじゃない。けれども、道長の一族にうらみを宿すことで自分の気持ちを納得させようとしていたのかな、と思います。

伊周の正直な心情としては、「道長にはもう勝てない」ということは、どこかでわかっていたと思うんです。それでもかつての栄光を忘れられない……。過去の栄光にしがみつかなければ、また別の人生があったのかもしれないけれど、それを認められないのが、伊周の弱さだったように思います。

——伊周の転落は、弟の隆家たかいえ(竜星涼)が山院ざんいん(本郷奏多)に矢を射ったことに端を発しています。

時々、恨み言をこぼすことはありましたが、心のどこかで隆家のことはもう許していたんでしょうね。兄弟のあれこれは、小さいころからいっぱいあったと思うので。確かに自分が落ちていくきっかけにはなりましたけれど、そのやるせない気持ちを隆家にぶつけることもできなかったので、道長を恨んだのかな、と思います。

——伊周の目に、隆家はどう映っていたのでしょうか?

隆家は次男だからなのか、伊周が父親(道隆みちたか/井浦新)から受け継いだものとは違う、独特の世界観を持っていますよね。伊周にしてみれば、「長男が絶対」の時代に、自由でいいな、という気持ちもあったでしょう。そんな隆家がうとましくもあるけれど、わいくもある。結局は弟ですから、なんだかんだ言いながらも、好きだったんでしょうね。


何かを変えていたら、いいポジションにいられたのに、もったいない男でした

——波乱万丈な伊周の人生を、三浦さんはどう感じていますか?

「もったいない男だったな」という思いが強いですね。

確かに親の力で成り上がったところはありますが、一歩進む道が違っていたら、自分のプライドを我慢することができていたら、道長を許すことができていたら……。そういう一つ一つのポイントで何かを変えていれば、伊周は最後まで政権のいいポジションにいられたのではないか、という気がします。それができないところが、惜しい、切ない男だと思いました。

——大石静さんが描かれた伊周の生き方をどう感じましたか?

すごく人間くさいですよね。史実として残っている部分以外の人物像を、大石さんが書いてくるセリフでつかみ取って、僕が色づけをして具現化させていくんですけれど、めちゃくちゃ人間くさかったな、と思います。非常にまっすぐだし、不器用な男でした。

伊周が亡くなるのは36歳で、いま僕も同じ年齢なんですけど、伊周はすごく濃い人生を歩んできたな、と。家族をとても大切に考えていたところは、心情的に僕もすごく理解できます。

——印象に残っているシーンをあげるとしたら?

伊周は子どもに対してはすごく厳しい人間だったけれど、父親に対しては尊敬が、母親に対しては甘えがあって、両親に対する絶対的な信頼がありました。

そういう意味で、第22回で母親が亡くなる瞬間に立ち会わせてもらえなかった恨みは、相当強いものがあったと思います。ききょう(ファーストサマーウイカ)が「御母君おんははぎみ、お隠れになりました」と言いにきたときに、伊周の精神崩壊が始まったような気がします。演じていたときの集中力もすごかったし、あのシーンがポイントでした。