えちぜんのかみを務めた後に再び無官となったふじわらのためとき。かつて娘のまひろ(吉高由里子)が為時にわだかまりを抱いたように、孫のかた(梨里花)がまひろに頑なであることを、時に優しく時に厳しく見守り、育ててきた。そんな為時に、昇進の話が舞い込むが……。為時の胸のうちを、演じる岸谷五朗に聞いた。


親子同じに育ててしまった。娘と孫がいちばん頼りにしたのは書物であったという……

——まひろと賢子は微妙な関係が続いていますが、為時の目にはどのように映っていますか?

まひろが特別な才能が買われて藤壺で働くことになったのは、経済的な面ではありがたいことなのですが、賢子にとっては母親との関係が離れてしまうことを意味して、そこはちょっとトラジック(悲劇的)だと思います。母親がいちばん必要なときに、それが欠落した状態で育ってしまった。本当だったら、まひろがもっと賢子の側に寄り添うことができれば、ふたりの仲はこうなっていないだろうし……。

この先はどうなっていくのかわかりませんが、為時を演じていて思うのは「親子同じに育ててしまったな」ということです。娘と孫がいちばん頼りにしていたのは、書物であった、という……。あまり表には出てきていないのですが、おそらく賢子も物語、本を友達にして生きていくのではないかと思うので、そこは親子共通しているものかな、と思いますね。

——第37回(9月29日放送)の時点で、まだ為時は賢子が道長みちなが(柄本佑)との子であることを知りませんが、知ったら驚くと思いますか?

そうですね。ただ、これは平安の世の物語であるということを考えなくてはいけません。現代の社会では、ひっくり返るような大変なことではありますが、この時代の常識ではどうかと……。ひょっとしたら為時は、それを聞いて瞬時に「それをいいほうに利用するべきだ」と判断するかもしれない。それは生きるために、また、まひろが幸せになれる望みを持つために。

為時一家にとっては、左大臣様(道長)は本当に救いの神ですから、彼がまひろに対して優しくなる可能性を考えれば考えるほど、悪い方向にはいかないだろうと思ったでしょうね。


孫がいる役は初めての経験で、宝物のような感覚があります

——祖父として賢子の成長を見守るお芝居は、どんな気持ちですか? 

第37回で、為時は59歳なんです。僕は、この回が放送される直前の9月27日に60歳になるので、「自分の年齢に追いつかれるなぁ」と、感慨深かったですね。そして、僕は孫がいる役は今回が初めての経験なので、「これが60歳になるということかな」と。

もともと子どもが大好きで「孫ってわいいんだろうな。目に入れても痛くない、ってよく言うよな」と思いながら、実際に孫のいる芝居を始めたら……、これが本当に可愛いんですよ。父親役は、ある程度やってきたのでニュアンスもわかるのですが、やっぱり孫はなんだか違う、宝物のような感覚がありますね。まだ幼いころの賢子がとことこ歩いてくるのも可愛いし。もう、たまらない感じでした。

——撮影の合間に、一緒に遊んだりされたのですか?

一緒に遊びたかったのですが、僕が近くにいくと、割と小さい子を泣かせてしまうんですよ(苦笑)。だから、3歳くらいの賢子(永井花奈)のときは、なるべく触れないようにしました。いと役の信川清順ちゃんが、上手に手なずけていたので、彼女に任せておいたほうがいいかなって。

清順ちゃんとはすごく仲よしで「いいなぁ」とうらやましく思っていたのですが、撮影中に泣かれてしまったら現場の大迷惑になるなとも考えていたので、近寄らないで遠くから見ていました(笑)。

――実際に「おじいちゃん」を演じて、まひろと賢子の関係性について思うところはありますか?

おじいちゃんっていうのは、家族を形成する上での「先輩」なんですよね。自分は子どもをこうやって育てたという自負があるし、それが失敗だったか、成功だったかということも、たぶん親だった時代にわかっていて。それを映し鏡のように、まひろの子育てを見ていて、母と娘という女性同士の難しさや、まひろの子なら一筋縄ではいかないだろうということも(笑)、感じていたと思います。

で、おじいちゃんの特権である「どちらの味方にもなれる」ということがありますよね。賢子がちょっと哀想わいそうだと感じたら、まひろを叱り、まひろが正しいと感じたら、賢子を優しく諭すという、という。いい立場ですね、おじいちゃん(笑)。

——息子ののぶのり(高杉真宙)がようやく出世の階段を昇り始めました。どんな息子ですか?

いちばん小さい、子役さんが演じていたころから、もう本当に何も話を聞かずに遊んでいるやつで、そのまんま大きくなったという印象ですね。まひろと違って、ずっと子どもなんですよ。これはやんなきゃだめだよ、これは読んだのか?……って聞いてみると、いつもやってない(笑)。でも、出来が悪いからこそ、なおさら可愛いんです。

そんな惟規が世の中に認められて出世し始めるというのは、よりうれしいことですね。例えば、大学に行った息子がそこで何をやっているのか、親にはわからないじゃないですか。でも実は、しっかりやってたんだな、というようなところが、今回の惟規にはあって。

まひろがとっくに為時を追い抜いているというのとは違って、「やっと来たか、この列に」というような可愛さがあります。それを本当に(高杉)真宙が、すごくさわやかに演じていますね。

姉弟で話しているシーンが本当にいいんです。まひろと惟規がいると、ほっとするというか。まあ、周囲にいるきょうだいたちが、なかなかに恐ろしいからね。大事な子どもであっても「生贄いけにえ」にしたりするから……。そう考えると、藤原朝臣あそん為時邸は幸せなのかもしれないです。貧乏で、家が汚くて、足は汚くなるけれども(笑)。


越前で経験したことの反省点をまとめ、「同じような失敗はしない」という思い

——為時の人生は、周囲に翻弄ほんろうされてきた感じがするのですが、岸谷さんの印象は?

本当にいろんなことがありましたね。いろんな出来事が、ずいぶん前のことのように感じます。非常に個性の強い登場人物たちの中にいて振り回されてというか、それでも為時なりのジャッジをしてきたと思うのですが……。

藤原為時という人物をひと言であらわすと、「この時代を生きるに、とてもふさわしくない男だった」と言えると思うんですよ。この時代じゃないほうが幸せに生きられた人だったのではないかな、と。なのに、誰よりも長生きしているんですよね(笑)。

まあ「できる人たち」は地位を争い、手にした権力をいかに維持するか、みたいなことで精神をすり減らして、みんな早死にしていったのかもしれません。そこにアジャスト(適応)していけない為時だったから、長く平安の時代を生きた、という気もしますね。

——越前の国守時代は苦労もたくさんあったと思いますが、何か為時の変化を感じましたか?

越前では、いろんなことを頑張っていたと思います。ただ、生活の面では楽になりましたが、国守という仕事が、自分に向いていたか?と考えると、「向いていなかった」という反省は持っている気がします。一生懸命にやったけれど、やっぱり私の任じゃない、と思ったんじゃないでしょうか。

おそらく彼は、しきしょうなどで静かに本の整理をしていたい人。何かを改革をしていくとか、ましてや宋人との関係に振り回されるとか、決して得意ではなかったと思うんです。だから頑張ったけれど、越前守の責務が終わったときには、ちょっとホッとしてたんじゃないかな、という気がします。

再び無官になって、お金の心配はあったから、まひろが働きに出ることに対しては「本当にすまないな、申し訳ないな」と感じていたでしょう。一方で、文学との出会いがなければ今のまひろがないことも為時はよく分かっていて、彼女が才能を開花させていることは、為時にとってもうれしいことだと思うんですよね。 

——第37回では、官位が「しょういの」に上がりました。新たなお役目があるかもしれませんね。

8年近く無官だった時期のほうが、為時のウエイトとしては大きいんですよ。だから、為時の家族がどれぐらい幸せになるか、というところはまだわかっていません。でも、「これも、まひろの力だな」ということは感じているでしょうね。

仕事は欲しいので、もしもお役目をいただけるのなら、素直に「もう一回、頑張ろう!」という気持ちでしょう。越前で経験したこと、ひとつひとつの反省点をまとめていて、「同じような失敗はしないぞ」という思いを持っているような気がします。

——ちなみに越前の赴任前と赴任後で、為時邸の様子に変わったところはありますか?

池は少しきれいになったかもしれません。でも、相変わらず撮影が終わると足は汚れます(笑)。も茶色いままで、もうちょっときれいでもいいんじゃないかな? だいと同じじゃなくてもいいから、緑色のきれいな御簾に変わってほしいなぁ(笑)。

衣装については、越前に行ってから本当に良くなって満足しています。以前は、吉高(由里子)に「でっかいガーゼを被ってるみたい」と言われてショックを受けたくらい、ペラペラだったんですよ。そのころを考えたら、衣装に文句はないですね。


まひろに「母の死を忘れろ」と言って始まる第1回は衝撃的だった 

——ここまで為時を演じてこられて、特に印象に残っているシーンはありますか?

第1回(1月7日放送)で、母親のちやは(国仲涼子)を殺されたまひろ(落井実結子)に、「そのことは忘れろ」と告げるシーンは、非常に印象深かったですね。母の死を無いものとしなければいけないと言ったときから、この一家は始まっているような気がして。あのシーンは、やっぱりしんどかったな……。

台本には、為時がドライに言い放つようなイメージで書かれていたんです。でも、そこに苦しみがなければ、泣いているまひろを放っておくと思うので、為時がどれだけの苦しみの中で「忘れろ」と伝えるかが大事だと思いました。「私も苦しいんだよ。この苦しみを抱えて一緒に生きていこう」という思いで、まひろを抱きしめました。そこから始まる第1回は衝撃的だったし、やっぱり大変でした。

あと、第25回(6月23日放送)で宣孝のぶたか(佐々木蔵之介)が越前に寄越した文に揺れるまひろに対し、「都に戻って確かめてみよ」と語りかける雪の場面は、台本で感じていたよりもずっとシビれたシーンでした。まひろを心配する為時の気持ちが「こんなに重いんだ」ということが、演じてみてわかって……。

「まひろは潔癖だからから、何人もの女性に愛情を注いでいる宣孝のもとで苦しむだろう」ということも理解している為時というのが、「ああ、こんなにも思いが深い父親なんだなあ」とみてきて、自分の計算外の芝居になっていきそうになって……。それぐらい、まひろを心配しているんです。

台本のト書きに、そこまでの気持ちは書いてないですけど、撮影期間が長くて月日を重ねているから、そんな心情を感じられるんでしょうね。そういうところが、長いスパンでひとつの役を演じる、大河ドラマの良さなのかもしれません。