テレビを愛してやまない、吉田潮さんの不定期コラム「吉田潮の偏愛テレビ評」の中で、月に1~2回程度、大河ドラマ「光る君へ」について熱く語っていただきます。その第7回。

満開の桜の下、石山寺でまさかの再会&再燃。まひろ(吉高由里子)と道長(みちなが)(柄本佑)の、今でいうところの「W不倫」に、ときめいた人も、眉をひそめた人も、その続きから目が離せなくなっているのでは。

つかず離れずで思いを寄せあうのはよしとして、まひろが妊娠しちゃうという展開に心がざわつく。観ている側がざわつく前に、もっとざわついていいはずの人間、そう、まひろの夫・(ふじ)(わらの)(のぶ)(たか)(佐々木蔵之介)についてふりかえってみよう。第29回であっけなくナレ死というか、正妻の使者の伝言で知らされた宣孝の死。無神経な男扱いをしてごめんね、レストインピース、宣孝!


切ないけれど、報われないわけではない

若い女に次々と手を出すが、それぞれを愛し尽くした宣孝。贅沢(ぜいたく)な手土産を欠かさず持って訪れ、生活の面倒を見てくれるだけなら、ただの「若い女好きのスケベ成金」で終わるところだが、宣孝は器の大きな成熟した大人の男として描かれた。

そもそも、まひろの心の中に道長がいることを知っていながら結婚。「不実な女でよろしゅうございますか?」と訊いたまひろに、「わしも不実である。あいこである」と寛大さを見せつけた。ま、それも男のプライドってやつか。権力者の元カノを手中におさめた優越感と打算のようなものがあったことは否めない。

宣孝は道長への(しっ)()心から嫌味な発言を重ねてきたが、まひろの妊娠は手放しで喜ぶ。「そなたの子は誰の子でもわしの子だ。一緒に育てよう」と寛大なことこのうえない。睡眠時無呼吸症候群だったとおぼしき場面もあり、そう長くはないなと思いながらも、宣孝の心模様に思いを()せてしまった。

なぜなら、まひろの心の中には常に道長がいることを視聴者はイヤというほどわかっている。しかも一夜のラブアフェアで道長の子を妊娠までして、そりゃもう一生消えないわけよね、道長の影が。

さらに切ないのは、まひろがそんなに悲しみには暮れていない点。というのも、宣孝の死と、父・(ため)(とき)(岸谷五朗)の離官&帰還が重なり、一人娘・(かた)()を抱えたまひろは正直、それどころではない。

道長が(おもんぱか)って、無職の為時に左大臣家お抱えの指南役の職をくれたにもかかわらず、また為時の悪い(くせ)というか、頑なに辞退しちゃったりしてね。清貧気取ってる場合じゃねー!と父の尻を叩くまひろ。夫の死よりも生活優先! いや、もう、宣孝、切なすぎない? やるせなくない?

それでも多くの女性を愛し、子供にも恵まれ、職にあぶれることもなく、まひろのおかげで時の権力者・道長にくらいついて、飄々(ひょうひょう)と生きた宣孝。さらっと出先でにわか病に倒れたのも、なんかさっぱりしていて「我が生涯に一片の悔いなし!!」ではないか。まひろが(いと)おしくて仕方ない様子をコミカル&シニカルに演じきった蔵之介、適役だったと改めて思う。


娘・妻・母ではじくたる思い、姉・祖母としてはやりきった感

宣孝と時を同じくして鬼籍に入ったのがもうひとり。息も絶え絶えに懺悔(ざんげ)ともとれる遺言を残したのは、道長の姉・(あき)()。吉田羊が演じた詮子は、なんというか、最もつらくて報われない女だったのかもしれない。詮子の「女の肩書」変遷をふりかえってみよう。

権力者・藤原兼家(かねいえ)の「娘」→(えん)(ゆう)天皇の「妻」→ 一条天皇の「母」→権力者・藤原道隆(みちたか)の「妹」→権力者・藤原道長の「姉」

こうしてみると、どのタームでもなんだか憂き目に遭ってばかりの印象がある。権力者の家に生まれたものの、愛されて育ったとは言い(がた)く、(まつりごと)の道具にされて、父・兼家(段田安則)を(うら)む娘。夫である円融天皇(坂東巳之助)からは、父のせいで毛嫌いされて疎まれるという不遇の妻。

手にすることができなかった愛情を一人息子((いち)(じょう)天皇/塩野瑛久)に注ぐも、逆に疎まれて恨まれる母。権力者となった兄・道隆(井浦新)から内裏を追われて蚊帳の外へ。結果、(おい)伊周(これちか)(三浦翔平)も姪・定子(高畑充希)も憎しみの対象としかとらえられなくなる。頼れるのは優しいけれどなんだか頼りない弟・道長のみ……。

鶴のひと声伊周外し事件や自作自演の(じゅ)()事件など、兄一家憎しの恨みが強すぎて策士の一面を何度となく見せてきたが、娘としても妻としても母としてもなんだか報われないまま。

それでも(いま)()(きわ)に、「伊周を元の(くらい)に戻して」と道長に懇願する詮子。帝と(あつ)(やす)親王のために、伊周の怨念を払ってほしいといって、息を引き取った。つまり、敦康親王の「祖母」として最初で最後の役割を果たしたのである。

いやあ、すごいな、羊姐さん。懺悔か罪滅ぼしかと一瞬思ったけれど、おばあちゃんとしての愛情、そして(きょう)()を見せたわけだ。

個人的には、詮子&道長の姉弟トークシーンが好きだった。何かにつけては政や人選に口を出してくる姉を厄介と思いながらも傾聴してきた道長。本音も弱音もすべて話せる唯一の相談役として詮子を慕っていたし、まひろの存在も詮子だけには話していたし。きょうだいにも相性のよしあしがあって、骨の髄まで恨むきょうだいもいれば、愛おしく思えるきょうだいもいるということを再確認。

疎まれたり嫌われたりの人生だったが、最愛の弟に看取(みと)られて、志を託すことができた詮子も「悔いなし」だったと思いたい。


政におけるれつな争い、内裏に渦巻く悪意に期待

さて、この後の展開で気になる存在は、やはりあの男。道長と書いた人形(ひとがた)を使ってじゅしまくっている伊周は、積年の恨みを道長にぶつけてくるに違いない。甥っ子 VS. 叔父がどんな骨肉の争いを披露するか、楽しみにしている。

また、「仰せのままに」としか言わず、基本無口な(あき)()(見上愛)が悪意渦巻く内裏でどのようにサバイブしていくのか。彰子の入内(じゅだい)に猛反対していた母・(とも)()(黒木華)は心配して、なにかと彰子に寄り添っているものの、「いやいや、彰子は大丈夫」と思わせる場面もあった。

一条天皇が笛の感想を聞いたとき、「笛は見るものではなく聴くもの」と返したのを見て、ちょっと安心。倫子に「そんな過保護にしなくとも、あなたの娘だもの、大丈夫!」と伝えたくなったほど。 

口数が少なくても(りん)としていて、伏し目がちな(なま)めかしさの見上は彰子役にしっくり。いずれ、まひろが彰子の女房として参内することを考えると、心がざらつく。

裕福な良家の娘からひとっとびに妻となり、母となった倫子だが、夫に見え隠れする女の影(つまり、まひろ)を(いぶか)しく思い続けているわけで。その残酷というか、意地の悪い関係図には、今から心の準備をしておかねば!

ライター・コラムニスト・イラストレーター
1972年生まれ。千葉県船橋市出身。法政大学法学部政治学科卒業。健康誌や女性誌の編集を経て、2001年よりフリーランスライターに。週刊新潮、東京新聞、プレジデントオンライン、kufuraなどで主にテレビコラムを連載・寄稿。NHKの「ドキュメント72時間」の番組紹介イラストコラム「読む72時間」(旧TwitterのX)や、「聴く72時間」(Spotify)を担当。著書に『くさらないイケメン図鑑』、『産まないことは「逃げ」ですか?』『親の介護をしないとダメですか?』、『ふがいないきょうだいに困ってる』など。テレビは1台、ハードディスク2台(全録)、BSも含めて毎クールのドラマを偏執的に視聴している。