円融法皇(坂東巳之助)の崩御に伴い、女性として初めて院号を宣下された詮子。ひとり息子の一条天皇(塩野瑛久)と弟・道長(柄本佑)への影響力を背景に、しばしば国政に介入した詮子だが、その胸のうちはどうだったのか。演じる吉田羊に、思いを聞いた。
伊周が台頭して、自分が家を守らねばという使命感が強くなりました
——詮子の人柄をどのように感じていますか?
生来のお姫様気質による無邪気さと、貴族の娘に生まれた宿命に反発心を抱きながらも粛々と受け入れる責任感の強さが魅力だと感じます。そして何より、愛情深い人ですよね。
父親(兼家/段田安則)や夫(円融天皇/坂東巳之助)から愛された記憶のない詮子は、だからこそ自分は愛を与える人でありたいと思ったのではないでしょうか。その矛先は弟の道長や、息子の一条天皇に注がれていきますが、愛し方を知らない故に、皮肉にも愛するほどに息子との関係をこじらせていく様は、彼女の人生の哀しさを象徴しているなと感じました。
ただ、失ったものも多いけれど、貴族に女として生まれた者には、「入内して皇子を産む」というレールが敷かれていて、その意味では彼女は成功者で、そのことを少なからず誇りに思っていたと思います。そして、兼家の亡き後は、自分の一声で天皇や内裏が動く、事態が変化していく影響力を自覚していたとも思います。
もっと言えば、父譲りの政治的な才覚で我が家柄を守っていくことは、それなりにおもしろく、やりがいもあったのではないでしょうか。「血は争えない」と不本意ながら自覚した部分もあったと想像しています。
役作りで言うと、最初のうちは「貴族に女として生まれた者の宿命に抗う」詮子の気持ちにフォーカスして演じていたのですが、兼家、そして兄上2人(道隆/井浦新、道兼/玉置玲央)が亡くなった後は、我が家柄を守っていくのは自分、という覚悟を感じながら演じました。
——女院として権力を持つようになってからの変化は意識されましたか?
詮子から見れば、兄上2人は信用できませんし、道長も人柄はいいけれど政治家としてはまだまだこれから。また、息子の一条天皇の周辺で言えば、定子(高畑充希)が入内して、彼女の兄の伊周(三浦翔平)が台頭してきて危機を感じておりましたので、自分が家を守らねばという使命感は、後半にいくにつれて強くなりました。
それに、プライベートが恵まれなかった詮子にとって、自分が必要とされている実感を持てる場所は、唯一政治の世界だったのかなと……。
一方で、お姫様気質ゆえの奔放な物言いや、道長の女性関係に未だに興味津々なところは相変わらずあって。詮子の純粋さ、チャーミングさは、道長と会話する姉弟シーンによく出ているので、それを楽しみつつ、皆さまにもホッとしていただけたらなと思いながら演じました。
——詮子を呪詛した嫌疑で、伊周が大宰府に流されましたが、あの展開についてはどのように思われますか?
史実でも、伊周が本当に詮子や道長を呪詛したのか確かではないのですが、この物語で描かれてきた詮子の性格で考えると、伊周を追い落とすためなら、いかにも自作自演をやりそうだな、と……。道長と倫子(黒木華)も、たぶん姉上がやったのだろうと気づいていて、隠し切れてないところが詮子らしいですよね(笑)。
世が世なら、右大臣の詮子も見たかったなという気もします。現代であれば、彼女は間違いなく政界に進出していたでしょう。生まれるのがちょっと、いえ、千年ほど早すぎましたね(笑)。
道長は、詮子の悲しい宿命を理解してくれました
——道長に大きく肩入れしているのはなぜでしょう?
道長が本来持っている人間性や穏やかな気質が詮子は大好きだったので、そんな彼の心が潰されない世の中、お互いに意見を言い合い、尊重し合う世の中を願い、道長こそがそれを実現できると信じていたのだと思います。
一条天皇に道長を推挙したのは、道長が、一条の弱さや優しさ、未熟さを身内として深く理解し、正しく導いてくれるだろうとふんだから。道長を彼の側に置いたことは、詮子の最大の戦略だったと思っています。
道長は、きょうだいの中で唯一、貴族に女として生まれた詮子の悲しい宿命を理解してくれました。女院という、周囲から距離をおいて扱われる立場になっても、詮子を純粋に姉として扱い、藤原詮子という一人の女性でいさせてくれました。
政治家として、相手の立場を利用するしたたかさも身に付けて、良くも悪くも「強くなったな」という印象です。姉弟で話をしていても、ふと「昔なら、そんな言い方しなかったよね」というような返しがきて、詮子としては傷つくこともありますし……。一方で、変わらずに姉を心配してくれる顔を見せてくれて、ほっとする部分も残っています。
第26回で、彰子(見上愛)を入内させるか迷っている道長に対して、詮子が「出しなさい」という場面では、初めてふたりの間に緊張感が走りました。詮子としては政治的なアドバイスなのはもちろん、自らが舐めてきた辛酸を温室育ちの道長も味わうことで覚悟を決めよと促す気持ちもありました。
道長が身を切って政治にあたる覚悟をする大切なターニングポイントなので、あえてこれまでのほのぼの姉弟シーンとは違う空気感を目指しました。たぶん、道長の考えの甘さにカチンときたんでしょうね。大好きな弟に、初めて厳しい感情をぶつけたシーンでした。
詮子の哀しさは、私が闇や影、孤独な部分にフォーカスを当てたせいかも
——ここまで演じて、大石静さんが描く詮子について、改めてどのように感じていますか?
史料によれば、意地が悪く嫌われ者だった詮子さんを、無邪気さとしたたかさを両軸に、ままならない人生をもがきながら生き切った、強く哀しく愛すべきキャラクターに仕立ててくださったなと感じています。
彼女の人生はほぼ孤独でしたが、それを原動力に命を燃やした人でもありました。愛を求めても得られず、女院の地位についてなお疎まれても、常に自分の心に正直で、自らの務めを懸命に果たそうとする強さはとても格好よくて。
ただ、詮子が亡くなる回の台本を読んだときは「最期までこうか」と哀しくて。これは、私が詮子の人生の闇や影、孤独な部分にフォーカスを当てて掬い取ったせいかもしれない、と申し訳なさを感じたんです。
そうしたらチーフ演出の中島由貴さんも「哀しいね。私たちがそうしちゃったんだけど」とおっしゃったので、「やっぱりそういう人物像で合っていたんだ」とホッとしたところもあります。
史料には、詮子は亡き定子の忘れ形見である敦康親王を彰子に養育させた、と残っています。それを参考文献で読んだときに、定子を追い詰めた罪滅ぼし的な意味合いと、同じ母親としての「情」があったのかな、と受け止めました。定子に同情していた部分もあったのだ、と。詮子さんの優しさや愛情深さを表現できるかもしれないと、そのエピソードを楽しみにしていたのですが……。
台本が届いたら、非常に政治的な理由だったので、少なからずショックを受けました(笑)。父兼家を想起させるやり取りなので、「政に翻弄された藤原詮子」という印象を決定づける意図もあったのでしょう。でも、セリフではそう言っているけれども、本心のところではそれだけではない、同じ母親としての思いがあったのではないか、と今でも信じています。
最期のシーンでは、死んでいるのに涙があふれそうに……
——第29回の台本を、どんな気持ちで読みましたか?
元々の台本にはなく、急きょ加えられた場面があって、「病状が悪化しても、詮子は頑なに薬を飲もうとしない」というシーンです。第4回に、円融天皇が毒を盛られていたことを知った詮子が、兼家の酒宴に乗り込んでいくシーンがあったのですが、そのときに彼女は「薬など、生涯飲まぬ」という言葉を残して出ていきます。
第29回にこのシーンが加えられたことで、あのとき詮子の中に渦巻いていた、円融への愛や、父や兄上への憎しみ、ひいては貴族そのものへの嫌悪が、ずっとずっと彼女の心の中に澱となって沈んでいたことが分かり、非常に胸が苦しく、涙が止まりませんでした。
——最期のシーンについての感想はいかがですか?
撮影前にリハーサルがあったのですが、道長は詮子をどのようにみとるだろうか、というところで、私と柄本さんと佐原(裕貴)監督の3人でディスカッションになったんです。「例えば、こういうのはどう?」と、いろんなアイデアを出し合って。
ところが実際にお芝居をやってみると、「動きが大きすぎて、いろんなことを端折りすぎている」みたいなことが重なって……。そうしたら、柄本さんが「撮影までもう少し考えてきます」とおっしゃって、その場では答えを出されなかったんですよ。宿題として持って帰って、いろんなことを考えたい、と。
そうやってたどり着いたのが、最期のシーンです。柄本さんが見せてくださった道長のみとり方は、姉への思いを強く感じられ、それまでの詮子の孤独がすうっと救われるようでした。私自身、演じながら涙があふれそうになって、でも、「いけない、私は死んでいるのだ」と思いながら必死にこらえて(笑)。そんな詮子と道長の思いが、画面を通して視聴者の皆様にも伝わっていたらうれしく思います。
——クランクアップを迎えての感想をお願いします。
足かけ9か月。これだけ長く一人の人生を大河ドラマで演じさせていただいたことが初めてなので、今や詮子さんの人生も自分の人生の一部になった感覚です。常々、役者は役に“選ばれる”と思っているのですが、今回詮子さんが私を選んでくださったのだとしたら、その御恩返しが、お芝居でちゃんとできていたらいいなと願っております。
詮子さんの強さも弱さも、そして無邪気さや狡さもすべて、彼女の魅力として視聴者の皆様の記憶に残っていきますように。