ドラマの出演者やスタッフが「この回のあの人、あのシーン」について語ったコメントを不定期で配信するコーナー。今回は、まひろ役・吉高由里子さん、女院にょいん詮子あきこ役・吉田羊さんから!


吉高由里子さんの第27回振り返り

——別れを切り出したまひろに、宣孝のぶたか(佐々木蔵之介)は「だれの子でもわしの子である」と受け入れました。

その時の宣孝さんは、本当にかっこいいなと思いました。実は、以前ネットを見ていたら、「宣孝とまひろがどうやって結婚するの?」という書き込みがあって、そこに「道長みちなが(柄本佑)の子を妊娠してしまって、それを宣孝が体をはって守ってくれようとしたんじゃないか」という考察があったんですよ。その深読みに、思わず身震いしましたね(笑)。

平安の世は、結婚、出産が当たり前すぎて、そんなに騒ぐこともなかった時代なのかもしれないし、私だって小さいころは、28歳くらいになったら自動的に結婚して、自動的に子どもが生まれて、子どもの送り迎えをしているのかな、と思ってたんですけど、いや、自動的にそうなるわけはないですよね(笑)。

この回の宣孝さんは「こんなにも器の大きい男はいるのか?」というか、大石静さんが「こんな男がいたらいいな」と思いながら書いてるんじゃないかな、という感じがしました。今までの宣孝さんとの会話の中でいちばんグッときた回ですね。全部を分かってくれていて。

まひろはまひろで、黙っていられない自分がいて、正直なんですよ。曲げたり、降りたり、かわしていたりしたら、もっと楽な人生を歩めていたのにと思うけれど、そうはできないタイプで。ぶち当たってぶち当たって、己を貫いてきたんだろうな……。それを全部受け止めてくれる宣孝さん、かっこいいと思います。


吉田羊さんの第27回振り返り

——いちじょう天皇(塩野瑛久)から「母上の操り人形でした」と言われたとき、どんな思いでしたか?

最初に台本をいただいたときに、あまりにもショックで、読みながら「えっ……!?」、と絶句してしまいました。詮子にとって息子の一条天皇は人生の全てでしたし……。

かつての自分も父上(兼家かねいえ/段田安則)の操り人形だったんですよね。同じような思いを息子にさせていたことを知って、さらに申し訳ない気持ちになって……。台本を読んだとき、自分の人生すべてを否定されたような、空っぽな気持ち、孤独感を味わいました。

ただ、実際に撮影に入ってみると、(一条天皇役の)塩野さんが身を切るようなお芝居をしてくださって。セリフの言葉は強くて、もちろん本心なんだけれど、どこか本心でないような。未熟な自分にいらって、八つ当たりしている「遅れてきた反抗期」みたいな雰囲気で……。

私の前では、あくまでも息子であるというお芝居を見せてくださったので、必ずしも言葉通りの強さで“殴られた”感じはしなかったんですよね。なので、お互い涙目になりながら「こんな言い合いは、本当はしたくないんだ!」みたいな空気がありました。

塩野さんは、すごく「受け」の芝居が素敵な方で、現場では熱心に監督と話をされていて、このセリフのときには詮子の顔を見るべきか否か、という繊細なところまで考えていらっしゃったので、すてきな俳優さんだな、彼が息子でよかったなと思いながらお芝居していました。